hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

「YOU」―3

番組後半に「あれから36年。糸井重里にとってテレビとは?」という話題から当時を振り返っている。また、現在の日比野克彦もコメントしている。

 

糸井「テレビがまだもっと信じられている時代だったし、娯楽として大きな意味を持っている時代だった。時間の系列と関係のないところで何かが生まれてくるっていう面白さの時代だなっていう風に僕は思ってた」

 

「みんなが探し合っていた気がしますね。何なんだろう、何がしたいんだろう、何が面白いんだろう。70年代から80年代になって大きく変わったのは背中に背負うものとか様式とかルールとか自分を縛っていたものに対して「違うかもしれない」っていうものが次々に現れるんでこれも認めたいなあれも認めたいなっていう風に受ける側だとしても自由になっていった。楽しむにせよ学ぶにせよ働くにせよ、前からあるものの上に乗っかってってやんないとできなかったのが、80年代になったら全然違うところから別の刺激がやって来て、それはそれで一本立ちできる可能性があるみたいな」

 

「だから急に選択肢がわぁ~って広がって、で、俺は何もいらないって言うと何か朽ちていくみたいな感じだった。何でも「食べたい!」って言って食べて、消化吸収していつの間にか自分がそっちに行ってたみたいな気がする。変化することに対して、新しい解放のされ方っていうかそういうものが送信側も受信側も得ることができてた」

 

「今取り返したくてしょうがないんじゃないかな。みんながそれを言っちゃいけないとか、こういう時はこうするべきだとか、それこそ空気を読むとか建前だとかって今は言っている。一度そんなのなくていいじゃないって言ったはずのものがまた復活しちゃった気がするんで。歴史や伝統に敬意は払うけれどもあなたが選ぶものは自由ですよっていうのはもう1回今必要なのかなってイメージですね」

 

 

 

日比野克彦「自分のやりたいことをやっていれば生きているうちに1回くらいは自分と波長がある時が来るだろう。だったら自分のやりたいことをやり続けるみたいな気持ちだった。自分のやりたいことをやる、逆に自分のやりたいことができる社会になって来たし、そういうものをちゃんと周りがこいつ面白いことやってるなって見つける目も出てきたっていう状況だと思う」

 

「今でこそSNSとかの情報網があるけども、当時(80年代)は若者が共感できるメディアというもので「YOU」はすごく存在の意味があったと思うし、教育の場としても「YOU」は(存在感が)あったと思う」 

 

「今究極の個人個人の流行を自分が作って発信できるっていうところの大きな大きな違いではあるけれど、でもその頃言ってた通りになってるっちゃ、今喋りながら気がついたけどなってるかもしんないですね。でも悩みは何時もある部分変わらないところはあるのかな。でもその悩みが人間を鍛え上げるところはあるし」

 

 

 

糸井「日比野はいいやつなんですよ。あと『自分が喋ってて思ったんですけどね』って言ってんのね。学校の先生とか悪い癖がつくと『言うべきこと』が分かってて喋るんですよね。でも日比野君は学校の先生をやっていながらそうじゃないってところ、それを混ぜられるかどうかって言うのは物凄く大事な部分だと思いますね」

 

 

 

糸井重里の最後の言葉は結構重くのしかかった。