hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

清志郎が全国区になった日

2020年の今日、僕は「忌野清志郎の衝撃 その1(多分)」と題した記事を書いている。今日はそのリライトに挑戦してみたい。

 

時は1985年の春。当時大学生だった僕は週1で実家に戻っていた。多分その頃家庭教師のアルバイトをしていたからだと思う。帰った時に父に見せられたのが「笑っていいとも」に出演した清志郎のビデオだった。父は僕の好みそうな番組があるとすかさず録画しておいてくれる人だった。

 

「笑っていいとも」というのは、タモリがMCを務めるお昼の人気番組だった。この番組の名物コーナーは「テレホンショッキング」という。その日ゲストがタモリトークを繰り広げる。そして次の日のゲストを出演者自身で決めてその場で電話をかけ、アポを取るという当時としては(今はもうこんなことしないか)斬新なものだった。電話が上手く繋がらなかったりして結構スリリングだった。

 

忌野清志郎を指名したのは三浦友和だった。高校の同級生だった三浦は、その当時も親交があったらしい。彼が忌野清志郎を指名した時には「おお~」っと観衆から声が出たが、知る人ぞ知るという存在だったので、そんなにテンションは上がっていなかったと思う。問題はここからだ。三浦が忌野の自宅にいくら電話してもいつまで経っても繋がらないのだ。

 

「きっと寝てるんですよ」と三浦。驚くタモリ。「27時間寝ていたこともある男ですからね」と三浦。そしてまた電話をかける。切ってはかけるを繰り返しているとやっと清志郎が電話に出た。「もしもし」とすかさず三浦が言うと「・・・」と返事もせずに電話を切る忌野。

 

「もう1回いきますね」と三浦。息を飲んで頷くタモリ。やっと電話に出る清志郎。「もしもし」と三浦が言うと「何だよ、こんな時間に」と毒づく清志郎。「こんな時間って・・・もうお昼だよ」と冷静に答える三浦は優しい男だ。そこからもすったもんだあって(清志郎が「(お昼の番組に出演するなんて)向いてないんだもん、タモリさん分かるでしょ?」とか言ってゴネる)、しかしタモリも粘り、結局「・・・いいとも」と小声で答えさせる。このやり取りだけで時間がかかったので、その後のコーナーは吹っ飛んだのもあると思う。そして翌日。

 

タモリの「忌野清志郎です!」という紹介がると元気よく扉から登場する清志郎。何だ、元気じゃん。丸いサングラスをして髪をツンツン立てている清志郎が茶の間にやって来た。僕の心は踊った。

 

その後は恒例のかけ声である。「友だちの友だちはみな友だちだ。世界に広げよう、友だちの輪!」とゲストが言うと、観客が「輪!」と答えるのがそれだ。清志郎はギターを持って来てもいいかとタモリに聞く。「もちろんもちろん」と答えるタモリ。ローディーとのやり取りも終わって、いよいよ清志郎のかけ声である。

 

どんな風にやるんだろう、と息を飲んで見ていたら、ギターをジャララ―ンと鳴らしてタモリに「『よぉ~こそ』って曲でやりたいんだけど」とか言って、リフを鳴らす。またタモリに「『いいとも』からスタートする」と言う。もうそれだけで僕も会場も大盛り上がりだ。こんな「友だちの輪」なんて見たことないぞ。

 

 

そして「よぉ~こそ」とおんなじ歌い方で「♪いいとも~」「♪いいとも~」「♪友だちの友だちはみな友だちだぁ~」「♪世界に広げよう、友だちの、輪!」「輪!」「輪!」「輪!」と繰り返す。手で輪を作るアクション付きだ。「輪!」が1回で終わらないので、客は驚くやら大笑いするやらで大騒ぎしながら「輪」を作って唱和する。すると清志郎は「オッケイベイビー、ワンモアタイムワンモア」と言い、「世界に広げよう、友だちの、輪!」「ワンモアタイム 輪!」という掛け合いをした後も執拗にタモリの肩を掴んで「オッケイベイビー、ワンモアタイムワンモア」と言って「イエイ― ♪世界に広げよう 友だちの輪!」と言って締めたのであった。客は大喝采である。タモリも大喜びである。

 

僕は何回このシーンを観ただろう。僕にとってはそれくらい衝撃的なものだった。大げさに言うと清志郎は「お茶の間」という世間に向かってちゃんと自分の流儀で対峙し、世間という顔の見えない多くの人を手玉に取ったのだ。こんな痛快なことはない。

 

もう少し詳しく考えてみよう。まずこの恒例のセリフが「歌」で表現されたことから衝撃は始まる。清志郎はきっと一瞬だけ考えて「歌でやろう」と思ったに違いない。バンドマンがみんなとおんなじように恒例のセリフなんて言ってられねえぜ、とも思ったに違いない。そこで「歌おう」となるには清志郎にとっては簡単でステキなアイディアだったのだろう。

 

次は何を歌うか?である。これも一瞬で「よぉ~こそ」に決めたに違いない。この間1分も経ってないはずだ。じゃあ弾いてみっか。替え歌作りの始まりである。「よぉ~こそ」は「いいとも~」だな。もしかしたら「よぉ~こそ」を選んだ瞬間に「いいとも~」が浮かんだのかもしれない。そこからすぐにどんな風に歌うのかが決まった。歌詞はあるんだもん。清志郎にとっては簡単なことだ。この間2分。計3分でこの一連の芸が決まった(はず)。

 

とにかく今までそんなことをした人はいなかったもんだから、日本中は清志郎、かっこいいってなった(はず)。その後清志郎の真似をしてギターをジャランと鳴らして歌うミュージシャンが続出したが、かっこ悪いことこの上なかった。清志郎の方はその後もギターを抱えて新機軸を打ち出す。こっちはメッチャかっこよかった。やはりオリジネーターに勝る人はいないということだ。

 

この件ほど僕の得意な「キヨシローはマンガ的だ」論を表しているものはないっ!(断言)僕は「いけないルージュマジック」よりもこっちで清志郎は全国区になったものだと思っている。それではご覧ください。

 

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どうだろうか?僕は今でも爆殺力を持ったパフォーマンスだと思っている。そうだな、ザ・ビートルズが今も世界中の人たちの心を撃ち抜いているのと同じように、と言うと少し大げさかな。とにかくいいものは時代を超えていいのだ。

 

 

何回か昔の記事のリライトに取り組んだが、今回は結構満足したぞ。

 

じゃあね!See You!