hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

24年前のお正月

もう24年前のことだから書いていいだろう。僕ら夫婦は、12月24日から1月7日までの期間バリ島を旅行していた。終業式の日からお休みをもらい(担任なのになんて夫婦だ)3学期の直前に帰って来たということだ。つまりお正月はバリにいたことになる。今そんなことする教員は世の中に一人もいない。思えばのどかな時代だった。

 

夫婦で海外に行くとき(まぁ、2回だけだが)にはいつも何かしらトラブルが起きる。今回は二人ともひどい風邪をひいてしまった。前日まで二人して点滴を打っていた。そして主治医に海外旅行に行くので2週間分薬を出してくれと言ったら呆れられた。

 

そんなこんなで何とか体調を無理矢理戻した僕達は関空からバリへと向かった。1泊目はクタで泊まって、次の日から内陸部のウブド(現地ではウブと発音する)に長逗留し(10日あまり)、次にチャンディダサという町へ行った。そして再びクタに戻り帰国した。

 

ウブドで一番印象に残っているのは、夜必ずガムランを聴きに行ったことだ。ティルタ・サリという世界的にも有名なガムランのグループが普段はそこで演奏しているっていうので毎晩飽きもせず聴きに行った。よく「濃密な夜」などと表現されるバリの夜だが、本当にその通りで電柱がない夜の闇はほんとに暗くて濃い闇だった。町から離れているコンサート会場へ、その闇の中を毎晩二人自転車で向かった。あの濃い闇とガムランの響きが強烈な記憶として残っている(今でも家でガムランを聴くと当時のことがブァ~っと蘇ってくる)。

 

バリダンスに合わせてガムランが奏でられるわけだが、僕はダンスよりどんな風にして演奏しているのかばかリ見ていた。挙句の果てに、昼にガムランの教室を開いているホテルに移動し、体験させてもらいもした。妻はその間、観光ガイドのサイクリングコースを選んで遊んだり、スパ?に行ったりしていた。二人で楽しんだのはラフティングくらいだった。

 

普通東南アジアは昼は暑いので、早朝か夕方の比較的涼しくなってからみんな活動をする(観光客は暑いことなんておかまいなしだった)のだが、僕達も現地の人と同じように日中は中級ホテルに泊まってまったりとした時間を過ごすことが多かった。ガムランも堪能したし、そろそろ何処かに移動するかという話になった。僕は1回目にバリに行った時知り合ったおじさんに「チャンディダサ」に行くといいよ、と言われたことを思い出し、妻に提案したところ同意したので善は急げとばかりにその日に移動を開始した。

 

そしてチャンディダサに着いた。着いたはいいがそこは豪雨が降り続いているとても寂しいビーチだった。外に出ることもできずにホテルで本を読んで雨をやり過ごしていた。次の日、晴れたので妻がシュノーケリングしようよ、と言うので一瞬考えたが(僕は水泳が苦手なのだ)、こんなうら寂しいところに連れてきてしまった手前、了承するしかなかった。

 

案の定僕は、フィンを着けて上手く泳ぐことができなかった。ガイドからは「ドントパニック」と繰り返し言われる始末だった。妻はきれいな海の中にいるきれいな魚を見て喜んでいる。帰りのボートで僕は吐いた。これ以来マリンスポーツには近づかないと決心した。

 

バリでの最後の夜はクタに戻り、2週間ぶりに日本食を楽しんだ。僕が初めてバリに行った時に比べれば日本食レストランの味は格段に上がっていた。そして無事帰路に着くことができた。

 

1月7日に帰り、8日に学校で3学期の始業式と書初め大会をしたが、その落差にクラクラしたな。僕の足は日に焼けてビーサンの跡がついているのに日本では雪が降っている。感覚が戻るまですこし時間がかかった。1月の間は、楽しかったバリの日々がフラッシュバックすることが多かった。

 

二人で海外に行ったのはインドとバリの2か所だが、今度は何歳になったら行けるのだろう。その時もきっと楽しいに違いない。それにしても僕は2つの国で新年を迎えたことがあるけど、どちらも日本ほどのハッピーニューイヤー感はなかったな。旗などのデコレーションはあったが、いつも通りの町に近かったと記憶している。

 

 

雪は降ったりやんだりしている。どかんと積もる様子はない。