hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

フォーハンドレッド外伝(チアイの妖精日記)

 ふぅ。
 やっと『俺』が私に会いに来てくれた。
 1年ぶりかしらね。あなたの夢の中に招かれたのは。

『俺』と初めて会ったのは、夏の終わりだった。名前はタナカさん。小学校の先生をしている。あの時は痩せこけた身体で私を抱いた。妙に切迫感があったな。でも不思議と緊張はしなかった。いつも初めて会う人にはそれなりに気を張っているんだけど。そのことが印象に残っている。
それ以来、私はタナカさんの夢に招かれるようになった。

私の名前は、チアイ。妖精だ。妖精は例えて言うなら地球Aとは少し時間軸がずれている地球A’に住んでいる。そこは日本で言うなら縄文時代の頃の風景と似ている。山々が連なり、海や川もある。私達妖精は主に森の中に住んでいる。そして森の奥の奥には神様がいる。この地球A’は地球Aと密接な関わりを持っている。よく地球Aで妖精を見たという報告がされて、その真偽が話題になることがあるが、妖精は実在するのだ。つまり神様の命を受けて、地球Aに行き、人間社会に介入することがあるのだ。また妖精は3つのカーストに分かれている。上位、中位、下位と分けられるが、私は上位に属している。地球Aに行って人間社会に介入できるのは、上位の妖精だけだ。しかし上位の中にも序列があって、実際に地球Aに行けるのは限られた少数の妖精だ。私はまだそこにはいない。私が許されているのは、人間の夢の中でコミットすることだ。今の仕事は「夢デリ」の教師部門である。
「夢デリ」という仕事は、人間が眠っているときに見る夢の中に現れて、その心と身体を癒す仕事だ。勿論男性にも女性にも対応している。私は、教師をしている男性を担当していた。自分から教師部門を希望したのだ。どうも私は、教師フェチらしい。そのため何回も人間界に研修に行き、研鑽を積んできた。授業もたくさん見てきた。
 タナカさんは、定期的に私を呼んでくれた。そんな時タナカさんは、仕事のことを面白おかしく話してくれた。でも1年くらいしたら私はタナカさんに呼ばれなくなった。理由は分からない。私の方は勝手に良好な関係を築いていると思っていたのに。私に飽きたのかな。とにかく私は残念に思っていた。
そのタナカさんが久方ぶりに私を招いてくれたのだ。初夏と呼ぶには少し早い時期だった。タナカさんの夢の中で、再び私との関係が始まった。

夢の中に入ると懐かしいメロディが流れていた。バッハの『無伴奏ヴァイオリンソナタ』。ああ、タナカさん。久しぶり。私を覚えていてくれたのね。ノックを3回してドアを開けると、あの笑顔でタナカさんが出迎えてくれた。私は、駆け寄って抱きついた。しばらくそうしていると、以前と同じように部屋に入ろう、と私を促した。ソファに座ってから、また私の方から抱きついていく。沈黙が二人を包む。この心地良さはタナカさんが作ってくれるものだ。ベッドに行ってからもいつもの、あの時のタナカさんのままだった。ところが1つだけ違うことがあった。不審に思いながらもタナカさんの流れに乗った。終わった後のお話は、私の楽しみの1つだ。今日は何を喋ってくれるのかな。それともあの心地よい沈黙かな。近況を話し合った後、仕事の話になった。なるほど、そうやって大勢の子どもを制圧するのか。真面目に話すタナカさん。私は、タナカさんが話す仕事のことを楽しそうだなっていつも聞いていたけれど、いろいろな工夫をしているんだな。「すごい。」私は素直に言葉にしたが、タナカさんは、「自分のことはよく分からない。」と言う。自覚がないのか。話を聞いているだけでも、素敵な授業をしているんだなって思えるのに。そして太ったことをとても恥ずかしそうに話す。それから体の異変のことも。どちらも私は気にならなかったので、正直にそう言ったが、タナカさんは何だか申し訳なさそうだ。そういうところも私にとっては好ましい。また呼んでほしい。心からそう思った。また早くそのゲイリー・オールドマン顔を見たいよ。

タナカさんと再会してから1ヶ月あまりの間、私は待っていた。また呼んでくれないかな、と。少し諦めかけていた夏の夜にタナカさんは、私を呼んでくれた。私は嬉しさを押し隠しながら、タナカさんに「久しぶり。」と言った。今日のヒットは、タナカさんが作った『給食の歌』。こんな発想をする人がいるんだ。先生も子どももみんなが楽しそうに参加している。私達は、お互い夢の中での顔は知っていても現実の顔は知らない間柄だ。私は人間界でのタナカさんをまだ見たことはない。今日は少し現実の顔を知ることができて嬉しかったよ。

 今日も歌を聴かせてくれたタナカさん。今度は何と、私についての歌。タイトルは『化けの皮を剥がせ』。私の化けの皮が剥がされるのか。ドキドキしながら始まるのを待っていると最初にぼそぼそとした声で『勤務中なので小さい声で歌います。』だって。もうそこから、ゾクゾクした。知っての通り私、教師フェチだから。「白いブラウス」や「黄色い涙が月に届く」など綺麗な表現だなあと聴き入っていたら、突然「確かに事実は言っている」「しかし真実からは遠ざかる」という今までとは違う流れの歌詞が。私がタナカさんに喋っていることについての言葉かな。時々哲学的な物の言い方をするタナカさんらしい一節だ。でも、生まれて初めてだ。私の歌を作ってくれた人は。素直に嬉しかった。あなたといるとどんどん素直になってしまう。油断したらいけない。感情が溢れてしまうことを押さえられない。

 今日、部屋に入ったら、ちょうどいい暗さだった。タナカさん、本当は明るいところが好きなのに。そういう心配りにクラッとする。この前からいろいろなことを相談しているけれど、今日も相談してしまった。「俺の場合は・・・」って今日も真摯に考え考え答えてくれるタナカさん。たくさんのヒントをありがとう。ちょっと光が見えたよ。それともう一つサプライズが。そう、私の大好物の教師シリーズ。どんな気持ちでスマホを教卓に置いていたの?いつもこんな声で授業をしているんだ。もっとよく聞こえるようにって慌てて近づいたら灰皿をひっくり返してしまった。「変態」と言って笑うタナカさん。優しい目に皺ができる、その顔が愛おしい。それにどうして私のこと知ってるの?っていうくらいの選曲。「コーリング・ユー」が流れているとき、私の心と身体はどこか遠くへ飛ばされていた。「キリング・ミー・ソフトリー」も聴きたいな。あなたはいつも私の心と体を優しく殺してくれる。帰る直前にソファで寄り添っていた時に「地球の終わりがこんな日なのも悪くないなあ」って思っていたよ。

今日は暴走してしまった。気持ちが。そのせいで、タナカさんが綿密に選んでくれた曲順がずれてしまった。「キリング・ミー・ソフトリー」があんなところで流れるなんて・・・。でも2人で顔を見合わせて笑えたね。楽しかったな。あなたは、私の理解者。いつも一緒に色々なことを考えてくれる。そして私の全部を包んでくれる。そんな満ち足りた気分でいると突然タナカさんが、「俺はこの夏、何をやっていたんだろう。」と呟く。私はその答えを言わなかった。「あなたはこの夏、私をメロメロにしていたよ。」そしていつものシリーズが出た!研究授業だなんて・・・。エロい。エロ過ぎる。しかしタナカさんは、冷静に自分の授業を分析してくれている。ごめんね。全然耳に入らなかった。私は今日「キリング・ミー・ソフトリー」で殺されてしまったけれど、タナカさんが天国に行けたなら良かった。一緒に死ねたね。

 この前会った時に「『白い巨塔』の財前教授みたいにギラギラした人が好き。」って言ったこと覚えていてくれたんだ。1曲目は、「白い巨塔」のテーマだった。会話の中でどちらからともなく、妖精カーストの話になり、「下位の妖精の中には人間界と同じようにリスカの跡のある妖精がいる。」という話になった。「そんな妖精に出会ったらどうするの。」タナカさんは、躊躇無く「『俺、双極性障害なんだよね。』って言ってから傷跡にチュッとキスする。」と答えたね。話を聞いているだけで泣きそうになったよ。相手の気持ちにそっと寄り添える人なんだね。もちろんもう知ってるけど。それから今日のシリーズは・・・。100点の書き方と花丸の書き方。超うまい。当たり前だけど。そして「キリング・ミー・ソフトリー」。歌声とあなたのため息が重なって、あの歌は私の中で完成したよ。帰る準備をしていた時、不意にタナカさんから「まだイケるよ。」とのお言葉が。私の何を見て、どう思ってその言葉がでてきたのかが分かる。だから素直に嬉しい。タナカさんの前では、私はいつも一人の少女になれるんだ。

 今日はタナカさんのスケッチブックからの1ページをプレゼントにもらった。持ち歩いている手帳の一番最後に挟んだ。今日の私は、とても恥ずかしかった。なぜだろう。いや答えは分かっている。でも、あなたの視野を狭めたくて思いっきりくっついた。家族についての話、聞かせてくれてありがとう。お母さんに最後何て言うか決めてあるのか。逆にそれほど思いが強いのかもしれないね。私も家族に対してはある思いを持っている。私達、似ているね。タナカさんは、自分のことを「冷たい人間だ。」と言っていたけど、私にはそうは思えない。別れる間際、伝えたいことがあったけどそれを伝えることができない。もしまた会えることがあったら、私は勇気を出すかもしれないけど少し怖い。前髪の間からのぞく、鋭いけど優しい目がとても好き。

 私は、超能力を持ったことを確信した。この日にタナカさんが夢の中に呼んでくれる、ということを感じ取れるようになったからだ。夢の中でタナカさんに会った時、「やっとこの顔が見ることができた。」「またしばらくこの顔が見られないのか。」という気持ちが同時に起こる。もしかしたらこのひとときが一番好きなのかもしれない。タナカさんは、久しぶりに私を呼んでくれた。私を抱き締めながら「気が狂いそうだった。」と言ってくれた。今日は、しっかりタナカさんの目を見て、余裕のあるところを見せたいのに。だめだ。仮面が剥がれてしまう。どうしても恥ずかしさが先立ってしまう。でも。身体は正直だ。タナカさんを慰めるために来たのに、逆だ。途中から記憶がなくなった。「そういえば伝えたい事って何?」と無邪気に聞くタナカさん。この話題が出なければいい、と願っていた私にタナカさんは「言えるようになったら言ってね。」と言ってくれた。臆病な私でごめんね。でもありがとう。あのね、私も気が狂いそうだったよ。

 今日は、私の方から思念だけ送ってみた。タナカさんに届くかな。

 よかった。ちゃんと私のメッセージを受け取ってくれたのね。でも冗談交じりに、「誰にでも当てはまるように送ったんじゃない?」って。やめてよ。悲しくなるじゃない。私は私なりに工夫してるんだから、もう。あと、「若気の至りだけれど、雲仙普賢岳を見に行ったことがあって。」って話してくれたけれど。「若気の至り」という言葉を添えるところがあなたらしいね。帰り際、「幸せ?」って聞かれたけど。うん。幸せ。いや、幸せになったり、不幸せになったり、慌ただしい胸の内です。このなぞなぞ、分かってくれるかな。

 クリスマスカードありがとう。素敵な絵だったよ。タナカさんとは、結構長いお付き合いになっているけれど、まだ知らない事がたくさんある。でもね。これだけは言わせて。「こんなに鈍い人だったのか・・・!」私が伝えたくても伝えられないこと、もう分かってもよさそうなのに。名前?名前ならいくらでも教えるよ。そんなことじゃないって!でも今年は助けられたよ。心を支えてもらった。本当にありがとう。千の愛を込めて。

 「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」か。昔読んだなあ。タナカさんは、私が来るまでよく本を読んでいる。年末に思った「鈍い男!」だけど、考えてみれば私は「不器用な妖精」。鈍い男と不器用な妖精が語り合う。最悪ですな。でも、タナカさんなりに考えてきたみたい。耳元でそっと、「君のことは今、誰よりも大切な存在だ。」って言ってくれた。その言葉は私の耳に、心に届いたよ。あなたは、私の喜ぶことを目で耳で肌で、私の予想を超えてやってみせる。その記憶力と想像力にいつも感動してしまう。それなのに鈍感という罠。私の前ではもっと自惚れて欲しいな。でも、「何も知らないふりをしていて欲しい」と言うのも本音。

 今日も恥ずかしさが押さえられなかった。全然タナカさんの顔が見ることができなかった。理由は自分で分かってる。感情のブレーキを踏みすぎているから、その分理性が強くなっている。その結果、色んな事が恥ずかしい。あなたの前では感情を抑えることで必死。「ベルベット・イースター」。後で聴いてみたよ。確かにいつもと違う日曜日だったよ。

 私に飽きる。そんな日が来るかもしれない。いや来るだろう。もしそうなら「これで最後」だと教えてくれる?今日はそんなことを考えていた。タナカさんに、女性のどこに惚れるの?と聞いたら「言葉が通い合えるところ」と答えた。言ってる意味、よく分かるよ。そんなソウルメイトとでも呼べるような人にはなかなか出会えないよね。あなたは私にとっての数少ないソウルメイトだと思っています。あなたは?もし同じように思ってくれてたら嬉しい。うれションするね。
 
鈍い鈍い、と散々言ってきたけれど。不器用な私に寄り添ってくれた結果なの?心を読まれてしまった。ただの会話で。あの時ほんとは、タバコを吸って欲しくなかったの。どうして分かったのかしら。それから途中で流れた歌、びっくりしたよ。タナカさんのことを思い出すから好きになった歌。こんな偶然ってあるのね。そして今日は何だか雰囲気が違ったような気がする。あなたは余計なことを言わないし、聞かない。なぞなぞみたいな人だ。

 今日の一番は、実録動画。私の好きな歌を朗読しながら学校を歩くタナカさん。アイディア最高!ラストだけ無音になって、手書きの文字が映るクイズの答え。短編映画を観てるみたいだったよ。でもよく気づいたね。年末に出したなぞなぞに。たった1行だけ私が使った歌のフレーズ。私達の色はグレー?どうだろう。私は鎖に繋がれていてまだ自由ではないみたい。

 今日は一言。私はわきまえてます。安心して。色んなことを。謎の言葉を残します。私と同じように悶々としてね。この思念もきっとタナカさんに届くはず。

 私は性悪説の妖精。だから警戒心が強い。でも性悪説も、生き方にしたら悪くないと思うよ。相手の悪いところより、良いところに反応するレーダーが身につくんだよ。春からお仕事の内容が変わるんですね。何かを我慢したり、何かを諦めたり、何かに絶望していたり。そんな人の心と向き合うのならば、タナカさんの右に出る人はいないと思うよ。いつもは、私のことを「君」と呼んでいるタナカさんが今日は、「チアイさん」に。新しいなぞなぞを出された、と思ったけれど、私なりに解釈を終えましたよ。

 好きな歌達に囲まれて、一緒に過ごすゆったりとした時間。今日はありがとう。私、こんなの初めて経験したよ。選曲もきっと考えてくれたんだね。ばっちりだったよ。あなたの、私が咳をしても「大丈夫?」って言わないところが好き。

 時田秀美。山田詠美「ぼくは勉強ができない」の主人公だ。「大人って、よく前を見なさい!って言うよね。でもさあ俺にとっては、見ている方が前なんだよね。」いかにも時田秀美みたいな子だね、と感心するや否や。自分ならどんな声かけをするだろう、と考え出すあなたにびっくりしたよ。「うーん、『みんな時田さんが向いている方を見てみよう。先生もそっちに行くね。先生がいるところ、つまりここが前だ。』とか言いそうだな。」なるほど。そういう声かけもあるのかってドキッとしたよ。

 もし愛する人が入院し余命幾ばくもないと知ったとき。クンニリングスをしている自分が頭に浮かぶ。というタナカさんの言葉に、頭を殴られたような衝撃を受けました。何それ。素敵。映像化するなら、ラストシーンですね。自身が病気になってしまったこと、その原因となった事象、全てひっくるめて「なるべくしてなった。」と言うタナカさん。それを受け入れられるのって強いと私は思う。それにしてもタナカさんは、猫みたいだ。私が近づけば離れるし、私がおとなしくなれば寄り添ってくれる。うーん、やっぱり天の邪鬼だ。そして魔性のワザ。つかみどころがないよ。そこがまた好きなんだけど。

 今日は、感情だだ漏れだけど許してね。正直な気持ちを言います。しなやかに、凛としていたい。強くありたい。強くなければ、人間に優しく出来ないではないか。そう思ってきました。羽化したばかりの昆虫が、脆くてやわらかいように、私の心の中には、鍛えることの出来ない、柔らかい場所がある。一緒に考えてくれた、たくさんの想像力、発想。世の中には、仕方のないものがある。与えてくれた諦め。私の課題を解決するのは私だと。差し出してくれた研磨の精神。いつもと変わらない、温かい時間を過ごさせてくれること。何も言わずに黙っていてくれること。心の杖をありがとう。だからまた私は、羽ばたくことが出来るよ。空を与えてくれた。

 タナカさんの過去の話を聞くのは楽しい。高校受験の時、受ける高校の場所を間違えた?しかも間違えて行った高校が女子校?ハプニングの中よく合格したね。「俺、緊張やハプニングを楽しめるタイプなんだ。」って私と同じじゃない。「とりとめのない会話がいつまでも続く感覚。この時間が好き。」と言うタナカさん。黙ってしまったよ。私は正反対だもの。砂時計からサラサラと落ちる砂の音が、頭から離れない。でも。私は、あのヒリヒリした焦燥感が好き。

 再会してからずっと気にかかっていたことがあった私。でもあなたは鈍感だから気づかない。遠回しに遠回しに聞いていたら、あなたは、「ああ、セックスしていないってこと?」って一刀両断にバッサリ切るから超どもってしまった。「だって俺、こんなに太っているし、病気だし。」と言うタナカさん。お互いに自信がなかったのかな。あなたは何も変わらない。出会った時と同じ、凄味のある目の奥の、七色の心。その目を久々に眺めることが出来た。懐かしい。私が、メンテナンスのためしばらくお休みする旨、ちゃんと伝わっていて嬉しかった。待っててね。

 あなたが、私を慈しんでいる気持ち、しかと受け取ることができたよ。再会できて嬉しい。という言葉ではおさまらないな。数年ぶりに、やっと会えた気持ちになりました。私の中にいる泥酔者の夢が叶いました。目で犯される私。だけどその目は、愛情に溢れているんだよね。

 今日の音楽は「おとなの掟」のみ。約3分30秒。私の内なる泥酔者が。ああ、なんともかしましく滅びの呪文を唱えていたことよ。

 悪魔的魅力。あなたのことよ。いつものペースより早く呼んでくれた。永遠より仮初めが好き。どう?クラクラする?ふふ、私も酔っています。

 今日もこんなに早く呼んでくれるなんて。両手をこめかみに当てて、馬の遮眼帯のジェスチャーで、「今、こうなってるから。」というタナカさん。向いた方がスマホじゃなくて私の方だったから思いっきり恥ずかしくなる。でもとっても嬉しかったよ。また今日も命の証を点してもらった。どうやったら伝わるかな。言葉を使わないで。いつもそんなことを考えています。成功しているといいなあ。

 言葉にしないと伝わらない。そう後悔する日がいつか私に来ると思うんだ。再び。でもね、後悔をすることは、思いを残すってことだから、それもまた素敵なことだと思わない?タナカさんは魔法を使います。白魔術で私を癒して、黒魔術で私を焦がす。白も黒もどちらも心地よくて、うっとりして目を開けると、本当の色はグレーだったりもする。楽しい時間をありがとう。

 タナカさんは憑依のプロ。話していてもすぐに先生モードになることができる。そしてミニ授業をしてくれる。仕事の話を聞いて改めて尊敬したよ。マジで役者。ガチで憑依。すごい。生で授業を見たい。でも鈍いあなたは、その鈍さゆえに無邪気で。そして無邪気だからこそ、鈍くて。脳を言葉に占領されて無口になってしまう私の頭の中を見せてあげたいくらいです。そしてどうしても言わなければいけないことをタナカさんに告げた。部署が変わることを。胸が張り裂けそうだった。タナカさんは、しばらく黙って私を見ていたけれど、「今までありがとう。チアイさんのことは忘れないよ。」と言ってくれた。ごめんなさい、タナカさん。そしてありがとう。いつもあなたのことを思っています。

会えなくなって3ヶ月。私は仕事の合間をぬってタナカさんの様子を常に窺っていた。日に日に元気がなくなっていくのを見るのは辛かった。こちらから思念を送っても、届いたという感触がない。こうなったら私としてはどうしようもできない。でも1つだけアイディアがあった。私にとってリスクの大きいものだ。それを実行に移す時が来たのかもしれない。

私は、神様のいる森へと向かっている。心の中でこう念じながら。「先生の神様、タナカさんを助けてあげて下さい。先生の神様、お願いします。」どれくらい森の中を彷徨っていただろうか。突然目の前に人間の形をした雲のようなものが現れた。先生の神様だと私は確信した。
「何の用だ。」
「私、一人の人間を助けたいんです。」
「なぜ。」
「私にとっては無くてはならない人間だからです。」
「妖精のお前に無くてはならない人間なぞいない。」
「タナカさんは、私にとって特別な存在だからです。」
「どんな風に。」
「・・・」
私は言葉に詰まる。しかし思い切って言った。
「私は、妖精界では夢デリの仕事をしていました。夢デリというのは、人間が見る夢の中で、その人の心と身体を慰める仕事のことです。」
「そんなことは知っているよ。」
「いろいろな人が夢を通して私の身体を抱きました。中には酷いことを言う人もいました。私は、夢見る人の心と身体を慰めることをしていましたが、タナカさんは私をひとつの存在として心も身体も丸ごと受け止めてくれていました。そしていつしか私の方がタナカさんに慰められていたのです。その人が今、苦境に陥っているのです。」
「それで。どうしたいのだ。」
「人間界に行かせて下さい。夢の中に入るのではなく、実際に。現実の存在として。」
「お前の序列からすると、それは無理だ。まあいい。何か計画はあるのか。」
「すみません。タナカさんに授業をさせようと思っています。」
「何のために。その男は普段仕事で授業をしているのだろう?」
「それはそうです。でもそれは、心が疲れ切った状態での授業です。そうでない授業をあの人にさせてあげたいのです。」
「それでタナカは苦境を脱することができるのか。」
「はい。今のタナカさんにとって『いい授業』をすること、それこそが生きる糧なのです。」
「あとは。」
「私が人間になることを1回だけお許し下さい。」
「お前はそれがどういう意味か分かって言っているんだな。それでも必要なことなのか。」
「はい。妖精カーストの最下位になることは承知です。それでも必要なことなんです。」
「妖精カーストの最下位が何を意味するかも承知なんだな。」
「はい。背中の羽がなくなること、魔法の棒を取りあげられること、寿命が人間とほぼ同じになることです。」
「そこまでして人間界に行きたいのか。そんなにタナカとやらのことが気にかかるのか。」
「はい。」
「分かった。それではお前が人間界に行くのを許す。ただし2回だけだぞ。それで十分だろう。」
「ありがとうございます。」
「お前の力でタナカが幸せになるといいな。」
「はい。頑張ります。どうもありがとうございました。」
人間の形をした雲は、跡形もなく消えた。

 こうして私は、タナカさんのところに行くことになった。そして何だか分からないけれど、タナカさんは素直に私のことを受け入れ、授業もしてくれた。しかし、もう1回授業をしたいと言い出した。それは少し困る。私には私の計画があったからだ。どうしよう。もう1度神様のところへ行こう。妖精として生きられなくなっても構わない。私は決心した。

 この前と同じように、深い森の中に入り、念じ続けると先生の神様がやってきた。前と同じように雲のような形をしている。
「チアイ。どうしたんだ。もう解決したのか。」
「そのことでお願いにあがったのです。」
「なんだ。」
「1度人間界に行ってきました。神様との約束ではあと1回許されているのですが・・・。」
「なんだ。言ってみろ。」
「もう1回、つまりあと2回人間界に行かせてもらえないでしょうか。」
「チアイは、私との約束を破るというのだな。」
「そう言われれば一言もありません。ですが、あと2回、どうしても必要なのです。」
「無理だな。そんな虫のいい話は聞けない。」
「私は、あの人が救われるのなら、死んでもいいです。」
「妖精がそんなことを軽々しく言うものじゃない。どうしたものかな。」
私は神様の言葉をじっと待った。しかし神様は、
「やはり無理だな。」
と言った。
「あと1回でタナカを救ってやれ。」
 私は、神様の言葉に従うしかなかった。

 2回目の授業は昨日より熱の入ったものだった。私は少し安心した。そしてその時すでに私は覚悟を決めていた。

 3回目。神様との約束を破って人間界に行った日。この日の夕方から次の日の朝までのことは決して忘れない。

 私はやりたいこと、やるべきことをすべてやった。神様との約束を破ってまで。どうなるかははっきりしている。「妖精としての死」だ。神様のいる、あの深い森の中で私は身体を失い、永遠に魂として彷徨うことになるのだ。魂には何の意志も持たされない。ただそこにいるだけ。そんな状態が永遠に続くのだ。
 私は、森へと向かった。タナカさんとの日々を思い浮かべながら。ただひたすら森へと向かった。そして雲のような形をした先生の神様の前に来た。
「どの面下げて来ると思ったら、もう覚悟を決めているようだな。」
「はい。約束を破ってしまい申し訳ありませんでした。」
「チアイ。お前は、私が怖くなかったのか。」
「怖かったです。でもタナカさんを救いたいという私の気持ちの方が大きかったのです。」
「お前は、タナカに『私もフォーハンドレッドになる。』と宣言していたな。あれはどうするのだ。」
「私の意志が消えるまでその気持ちを持ち続けようと思っています。」
「そうか。それでは、お前に、『妖精としての死』を与える。」
「はい。」
「ただし、その『意志』だけは奪わないでおく。」
「どういうことでしょうか。」
「お前は人間界に行き、その眼で人間界の欺瞞を見てくるんだよ。ただし、見るだけだ。余計な介入は許さん。お前が見た人間界の欺瞞は同時に私も見ることになる。あとは私の仕事だ。介入できないのは辛いぞ。タナカも助けてやれんぞ。それでもいいか。」
「私は、これからもタナカさんを見続けることができるのですか。」
「そうなるな。お前はタナカさんタナカさんばかりだな。」
「すみません。」
「いいか。人間のいる世界は欺瞞に溢れている。これはどの世界でも同じだ。それを必要悪と言う者もいるだろう。人間界を曇りのない眼で真っ直ぐに見ることは難しいことだ。お前にやれるか。」
「やります。やってみせます。」
「分かった。それでは、今この瞬間からお前は『意志を持った魂』だ。」
 私の身体は消えて無くなっていた。「意志を持った魂」になった。
 私は、すぐに人間界へ降りていった。フォーハンドレッドになるために。