hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」2

2011年8月15日。その日の午前中は快晴だった。そして大友良英のオーケストラFUKUSHIMA!からこのイベントは始まった。観衆とともに座って見ているミチロウやその後会場の設営(大きな敷物『大風呂敷』を敷き詰める)を手伝う姿が映し出された。そうしたら雨が降り始め、テントに集まって演奏するいろいろなミュージシャンがいて、そこからまたコミュニケーションが生まれる。ミチロウは「みんなバラバラだったのが天から一喝されたような気がした」(多分そんなような内容だった)と言っていた。

 

 

そして自らは「福島あずまスタジアム」でザ・スターリン246としてコンサートを行う。おそらくスターリン単体としては一番大勢の観客の前でのコンサートだ。拡声器のサイレンを鳴らしながらステージに向かう。始まったのが「虫」というタイトルの曲だ。最初の歌詞が「気味の悪いやつだ」「胸をつかまないでくれ」「お前なんて知らない」だ。「原発なんていらない」と繰り返し歌うミチロウは、完全に正義のヒーローだった。あのスターリンが、だ。(その時の気持ちを聞くチャンスがあったのに聞かなかったことを後悔している。どう思っていたんだろう)続いて「STOP JAP」を演奏する。「お前はいったい何人だ」を繰り返し歌い、曲が終わったら「サンキュー」ときたもんだ。3曲目は「ワルシャワの幻想」。そのイントロでステージを降り、客席に向かう。Tシャツを脱ぎ、客席に投げる。しかし60にしてこの肉体と体力は凄い。「オレの存在を頭から輝かさせてくれ」「お前らの貧しさに乾杯!FUKUSHIMA」「メシ喰わせろ」と歌うミチロウ。そして「FUKUSHIMA」と連呼する。最後に「死なないぜ」と言いながらミチロウは去っていった。

 

1か月後。大阪のライブハウスでAZUMIと談笑するミチロウがいた。ミチロウはAZUMIを見てソロキャリアをスタートすることになる。そのことをMCで話すミチロウ。

 

最後は、「Just Like A Boy」(「まるで少年のように街に出よう」と歌うこの曲はコンサートの序盤で必ず歌われていた)でこの作品は終わる。曲が流れる間オフショットが映されるが、ほんとにいい人なんだなぁ、この人はと思わされる映像だ。

 

ミチロウは、「2011.3.11 それは戦争が始まった日です」と自身のメッセージの中で言う。また「放射能に対する恐怖心は皮肉にも人間社会の人間関係をずたずたにしてしまいました。しかも、原発に頼って成り立っていた私たちの«豊かな生活»は、私たちの心の中にみんな原発を飼っていたのです。その心の中の原発メルトダウンしてしまったのが今度の戦争です」「原発いらない!とただ反原発を唱えるだけでは、解決のつかない複雑な問題が露出してしまいました」と言い、「自分との『内戦』が始まった」とも言った。

 

ミチロウはこのフェスの後もツアーを続け、アルバム「FUKUSHIMA」を2015年にリリースする。また「SHIDAMYOJIN」という映像作品を2018年に発表。その後膵臓がんのため、2019年4月25日に亡くなる。68歳の人生だった。

 

1年以上たった今、この映像を観てもミチロウの姿は今も僕の体に刻み込まれていることを思い知った。