hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

塀の上を歩こう

養老孟司の部屋」という番組が好きでたまに観るのだが、そこで養老先生が「塀の上を歩いていた」と言っていて、上手いこと言うなあと思った。

 

元々は田中角栄の有名な言葉らしいが、養老先生が東大にいた当時、「どうもここは性に合わないな」と思いながら日々を過ごしていた。だから「大学と世間の間にある塀の上にのりました」ということらしい。「私自身、組織っていうのは塀の上にいるもんだと思っていました」「それで塀から中に落ちると、ほんとに組織の中の人間になりまして組織の価値観なり、将来なりをそこに全部賭けることになります」「じゃあ塀から外へ落ちるとどうなるのかというと、これは赤の他人になってしまいますから『俺、関係ない』っていう世界になっちゃう。」

 

「どっちでもなくて塀の上を歩くっていうのは結構芸がいるんですよね」「それで考えてみて30年近く務まった唯一の理由は塀の上を歩いていたから」「ですから何が起こったかというと、例えば当時国家公務員の勤務に関する法律があって、いろいろなルールがあるんですけど、そのルールを基本的に無視しているってことが後で分かりました」「そのうち面倒くさくなって辞めちゃったんですけど。ですから塀の上から外に落ちましてですね、逃げた、ということになりました」

 

「それが私自身の組織に関する個人的な印象ですね」「自分をどこに置くかで見えてくるものが違ってくると思います」「組織の問題はだから得意じゃあないんですけども、そういう問題をどうやって片付けてきたかというと、むしろ個人の問題に翻訳して片付けてきました。ですから定年60ですけど、57で辞めました。」「辞めて一番申し上げたいのは、ほんとに清々しましたね」「組織の中にいたら責任を負わされているんだということが離れてみて初めて分かりました」

 

というような内容を早期退職する人向けの講演で話していた。自分に置き換えて考えてみると身につまされるような気もしてくる。

 

僕が「あーこんなに責任がある仕事なんだ」と思ったのは、初めて学級担任を外れて級外になった時である。学級担任ってすごく責任のある仕事だったんだということをこの時初めて知った。養老先生と同じかどうか分からないが、その場(学級担任)を離れてみて初めて分かったということだ。だって級外なんて結局クラスと関係ないんだもの。とにかく与えられた時間だけを責任を持って授業する、もしそこで何かトラブルが起きたらその時間中に解決する(たまに解決しないこともあった)、それが級外の仕事だ。級外になってからの僕はあんまり子どもにきついことを言わなくなった(ような気がする)。

 

僕が塀の上を歩いているかどうか、それはよく分からないが、組織に対する違和感は確実に抱きながら仕事をしている。昔は右(翼)と左(翼)の間にあるかもしれない細い道を歩いていくんだと思っていたし(今もそう思っている)、組合の先生にもそう言ったことがあったが、彼らは「そんな道はない」と断言していたな。今となっては懐かしい話だ。

 

僕が退職したら、次の日はどんな日に見えるんだろう。というわけで、明日からまた塀の上を歩くべくジタバタしてみよう。

 

 

さてさて。昨日もやったが、言葉の勉強会をちょっとしてみるか。

 

「これから~する時は、解像度を上げて云々」という言葉を散見するようになった。もしかしたら気づくのが遅すぎたりして。まあいいか。でも僕はこの言葉に関しては、浅井健一に軍配を上げたい。

 

2018年発表の浅井健一&THE INTERCHANGE KILLSが発表したアルバムの中の曲「Vinegar」ではこう歌われている。

 

♪食器洗いをする時は まず水につけてから 蛇口止め 油もんは 別にしてやるんだぜ♪細かすぎるのは 生まれつきだ 言ってみれば 解像度高めなんで 幸せはそういうことから始まる 地球のためでもあるんだぜ

 

ここだけ読むと結構笑える歌詞だが、僕はこの曲が大好きで以前記事にも書いた。ベンジーが「解像度高めなんで」というのには驚いた記憶がある。4年前だけど、どうかな?その頃にはもう普通に使われていたのかな?

 

 

「最適解」・・・これも最近よく耳にする言葉である。何で「ベストな手段」とかじゃいけないんだろう。もしかしたら数学というか統計学というかその他の難しそうな学問用語なのかな。成田悠輔や工藤勇一なんかが使い始めたのかもしれない。まあいいけど。

 

自分の考えを誰かに上手く伝えようとする時に捻りだした結果、こういう新しい言葉が生み出されるというか使おうとするのだろう。調べれば分かることもありそうだが、今日は調べないでおこう。日曜日の夕方だしな。

 

忘れていた。一昨日「はたらく人々」を取り上げたが、あの曲の後半は「大阪の女はよくはたらく」とか「高井戸の女はブラブラしてるぜ」とかあろうことか「群馬の女は毛深いぜ」なんて歌っている。現代の尺度で見れば一発アウトの曲になるのかな。あの曲の一番面白いところなのにな。

 

 

今日はこれでおしまい。今からパスタを茹でよう。