hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

日曜日は月曜日のつもりで、とはいうものの

というわけで行って来ました、学校に。日曜出勤はいつ以来だろう。昨年1回くらい行ったような気がする。そうだそうだ、5月に指導案が思い浮かばなくて困ってたんだ。あれ以来か。それにしても4月のこんな忙しい時期なのに誰も来ないとはどういうわけなんだ。寂しいじゃないか。教頭せんせー、来てくださいよー、話したいことがたくさんあるんですぅ~と思ったが結局僕のいる時間には来なかった。

 

只今15時30分(帰りにダイソーに行き、コーヒー屋に行き、ガソリンスタンドに寄った)。10時過ぎに学校に向かい、14時過ぎまで働いてきた。前にも書いたが僕の主治医は「金曜日の夜から『フィーバー』して、土曜日も楽しんで、日曜日に働きモードになる」そうだ。そうすると月曜日がツラくならないからだ。

 

それは分かる。分かるんだけど、もうほとほと疲れたよ。3時間か。休日に3時間、一人ぼっちで働くのは今の僕には結構キツイというのがよく分かった。

 

今日で今週分の授業の用意をしようと思ったのだが、無理だった。できたのは6年生の3時間分(今週分)のプリントを作り、5年生の2時間分の内容を考え、少し教材を作ったことくらいだ。あ、3年生は1時間いけるな。おっと、2年生の準備もしたぞ。

 

ということは、あと5年生1時間分と4年生2時間分と3年生1時間分か。何とかなるかな。いや、何とかしなくちゃいけない。半分以上は用意できたのでよしとしようじゃないか。

 

一番苦しんだのは、6年生のプリント作りだ。日本国憲法の3つの柱、つまり「基本的人権の尊重」「国民主権」「平和主義」の学習をするためのプリントだ。そんなの昨年も一昨年もやってるじゃないかと言われそうだが、やはり児童が違うとこちらもどうしようかという気になる。それに前のプリントを見るといかに自分がいい加減に作っていたのかがよく分かる。昨年度の児童はこんなのでよく分かったな、と反省した。

 

ということもあって一から考え直したい気持ちもあったし、「対話的で深い学び」にも挑戦したいというのもあった。

 

しかし「対話ねぇ・・・」という思いもある。宮台真司も言っていた(前に書いたような気がする)が、対話が成立するのは、レベルがある一定の線を超えた者同士が話し合う時である。そうでないと意味がない。だから学力がバラバラな状態のクラスの児童同士が誰かと対話する、なんて絵空事なんじゃないか、ただやってる感を出しているだけじゃないかというわけである。僕もそう思う。

 

そんな僕が対話という学習活動に挑戦しようと思ったのは、教育書を読んだからである。「これならできそうだ」というもので出会ったからだ。つまりこういうことだ。

 

まず、誰かと話すという行為には3段階ある。「会話」と「対話」と「議論」だ。「会話」は2人以上の人とたわいもない話題で喋ること、「対話」は基本的には1対1で話すこと。話題は決まっている。そしてその目的は「共有」である。「議論」は話し合いの一番高いレベルで、「解決策を見いだす」「結論を出す」ことを目的とするものだ。

 

こう書いてある教育書を読んで、「うーん、『対話』、やってみっか」となったわけである。

 

僕は5年と6年の授業でさっき書いた「会話」「対話」「議論」の話をして、「できれば考えを持った者(Aとしよう)同士で話し合うのが望ましい」と言った。そして「A―Aなら自分の考えていることを話せばいい。でもいつもいつも考えを持っているとも限らない(Bとしよう)」「最悪なのはB―Bだよ。お互い何も話すことがないんだから、対話の時間はただ時間が過ぎていくのを待つしかないからね」と続けた。(ホントは一定のレベルに達していない者同士が「対話」もクソもないんだけど)

 

そして「もうひとつ言うとしたらA―AとA―Bの時のAの人の話し方は変わってくるよ」と言い、「A―Aだと話したいことを思う存分話すことができる」「A―BだとAの人はBに分かるように話さなければいけない」ことを確認した。最後に目的は「共有」だということも伝えた。

 

ちょっと要求レベルが高すぎるのは分かる。でもこうやって少しでも「対話」に関する意識を高めていかないと、本校の研究科目である国語の学習の時にも困るんじゃないかな、と思ってのことでもある。まあ、そっちはそっちでやってくれっていう気持ちもあるんだけどね。僕はただ、このプランがどう転ぶかを見たいだけなのかもしれない。

 

 

そういうわけで、6年生のプリント作りに苦慮した僕であった。家に帰ってもこんな真面目に考えてどうするんだ、全く。今日の残りの時間はゆっくり音楽を聴いて(今のBGMはキンクス)、赤ワインをちょろっと飲んで明日からの戦いに備えるのだ。そうだそうだそうしよう。

 

 

今日は以上で終わりである(シャキッ!)。バイバイ!

 

 

あ、「共有」の目的は「共感」と「違いを楽しむ」ことだと思う(しつこい)。全く真面目な奴だよ、俺って。困ったものだ。躁状態がやって来たのかもしれない。