私の手の中にソフトバレーボールが現れた。私は、
「はいっ」
と言っていきなりスズカにボールを投げた。スズカはびっくりした様子だったが、上手くボールを取ることができた。
「はいっ」
と私はスズカの方に手を出してボールを返して、というポーズをとった。スズカからボールを受け取ったらハジメ、レン、シンヤ、タケル、マナの順に同じ事をした。
「みんな上手だったね。スズカさん、いきなりボールを投げられてびっくりしたでしょ。反射神経いいね。」
「シンヤさんは先生が高く投げすぎたのを上手くキャッチしてくれたね。ありがとう。」
と言うと、タケルが、
「先生、先生が僕に投げたボールは低すぎたよ。」
と言ったので、
「そうだったな。あれも上手く取ってくれたよな。ありがとう。」
とタケルに言った。
よし、いい感じだぞ。
「みんなと一緒にしたのは、この図です。」
私は、先生と子ども一人一人が線でつながれた紙を黒板に掲示した。みんなでそのことを確かめ合ってから、黙って次の図を見せた。
今度は、子ども達同士が線でつながっているものだ。しばらく間をおいて、
「じゃあこれは?できる?」
と聞くと、みんな口々に出来るとか出来そうと答えたので、
「じゃあ、やってごらん。最初は先生からだよ。」
スズカがパッと手を出した。続けてタケルも。私はあえてシンヤにボールを投げた。自信がなさそうだったが、この距離なら取れると思ったからだ。問題はシンヤが誰に投げるかを自分で決められるか、だ。そう思ってシンヤに投げた。シンヤは取ることができたが、案の定誰に投げればいいのか困っている。すると、ハジメが、「誰でもいいんだよ。」
と言った。スズカとタケルは予想通り、自分にボールをくれと言っている。シンヤは、タケルにボールを投げた。タケルはスズカに投げる。スズカは、
「誰かいない?」
と聞いた。誰も反応しないので、
「ハジメ!」
と言って、ハジメにボールを投げた。ハジメは戸惑いながらもボールを受け取った。残るは、マナとレンだ。マナとレン、そして周りのみんなはどうするだろうか。すると、ハジメが、
「頑張れ!マナ、レン!」
と言った。しかし2人は手を出さない。これを乗り越えられないと授業は出来ないと思っている私は、じっと6人を見守った。
レンが手を出した。ハジメがすかさずレンにボールを投げる。レンがキャッチすると、
「ナイスキャッチ、レン。」
とみんなが言った。レンがマナの方を見ると、マナが手を出した。まぁ、この状況じゃあ仕方ないか。
「ナイスキャッチ、マナ。」
みんなが言った。みんな心が少しほぐれたようだ。
「忘れてる人がいるぞ。」
と私は言って、先生のところにも線が引いてあるところを示した。
「マナ、先生に投げろ!」
みんなが口々に言うと、マナはニコッと笑って私にボールを投げた。
これをもう少し子ども同士がやり取りする回数を増やして取り組んでから私は、
「2つ目の図でボール投げをした時にシンヤさんが困っていたら、ハジメさんが『誰でもいいんだよ』って言ってたのは素晴らしかったなぁ。マナさんとレンさんにも声をかけていたね。」
「スズカさんとタケルさんは、最初から手を出していたね。積極的だったよ。」
「みんなが、『ナイスキャッチ!』って言っていたのも素敵だったな。」
「シンヤさんやレンさんやマナさんは、自分で勇気を出してボールを取ったり投げたりすることができたね。これを難しい言葉で言うと『自己決定』と言います。つまり自分で考え行動に移す、ということです。」
「先生は、みんなに自己決定できる人になって欲しいと思いながらいつも授業をしています。」
私は、黒板に「自己決定」と書いた。
「今やったことは、授業の形でもあるんだ。ボールを投げることが、言葉になるってわけだ。先生が話したり、みんなが発言したりっていう風にね。」
「ところで先生は1つ目の図の時からすごいなって思っていたんだけど、みんなボールを下から投げていたね。相手の友だちが取りやすいように。素晴らしいな。あの投げ方は言葉にするとどんな言い方になるかな。」
スズカが、
「優しい言い方だと思います。」
「なるほど。タケルさんはどう?」
と聞くとタケルは、
「下から投げるとボールが取りやすいから、言葉にすると分かりやすい言葉だと思います。」
「反対に、上から速いボールを投げたら?」
4人が挙手した。私は挙手していないレンを指名した。
「きつい言葉だと思います。」
「きつい言葉って?例えばどんな?ハジメさん。」
「『こんなことも分からないの?』とか『早くしろよ。』とか。」
「そうだな。これからも下からボールを投げる授業にしていこうね。」
そして私は、子ども達の顔を一人一人見ながらゆっくりとこう言った。
「じゃあ、みんなに聞くよ。みんなは、1つ目の図と2つ目の図のどちらの授業を目指したい?しばらく考えてみて。」
顔つきを見ると、すぐに決まった子、うーん、と考えている子がいた。すぐに決まった子は大体どちらを選んだか予想ができる。おそらく2つ目の図だ。うーん、と考えている子がいることはいい兆候だ。結果が楽しみだ。
「それでは手を挙げてもらいます。」
「1つ目の図がいいという人」
挙手する児童はいなかった。
「2つ目の図がいいと思う人」
5人が挙手した。
タケルが、
「レン、なんで手挙げないの。」
と言った。
うーん、と困った顔をしたレンは、黙っている。
「じゃあ、レンさんにはどっちか決めたら言ってもらおうかな。」
よかった。困っている子がいて。と心の中で思いながら、
「他のみんなは、どうして2回目の図に手を挙げたの。」
と聞くと、3人が手を挙げた。マナとシンヤは手を挙げない。まだ、ちょっと硬いかな、と思いながら、
「順に続けて言ってみて。」
と言った。あえて指名せずにどうするか様子を見てみた。
タケルが、
「俺から言うね。いい?」
他の子がうんうんと頷いたので、タケルは
「1つ目の図だと先生が喋ってばかりで何かつまらない感じがするけど、2つ目の図はみんなで意見を言い合っていて楽しそうだからです。」
続けてスズカが、
「タケルさんと似ていて、2つ目の図はみんなで話し合って問題を解決しているんだと思います。そっちの方が勉強になると思ったからです。」
そしてハジメが、
「先生の話を聞くだけじゃあ勉強にならないと思うから2つ目の図にしました。」
と発言した。
「なるほどなぁ。みんなの話、とても分かりやすかったぞ。」
「ひとつ聞くよ。タケルさんとスズカさんの発言の中に同じ言葉がありました。それを聞き取れたかな。」
みんなうーんと首をひねっていたので、
「もう1回言ってごらん。」
と言って、言わせたら、ハジメがあっ、と声を出した。
「ほら、ハジメさんが気づいたみたいだぞ。」
他の子は、やはり分からないという顔をしていたので、
「こういう時は、『もう1回言って下さい。』って言えばいいんだよ。」
と言った後、
「じゃあ助け船を出すね。その言葉を通り過ぎたら、ストップをかけるね。タケルさんから言ってみて。」
タケルが、
「~みんなが言い合って、」
と言った瞬間にストップをかけた。すると、マナがあっ、と声を出した。気づいたようだ。ここはマナに頑張ってもらおう。マナを指名した。
「『言い合って』と『話し合って』の『合って』だと思います。」
するとみんな、あーんと言って納得した。
「そうだね。『合って』という言葉を二人とも使っていたね。先生はこの『合う』という言葉を大切にしています。だって『合う』がないと、2つ目の図にならないでしょ。」
さっきと同じように、「合う」と黒板に書いた。
「授業で使う『合う』って、『言い合う』『話し合う』の他にどんな言葉がありますか。」
「質問し合う」「聞き合う」「確かめ合う」などの言葉が出てきた。さあ、そろそろレンの出番かな。
「レンさんは、どう?決まった?」
と言うとレンは意を決したように、
「私は、1つ目も2つ目も大切だと思います。」
と発言した。他の子は、ハッとした顔をしてレンの方を向いた。
「だって、1つ目の時みたいに、先生の話を聞かなきゃいけない事もあると思うからです。」
聞いている他の子達は「ほう~」「なるほど」などとつぶやいている。
「でも2つ目みたいにみんなで解決しなきゃいけない時もあると思う。だからどっちも大事だと思います。」
今度は、他の子達は、レンに拍手を送った。
「何?その拍手は。言葉にしてみて。」
「私は、2つ目だけを目指したいな、って思っていたけど、確かに先生の話を聞かないとどうしていいのか分からない時もあるから、レンさんの意見に賛成です。」
とスズカが答えた。
「なるほど。それでは、1つ目も大事、2つ目も大事、でいいんだね?こんな風に友だちの考えを聞いてなるほどって思うことはとても大事なことなんだよ。そういうのを『自分の考えが豊かになる。』と言います。「豊かになる」って「たくさんになる」っていうことなんだ。友だちの発言のおかげで自分の考えが豊かになるからみんなで授業をする意味があるんだ。
私は黒板に「豊か」と書いた。
「じゃあもう少し授業のことを考えてみるぞ。」