hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

過去Ⅱ-③

「3年目。6年、学校研究、児童会。昨年度と同じだがクラスが違う。ボスは以前健在だったが、自閉スペクトラム症の子は、昨年度から特別支援教室に在籍していた。俺の、俺達職員のしたことはまず『ほめシャワー』だ。子ども達のどんな小さな事でもとにかくほめること。それをポストイットに書いて掲示して、本人にも他の子にも読めるようにすること。とにかく自尊感情の低い子ども達だったから1年目にお世話になったあの准教授の先生のアドバイスをもとに取り組んだんだ。准教授の先生もずっと関わってくれていた。俺は、毎日子どものいいところ、素敵な姿を書き留めておいて、日曜日に学校で子ども達のよかったところをポストイットに書いて、教室の後ろに全員分貼っておいた。そうすると月曜日の朝には、みんなが新しい『ほめシャワー』を読むことになる。全員が肯定的な気持ちで一週間を始められるようにした。それを毎週続けたんだ。この取組で俺は子どもの見方を鍛えることができたよ。毎日目を皿のようにして子ども達を見ていたからね。」


「それから、4年の時と同じように周りの子を育てようと思った。放課後にクラスを変えていくための核になる可能性を持っている子ども達に声をかけ、今のクラスの状態を話し合ったり、その子が思っていることを聞いたりした。それを夏休みも続けたんだ。子ども達は『補習』と呼んでいたよ。そうしたら自閉スペクトラム症の子も夏休みに『補習』に参加するようになったんだ。徐々に輪が広がってきて、2学期にはいろいろな子が参加するようになった。みんなは『補習』と呼んでいたけどね。勉強はほとんどしなかったな。話し合いとエンカウンターと遊びばかりしていたよ。そして核になりそうだと目をつけていた子が児童会の会長に立候補したんだ。昨年度転入してきた子だった。その子が中心になってクラスが少しずつ変わってきた。女子やボスをも巻き込んだ大きな動きが生まれたんだ。でも結果的にボス的存在の子はクラスに居づらくなって同じ中学校にいくことはなかった。これは今でもおれにとって、大きな傷として残ってるよ。」


「この年度の11月だったと思う。ずっと、『補習』や『ほめシャワー』を続けて成果を上げていたけど、同時に疲れてもいた。例えて言うと、ガソリンがもうないのに、無理矢理車を走らせている気分だった。そしたらある日、ある子どもが俺にちょっかいをかけてきたんだ。普段の俺だったら適当に流すんだけれど、この時は流せなかった。その子に冷たい口調で怒ってしまったんだ。そのことを教頭先生に言うと、病院、つまり心療内科や精神科に行けばどう?と言われたんだ。当時は今ほどメンタル方面の病院に行くことが当たり前ではなかったから、ものすごく抵抗があったよ。でも疲れは取れないので、心療内科に通うようになったんだ。薬を処方してもらってなんとか卒業式を終えることができた。」