hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

クイーンを支持した日本人女子ってすごいな

タイトルを正確に書くとどうなるかというと「1970年代に音楽雑誌『ミュージック・ライフ』が推したクイーンに目をつけて彼らを熱狂的に迎え入れた昭和日本人女子の目は確かだったな」となる。そしてそのことに50数年経ってやっと気づくことができて僕は嬉しい。

 

 

僕が初めて買った音楽雑誌が「ミュージック・ライフ」だった。写真の質と量、本の分厚さに惹かれて買ったのだ。何冊目かに買った号のタイトルは確か「さらば70年代」だったように記憶している。だから1979年から買い始めたのだろう、きっと。

 

 

僕がこの本を買うようになった当時この雑誌が推していたのはチープ・トリックだった。このバンドにも日本人女子は飛びついた。そして次に来たのがジャパン。勿論日本人女子の餌食(当時僕にはそう見えた)になった。

 

 

話をクイーンに戻そう。僕の記憶だと当時編集長だった東郷かおる子がクイーン、キッス、エアロスミスを強力にプッシュしたんではなかったかな。それに日本人女子はのった。特にルックスが他の2組と比べてよかったクイーンに熱狂的な声援が送られた(はず)。僕が読み始めた頃はもう御大みたいな存在になっていたけれど、ロックビギナーの僕でも分かるくらいクイーンの人気は絶大だった。

 

 

僕は彼女達のことをミーハー(分かるかな?)な人たちだなぁ、と思いつつ彼らの音楽を友だちを通して聴くだけだった。つまりそこまで思い入れはなかった。アルバムを買ったのなんて大分後になってからだ。それも「世界に捧ぐ」だけだ。しかし、昭和のミーハー女子はクイーンを支持し続けた。やがてクイーンは世界的に有名なバンドとなる。これで合ってる?付け加えると昭和の少年たちもクイーンを受け入れていた。ですよね?

 

 

 

僕が今日書いておきたいことは、ミーハーな人がムーブメントを作っていくということ、その人達の目は確かだから侮ることなかれということ、そして今もミーハー心を持ったままバンドを応援しているのだろうということだ。

 

 

それにしても驚くべきはクイーンが未だに(フレディ・マーキュリー亡きあとも)現役でいることだ。当時騒いでいた人たちももういいおばあちゃんになっていることだろう。彼女達はアダム・ランバートのことをどう思っているのだろう。きっと受け入れているように思う。そういえば、ポール・ロジャースも加入していた時期があったな。こっちの時はおじさん受けしてたかもしれない。

 

 

とにもかくにも映画が作られるほど、そしてその作品が世界中で大ヒットを記録するくらいビッグな存在になったクイーンに今頃僕は夢中になっているというわけだ。いつの間にか「クイーンⅡ」(1974)「シアー・ハート・アタック」(1974)「オペラ座の夜」(1975)「華麗なるレース」(1976)「世界に捧ぐ」(1977)「ジャズ」(1978)「ザ・ゲーム」(1980)と7枚ものレコードが僕の家に揃った。あとはデビューアルバムを手に入れれば初期クイーンをコンプリートしたことになる。

 

 

それにしても僕がクイーンに夢中になる日がくるとは思いもしなかったな。フレディのヴォーカルは置いておいて、ギターもベースもドラムスも好きだが、今はロジャー・テイラーのドラムを特に気に入っている。そういえば今まさに絶賛来日中だったよなー。

 

 

さて、あとは僕にキッスブームが来るかだよな。これはさすがに来ないような気がする。

 

 

 

明日から4日間仕事だ。授業は16コマなので気は楽といえば楽だ。いつも購読している方のブログも読めていない状況だが、頑張って生き延びていこう。

 

 

 

 

じゃあね!