hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

再生へ

 私は、歩いていた。ただひたすら同じ道を歩いていた。そうやって歩くことで新しい道が見えてくるとでも思っているかのように。私が歩き始めたのは11月始めの頃だった。それ以来晴れの日も曇りの日も雨の日も天候に関係なく、1週6.4㎞の小さな湖を約1時間かけて歩くようになった。最初は一周歩くのに1万歩かかった。しかし、冬も深まった頃には8000歩台で歩くことができるようになった。その代償といっては何だが、両膝を痛めてしまった。しかし私は病院へは行かず、両膝にサポーターをして、ただひたすら歩き続けた。新しい道が見えてくることを信じて。連続飲酒は止まった。朝靄の中、湖を歩くのは気分が良かった。時々人とすれ違うが私もその人も挨拶はしなかった。木々の葉はすっかり落ちて何だか寒そうだ。そんなうらぶれた風景が続く並木道を歩くととても心が落ち着いた。そして私の心にたまった嫌なものが少しずつ剥がれ落ちていくのを感じていた。自分でも気づかなかったが私の心の中には嫌なものが溜まっていたのだ。それを剥ぐために歩き始めたのだ。そんなことに今更ながら気づいた。歩いている時私は色々な妄想をする。自意識過剰な妄想、イヤらしいこと、仕事のことに関するもの等だ。そんなことを考えているのによく心の中の嫌なことが剥がれ落ちるものだ。と自問自答しながらまた、歩を進めていく。水面では鴨が水門の近くで規則正しく並んでいる。藤棚を通り過ぎ、カヌーのコースが設置してある所が見えるともうすぐゴールだ。そこを歩いている時が一番楽しい。

 歩いている時は、常に何かの気配を感じていた。でもそれは嫌なものじゃない。逆に私を優しく包み込んでくれる気配だった。そしてそれが何かを私は知っていた。3月の終わり、桜の蕾がほころびかける頃、私は湖の道を歩くのをやめた。心が満たされている自分に気づいたからだ。新しい道なんかない、私が歩いた道、それこそが私が創った新しい道となることに気づいたからだ。

                                  (おしまい)