hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

過去Ⅱ

「昨日は、俺がいろいろな欺瞞を感じながらも、周りから認められたいって思っていたところまで話したんだね。」
「ええ。それに気づいてあなたは自己嫌悪に陥っていた。」
「そう。だけどね、4校目に赴任した学校で俺に大きな転機が訪れたんだ。その話をするね。」
「ええ。」
「4年生の担任になったんだけれど、とても大変なクラスだった。クラスに強力なボス的存在の子がいて、みんなは逆らえない状況だった。それに自閉スペクトラム症の子がいて、授業中にその子が怒るようなことをボスが言ったり他の子に言わせたりするわけだ。だから授業にならないこともしばしばあった。4月の最初から、子ども達が帰って職員室に戻ると、大きなため息をつく日々だったんだ。そんな時、正確に言えば4月の3週目に声をかけてくれたのは、俺と同じく異動してきた教頭先生だった。『タナカ先生、大丈夫?支援会議を開かない?』って言ってくれたんだ。普通4月に支援会議は開かない。もう少しクラスの様子を見るからな。あんな早い時期に声をかけてくれた教頭先生はすごいと思ったよ。しかも異動してきたばかりなのに。それで、校長、教頭、特別支援学級の先生、養護教諭、俺でチームを作って、みんなで4年生をどう育てていくか考えていくことにしたんだ。」
「俺は、周りの子ども達を育てることに主眼を置いた。子ども達とは放課後よく喋ったよ。その子達の不安や不満をとにかく聞いて、俺自身の気持ちも伝えた。それを根気強く続けることで、少しずつ子ども達は変わっていった。まず授業で発言する子が増えた。そして、クラスについて思っていることを文章に表せるようになってきた。それをみんなの前で言うのには時間がかかったけれど、学級会を開いて自分が思っていることを話し合ったよ。最初は周りの友達から何て言われるか怖くて何も言えなかった子も頑張って話すことができるようになってきた。そしてクラスのボスの影響力は少しずつ弱くなった。」
自閉スペクトラム症の子には、まず行動観察から始めた。どんなことに反応し行動したのかを記録した。でも勿論それだけでは事態はなかなか好転しなかった。そんな時に教頭先生から、自閉スペクトラム症についての講演に行ってみないか?と声をかけられたんだ。藁にもすがる思いで俺はその講演会に行った。そしてその話に感銘を受け、俺は今までしたこともない大勢の人の前で質問をする、ということまでしたんだ。でももっと話が聞きたくて、講演終了後その講師の先生―大学の准教授をしている人なんだけどーのところへダッシュして行き、話を聞いてもらったんだ。とても困っていると。自閉スペクトラム症の子は今こんな状態だと。それを聞いて講師の先生は、『すぐ(俺の勤務している小学校で)ケース研をしましょう。』と言ってくれたんだ。そこから全職員で自閉スペクトラム症の子に対する勉強が始まった。そうやって夏休みの間に気になる子についての対応や周りの子をどう育てるかを話し合って2学期に臨んだんだ。」
「4月に声をかけてくれ、講演会の紹介をしてくれた教頭先生は、その1年間で俺にいろいろ声をかけてくれた。俺を認める言葉をたくさん言ってくれた。例えば全校集会での俺の話し方。まず最初に子どもを認める言葉から始まっていて良かった、とかね。もちろんきついことも言われたよ。でもとにかく俺をつぶさないために気を配ってくれた。3学期になっても色々あったけど、やれるだけのことはやったし、子ども達も随分成長したと思う。いい感じで1年を締めくくることが出来たんだ。」
「教頭先生とは3年間一緒に働くことができたけど、この3年間は俺にとってかけがえのない時間だった。その先生は俺が働いている地域では超有名な先生で、研究授業をした時には、教室が参観者で一杯になるほどだった。教育者として王道を歩んでいる人だと俺は思っていた。一方俺は昨日話したとおり、畳1畳分を確保するためやっきになっていた。だから俺とは無縁の人だと思っていた。でもそんな俺のことを認めてくれたこと、それから俺が、例えば昨日言った『いいです。』とか、そんなことを子ども達に言わせるなんて変だって思っていたことにも同じ意見だった。王道を歩む先生と俺の感覚は似ているのかって思ったときはとても嬉しかったよ。」
「2年目は、6年生を担任をしろと言われた。それで研究主任、児童会の担当もしろと言われたよ。どういうことか分かる?一言で言うと学校全体を動かせってことだ。児童会の仕事は大体分かるよね。研究主任は・・・、学校の校務分掌の中では職員は大きく分けて生徒指導と学校研究の2つに分かれるんだ。その他細かい分掌はあるけどね。それで学校研究の方をやれと言われたんだよ。俺はぶったまげたね。だって学級経営の方が得意だったし、管理職もそう思っていただろうから、やるとしたら生徒指導の方かなって思っていたんだ。学校研究っていうのは、児童の実態を見て、じゃあこの教科でこんなことを育てていこうと決めて取り組む分掌だ。そのリーダーが研究主任だ。何より教科の専門性が問われるポストだ。何年を担任するかより先にこっちの方が先に言われたな。そんな大役できませんって言ったよ、勿論。でも教頭が言うんだ。『タナカさん、あなたもこれから年を重ねてやがて管理職になっていくんでしょ?それともすごい授業をする先生として教員人生を終わるつもり?』ってね。『そんなすごい授業できるわけないじゃないですか。』『だったら研究主任を経験しておくべきよ。』これで話は終わり。断るもくそもなかったな。そこからが当然だが大変だった。」
「研究主任って何をやればいいんだ?から始まったからね。前任の先生に聞いても『あなたがやりたいようにやればいいじゃない。』と言われて途方に暮れたよ。だから教頭先生のところに行って質問しに行くことになるわけだ。何の考えも持たずに行くとすぐに見破られるし、何をどう考えていいか分からない状態がずっと続いたよ。でもとにかく分からないからいつも赤ボールペンを持っていって教頭先生の言うことを書きまくっていたな。『先生、すみません、もう1回言って下さい。』って言っても『もう忘れた。』って突き放されるし。その時からメモを取る癖がついたな。結果的に研究主任を3年やったんだけど、あの3年で授業の見方は変わったよ。算数が学校研究の教科だったんだけど、より数学的な見方ができるようになった。少しだけね。だから授業整理会でも自分の意見が言えるようになってきたよ。」
「それに6年担任として、また児童会担当としての仕事もあった。今までもそうだったけど、俺は『いいクラス』を創りたかった。俺にとっては、『子ども同士の関わりが深い』ことが『いいクラス』だった。だから今まで受け持ってきたクラスではよく学級会をしていたよ。さっきも言ったけど、それぞれの子ども達が思っていることをみんなの前で話すことで、子ども同士の関わりを深めていこうとしていたんだ。6年生は周りの先生から見ると『できのいいクラス』らしかったが、俺にはそう見えなかった。周りの友だちや先生の顔色を窺って行動する子が多かった。授業でも決まった子しか発言しないし。子ども達の学習に対する姿勢については随分子ども達に話したな。子ども達は『セッキョー』と呼んでいたけど。2学期になると随分心がほぐれてきたな。授業でもいろいろな子が発言するようになったし。1学期の『セッキョー』の成果がでてきたな、と思えるようになった。児童会の活動では、もう子ども達に任せても大丈夫だった。」
「そんな風にして大変だったけれど充実した時間を過ごすことができた2年目だったけれども5年生、つまり昨年度俺が担任した学年がどんどん崩れていった。支援会議を何度も開いたけれども上手くいかないまま1年が過ぎようとしていた。」
「そして3月のある夜に言われたんだ。教頭先生と2人で職員室で仕事をしていた時に、さりげなく『タナカさん、来年6年を受け持ってくれない?』って言うんだ。俺はその頃にはもうあの子達を受け持つ決心をしていたから『いいですよ。』って答えたんだ。またあの戦いが俺を待っていた。」
「3年目。6年、学校研究、児童会。昨年と同じだがクラスが違う。ボスは以前健在だったが、自閉スペクトラム症の子は、昨年度から特別支援教室に在籍していた。俺の、俺達のしたことはまず『ほめシャワー』だ。子ども達のどんな小さな事でもとにかくほめること。それをポストイットに書いて他の子にも読めるようにすること。とにかく自尊感情の低い子ども達だったから1年目にお世話になったあの准教授の先生のアドバイスをもとに取り組んだんだ。俺は、毎日子どものいいところ、素敵な姿を書き留めておいて、日曜日学校で子ども達のよかったところをポストイットに書いて、教室の後ろに全員分貼っていた。そうすると月曜日の朝には、みんなが新しい『ほめシャワー』を読むことになる。全員が肯定的な気持ちで一週間を始められるようにした。それを毎週続けたんだ。この取組で俺は子どもの見方を鍛えることができたよ。毎日目を皿のようにして子ども達を見ていたからね。」
「それから、4年の時と同じように周りの子を育てようと思った。放課後にクラスを変えていくための核になる可能性を持っている子ども達に声をかけ、今のクラスの状態を話し合ったり、その子が思っていることを聞いたりした。それを夏休みも続けたんだ。子ども達は『補習』と呼んでいたよ。そうしたら自閉スペクトラム症の子も夏休みに『補習』に参加するようになったんだ。徐々に輪が広がってきて、2学期にはいろいろな子が参加するようになった。みんなは『補習』と呼んでいたけどね。勉強はほとんどしなかったな。話し合いとエンカウンターと遊びばかりしていたよ。そして核になりそうだと目をつけていた子が児童会の会長に立候補したんだ。昨年度転入してきた子だった。その子が中心になってクラスが少しずつ変わってきた。女子やボスをも巻き込んだ大きな動きが生まれたんだ。でも結果的にボス的存在の子はクラスに居づらくなって同じ中学校にいくことはなかった。これは今でもおれにとって、大きな傷として残ってるよ。」
「この年度の11月だったと思う。ずっと、『補習』や『ほめシャワー』を続けて成果を上げていたけど、同時に疲れてもいた。例えて言うと、ガソリンがもうないのに、無理矢理車を走らせている気分だった。そしたらある日、子どもが俺にちょっかいをかけてきたんだ。普段の俺だったら適当に流すんだけれど、この時は流せなかった。その子に冷たい口調で怒ってしまったんだ。そのことを教頭先生に言うと、病院、つまり心療内科や精神科に行けばどう?と言われたんだ。当時は今ほどメンタル方面の病院に行くことが当たり前ではなかったから、ものすごく抵抗があったよ。でも疲れは取れないので、心療内科に通うようになったんだ。薬を処方してもらってなんとか卒業式を終えることができた。」
「その年で教頭先生は異動した。4年目は、自分が頑張るしかないんだと思いながら仕事をしてきたよ。あんな体験をさせてくれた教頭先生がいなくなったからといって、今までの俺に戻るなんて考えられなかった。でも1学期でついにガソリン切れの車は止まってしまったんだ。なんとか1学期を終えた俺は、夏休みを病休した。そして、結果的には2学期も病休することになったんだ。セカンドオピニオンを求めた俺は、医者から『あなたは双極性障害です。』と言われた。躁鬱病のことだよ。『あなたは頑張りすぎたんだよね。その後ドーンと気持ちが落ちる。』って。そこからおれの精神疾患との付き合いが始まった。今もそうだよ。眠剤なしでは眠れないんだ。」
「と同時に、俺の、何て言うんだろう、『傲慢さ』が頭をもたげてきたんだ。」
「どういうこと?」
「学校研究の話になると、夢中になってしまい、必ず意見するようになったんだ。しかも強い調子で。テレビの討論番組でよくいるだろ?強い口調でまず否定から入る人が。あんな感じになったんだ。きっと周りの職員は俺のことを苦々しく思っていたはずだよ。」
「つまり、あなたの教員人生の前半は、他の先生と違ったことをすることで自己確認をしつつ周りから認めてもらいたがっていた。でもその後得難い3年間を過ごし、それによっていい授業を目指す、教育者としての王道を歩もうとする先生になったってことね。それで、教頭先生がいなくなってもずっと頑張ってきて病気になり傲慢にもなった。そう言いたいのね。」
「短く言うと。そうなるかな。」
「路上ライブのことは?」
「ああ、そう言えば後で言うって言ってたな。一緒に音楽を作った同僚と、『やる?』って話になって始めたんだ。でも2人のスケジュールを合わせるのが大変になってきてじゃあ一人でやっちゃおうってなったわけ。初めて駅前でやった時の恥ずかしさっていったら今でもしっかり覚えているよ。何回やってもギターケースを開いてギターを出し、構えるまでが恥ずかしかったよ。それでも仕事が終わった夜、駅前でやっていたんだ。そこでミチロウのライブで学んだことを活かせたよ。ギターの弦は切れてもそのまま演奏する。歌詞を忘れても構わずに突き進む。どんどん俺はいい意味で図々しくなってきた。それは授業にも大いに活かされたよ。特に研究授業の時は緊張しなくなったな。授業をしながら参観している先生のことも見られるくらい余裕を持って授業ができるようになったからね。話を路上ライブに戻すけど、思い知らされたのは、歌い手っていうのは、歌う動機がないと声に説得力がでないってことだな。ライブで歌っていた曲を録音して聞いてみて俺の声には歌う動機が感じられないって思ったよ。だからそれこそ、清志郞やジョンには、強烈に歌う動機があったってことだよな。」
「どれくらい続けていたの。」
「1年以上かな。多い時には週に3回も4回も駅に行っていたよ。」
「興味深いわ。」
「何が?」
「いろいろなことに欺瞞を感じる『俺』と王道を歩もうとしている『俺』とのバランスの悪さ。『俺』が昨日言っていた、右翼と左翼の間の細い道と、教育の王道がどうも重ならないのよね。」
チアイはそう言って、ふわふわと宙を舞い始めた。
「何してるの?」
「考え事。邪魔しないで。」
ふぅ。一体何を考えるというのだろう。いいじゃないか。私の歩む道のことなんて。
でも何やかんやいってこんなに自分のことを語ったのは初めてだ。自分がどういう教員だったのかも改めて知ることができた。
「ねえ。これからちょっと神様のところに行ってくるわ。」
「俺のことについての相談?」
「まあね。またあなたのところへ来るわ。必ず。」
「いつ頃になるかな。」
「それは分からない。」
「期待しないで待ってるよ。とにかくこの2日間は楽しかった。ありがとう。」
「どういたしまして。」
チアイはフッと消えていなくなった。なんだ、そんなこともできるんだ。