「絶賛解散中」から始まった(はず)

最近(でもないか)、「絶賛」の後に否定的な言葉を付けて「ねえ、みんな聞いて」みたいに使っている人を散見する。例えば「絶賛喧嘩中」とかね。この「絶賛」+「否定的な表現」の始祖は遠藤ミチロウであるというのが今日の主訴である。

 

時は1985年2月21日。この日ザ・スターリン(第1期)の解散コンサートが調布市大映スタジオで行われることになっていた。僕は、宝島(当時の若者がみんな読んでいた雑誌?)か何かでザ・スターリンが解散することを知った。

 

 

僕がザ・スターリンのコンサートを初めて観たのは、1983年の5月だと記憶している。確かその頃500円玉なるものが登場したはずだ。コンサート会場の前で待っているとファンクラブだと思われる人がやって来て「買いませんか?」と会報みたいなの(何て言ったっけ?)を見せてきた。僕は是非欲しいと言って500円玉を出したのであった。その人は「わぁ~、新しい500円玉だー」とか言って喜んでいたな。

 

ああ、またひとつ思い出した。みんな何となくバラバラになりながら会場を待っていた。その時に僕と目が合った女性がいた。その女性は僕のところにやって来て話しかけた。僕はザ・スターリンを観るのは初めてだと言ったら私も、と言い、その後もいろいろ喋ったのであった(連絡先も交換した)。コンサートは素晴らしかった(随分前に書いたことがある)。素晴らしい?うーんちょっと違うな。こんなに怖ろしいコンサートを見たのは初めてだった、と言えばいいのかな。

 

まずミチロウが怖かった。そして観客のパンクス達も怖かった。ミチロウはこの世の物でないモノになって歌っていた。パンクスは普通に凶暴で怖かった(この言い方もアレですね、ちょっと似てますね。「フツーに」なんてそれこそ2000年に入ってから使われるようになったよね)。僕はパンクスに殴られるのが怖くて一番後ろの席に座ってコンサートを観ていた。この時初めて見たミチロウがこんなだったからかもしれないが、この世の物でないミチロウが観たくて、その後も追っかけるようになった。

 

そして1985年。前年の11月に「フィッシュ・イン」という4枚目のアルバムを発表したザ・スターリンは年が明けてから突然解散を発表する。ラストライヴが東京の大映スタジオというところで行われるとアナウンスされていた。僕は、これは是非見に行かなければ、と思った。そして最初のコンサートで話しかけられた女性に連絡を取った(この女性とは時々会っていたのだ)。一緒に行きませんか?と誘ったところ行くと答えたので、飛行機で東京に行くことにした。

 

しかし、マズいことがある。僕の姉は空港に勤務している。僕はその空港で長期休暇の時にうどん屋さんでアルバイトをしているので、他の人とも知り合いだ。どうしよう。どうしたんだっけ?確か友だちの力を借りたんだった。とにかく上手いこと網の目を潜り抜けて無事飛行機に乗ったんだった。何でこんな話になったんだ?早くタイトルの話に行かなきゃな。

 

 

羽田からモノレールに乗って、その後京王線だか何だかに乗って調布市に行った。その後は全然困らなかった。町中パンクスで溢れかえっていたからだ。彼らの後をついていき、無事大映スタジオに辿り着いた。そこで入場する時にもらったチラシに「絶賛解散中」と書いてあったんだと思う。その文言を見て「やられた!」と思ったものだ。またしてもミチロウは新しい言葉を発明した。普通は「絶賛発売中」とかで使う言葉をマイナスの言葉とくっつけて、今の状況を一言で表している。そして僕たちを嘲笑っている。痛快な言葉だった。(よく見たら「絶賛解散中!?」となっていた)「I WAS THE STALIN」と書いてあるのも素晴らしかった。



 

この「絶賛解散中」という言葉遣いが今の「絶賛喧嘩中」とか「絶賛コロナ中」とかいろいろな場面で使われるようになったと僕は思っている。

 

 

解散ライヴは最高だった(でもライヴ盤で聴いてみると今イチだった。記憶は都合よく書き換えられていたのかな)。その後、彼女と2人でラーメンを食べ、ホテルに帰ったのであった。あ、もちろん別々の部屋ですよ。初心だったもんでね。切り出せなかったんだよ。「ツインでいい?」ってね。

 

その後も彼女と会うにはあったが、ザ・スターリンという共通項がなくなったので、尻すぼみになっていったのであった。僕より5歳くらい年上の、可愛い顔をした女性だった(これも記憶を書き換えているとしたら怖ろしい)。

 

 

もし、1985年以前にこういう使い方をした人がいたら是非教えて欲しいものだ。僕はミチロウが始祖だと思ってるんだけどなぁ。