hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

美空ひばりを聴く日が来るとは

今日は、サボらずにウォーキングをしてきた。桜並木を見ると、蕾がもう「開きたいよー」と言っているようだった。明日明後日どうなるか楽しみである。しかし僕も桜の開花を楽しみにするようになったのか。時は経ったのだなあ。

 

 

そんなことも関係しているのか分からないが、最近美空ひばりが気になっている。きっかけはほんの些細なことだった。

 

 

ある日、アップルミュージックで「70年代ヒット曲」みたいなのを流していたら、寝そべっていた妻がイントロを聴くだけで歌い出したのだ。これは面白い、と思い次々と曲を流してみた。そうしたら次々と歌い出すので驚いた(妻も自分で驚いていた)。そんな調子で「80年代ヒット曲」コーナーにいったところ美空ひばりの「川の流れのように」に出会ったというわけだ。

 

 

勿論妻は歌い出した。しかしすぐに歌うのを止め、聴き入っている。そして「美空ひばりって歌上手いねー」と言ったのだ。僕も同感だった。何だか今まで流していた歌とは明らかに違う。美空ひばりなんていう不世出の大歌手に何て不遜な、と思ったが、いやー、気づいてよかった。

 

 

それ以来、思いついたように「川の流れのように」を聴いている。シングル盤で欲しいなと思ったが、メルカリでは出品されていない。いつかレコードで聴きたいものである。

 

 

この歌が発表された当時のことは何となく覚えている。作曲が見岳章と書いてあった。僕は見岳章って一風堂のメンバーとして認識していたから少し驚いた。演歌もやるんだ、と思ったものだ。

 

 

作詞は秋元康。当時は絶賛売り出し中だったはずだ(多分)。ちょっと調べてみるか。気になったところだけを引用させてもらおう。

 

 

「『川の流れのように』は、1989年1月11日に発売された。美空ひばりの生前最後に発表されたシングル作品である」

 

「作詞は秋元康、作曲は見岳章によって行われた。・・・元々は1988年12月発売のアルバムの表題曲で、シングルカットは、当初スタッフの意見は全員一致で『ハハハ』にするつもりだったが、ひばり本人の強い希望もあってこちらに変更された」

 

「元々、アルバム『川の流れのように~不死鳥パートⅡ』は『自分の歌から遠い若い世代の人たちにメッセージを残したい』というひばりの意向により制作されたため、作詞には当時、作詞家・放送作家として若者から人気を得ていた秋元が起用された」

 

「ひばりは自分の人生と本楽曲を重ねて『1滴の雨が木の根を伝い、せせらぎが小川になる。水の流れがあっちにぶつかり、こっちに突き当たりしながらだんだん大きくなる。やがて大河となり、ゆっくりと海にたどり着く』と発言し、本楽曲のシングルカットを希望した」

 

 

とまあ、こんな感じである。この曲に美空ひばりは並々ならぬ決意をもって臨んだのだろう。1989年(平成元年)1月11日に発売されて、その年の6月に美空ひばりは52歳で死去している。1月には自分の死期も感じていたのだろうか。

 

 

こうなると歌詞も断然気になってくる。どうしよう、もう1回だけ引用しちゃおうか。

 

 

知らず知らず 歩いて来た 細く長い この道

振り返れば 遥か遠く 故郷が見える

でこぼこ道や 曲がりくねった道 地図さえもない

それもまた人生

ああ 川の流れのように ゆるやかに いくつも 時代は過ぎて

ああ 川の流れのように とめどなく 空が黄昏に 染まるだけ

 

生きることは 旅すること 終わりのない この道

愛する人 そばに連れて 夢探しながら

雨に降られて ぬかるんだ道でも いつかはまた 晴れる日が来るから

ああ 川の流れのように おだやかに この身をまかせていたい

ああ 川の流れのように 移りゆく 季節 雪どけを待ちながら

 

ああ 川の流れのように おだやかに この身をまかせていたい

ああ 川の流れのように 青いせせらぎを 聞きながら


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ついつい最後まで書いてしまった。これは平成元年の僕にはピンと来ない歌詞だった。それはしょうがない。まだ何にもやっていない、やろうともしていない人間だったからなあ。この歳になってやっとしみじみといいなあって思うことができる。ある程度のことは(いろいろあったとしても)やったかなって思っている人や、もう残り人生は短いんだって思っている人に響く歌詞なのではないだろうか。当時の若い人たちにこの歌は届いたのだろうか。

 

 

 

もう3月も31日で、今年度は今日で終わったんだな。

 

 

 

 

それでは。