hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

「イマジン」を歌った その2

忌野清志郎ヴァージョンの「イマジン」を歌うにあたって、僕は「普通に歌ってもこれは(僕の歌唱力では)お客さんに伝わらないぞ」と思い、あれこれ考えた。そしてある決断をした。それは、遠藤ミチロウの叫び声を導入することだった。

 

息を吸い込みながら、怪鳥のように叫ぶ、例のやつだ(ミチロウは「バキューム・ボイス」と名付けていた)。分からない人は是非YouTubeでミチロウの「天国への扉」を視聴していただきたい。この頃にはもう路上ライブをやり始めていたので、そこで少しずつミチロウのようなシャウトができるかを試みていた(よく途中で咳込んでいた)。

 

これを曲のド頭に入れよう。そう提案すると、2人は「やりたいんならやればいいよ」という反応だった。あんまり賛成も反対もしていないようだったので、「チクショー」と思い、路上ライブでの個人練習に力が入った。

 

そして初めて3人でスタジオで集まって練習した日に、その「バキューム・ボイス」を披露した。しかし何だか微妙な雰囲気だった。「あれっ?」と思いながらそのまま「イマジン」を歌い始めた。歌い終わってもう1回「変じゃなかった?」と聞くと、「うん。変じゃないよ」と言われたものの何だか消化不良な感じだ。

 

僕に恥じらいのようなものがチラリでも見受けられたらその時点でお終いだと思った。だから、前から「イマジン」にこんな一節があったかのように歌うべく何度も歌った。それを聴いているうちに2人は「やればいい」という肯定的な反応に変わっていた。無言でサポートされている気になった僕は本番当日まで、いかに何気なく且つはしたなく雄叫びを挙げるかだけに集中して練習していた。

 

そして本番当日。この日はリハはなかった。それも幸いしたのだろうと思う。

 

僕達は1曲目「マネー」を演奏した。歌詞に時事ネタを盛り込んでそれなりにみんな聴いてくれていたと思う。そして2曲目に「イマジン」を演奏した。

 

僕は体中から1曲目と違う風情を醸し出したつもりだった。Dのイントロをしばらく鳴らした僕は思いっきり「・・・・・・・・」(←文字化できない)と「バキューム・ボイス」を披露した。その途端座っていた前の人達、立っていた後ろの人達の空気がさっと変わったのが分かった。「これは、どういう反応なんだろう」と思いながら4回雄叫びを上げ続けた。何とかはしたなく声を出し切れた、と思った。

 

その後「天国は無い ただ空があるだけ 国境も無い ただ地球があるだけ みんながそう思えば 簡単なことさ・・・」と「イマジン」を歌い始めたのだが、その時ほどお客さんの視線を感じたことがなかった。「歌詞を聞いてくれているのだ」と感じた。そのまま歌い続けても僕に対する視線は揺らがない。僕も少しずつ睨み返すようにお客さんを見ることができるようになった。そして最初のテンションのままで歌いきることができた。拍手も結構熱のこもったものだったと記憶している。「歌詞を噛みしめるように歌えた」というのが僕にとっての一つの収穫だった。

 

その週の土曜日、ギター教室があったが、先生は開口一番、「hanamiさん、歌唱力ついたねー」と言ってくれた。あの時は嬉しかったな。

 

 

というわけで3回「ジョン・レノン・コンサート」に出させてもらった(その後は開催されなかった)。

 

それから、さらに路上ライブを頻繁に行うことになったが、「イマジン」を歌うことはあっても「バキューム・ボイス」を入れることはなかった。人が少ないところでやってもなぁ・・・、という気持ちがあったからだ。

 

僕の人生史上最も多くのお客さんの前で歌い、出来が最も良かったのは、この時の「イマジン」だった。1回でもそんな思いを持つことができたのはとても幸せなことだ。