hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

僕にとって危険な本が届いた

 

注文していたロックカタログ本(「ROCK名鑑コレクション・ガイド」)が昨日届いた。「ようし」と思って本を開いたら、驚くと同時にがっかりしてしまった。驚いたのは、右ページにザ・スミス、左ページにスライ&ザ・ファミリーストーンが載っていたからだ。あまりの落差に笑えた。「なるほど、五十音順なんだね」と思い、読もうとしたら字が小さい小さい。「あー、やられたぁ。2001年だったぁ」と思った僕はちょっとがっかりしながら老眼鏡を用意した。現在の字のポイント数でも難儀しているのに2001年発行だとどれくらいになるのかな?まあいいや。問題は内容である。これが秀逸だった。

まずアーティストの写真、その下に簡単な紹介が書いてある。その左には解説(17人の執筆者がいる。内容がなかなかいいので後で触れよう)だ。資料としては、執筆者が選んだ代表曲3つ(どのアルバムに収録されているかもちゃんと分かる)、アルバム・リスト(原題なので重宝すると思われる)、そしてベスト3PICKSとして代表的なアルバムを3枚紹介している(解説付き)。基本的には1アーティスト1ページだが、大物アーティストについては見開き2ページを使っている。

 

別にア行から順番に読まなくてもいいから気が楽だ。ペラペラめくり、「うん?」と思ったところを読むことが楽しい。これはなかなかの良書である。確かにアマゾンで5つ星連発なのも納得である。

 

解説陣がまた充実している。僕の知っている人(赤岩和美、五十嵐正、大鷹俊一、鈴木カツ←この人達の文章は基本的に信頼している)もいるが、知らない人の文章もいい。制約された少ない文字数で上手く伝えたいことをまとめているし、とにかくそのアーティストへの愛情を感じるので好感が持てる。低迷期のこともはっきり書いているし、一般的ではない執筆者が拘るお勧めアルバムの項も素直に読むことができる。これはやばい。やばいですぜ、奥さん。

 

どうやばいのかというと、アップルミュージックでの検索活動が激しくなるということだ。2001年に発行されたこの本は2023年の現代こそ、威力を存分に発揮するロックカタログ本である。これはすぐにでも20年分足して新しく出版すべきだ。2001年だったら、これを持ってCD屋にいくしかなかっただろう。今はこれを読んでいいと思ったら即検索だ。そして「よしっ」と思ったら取り込めばいい。怖ろしい位簡単だ。

 

ジョン・レノンの横にシンディ・ローパーがいたら、読んじゃうよね?そして執筆者が渾身の力を込めて彼女について書いているのだ。「彼女を1,2枚目のアルバムだけの人だと思ったら大間違いである」って書いてあると気になるじゃない?興味を持たないわけにはいかない。この本はそういう仕組みになっているのだ。あー楽しい。楽しいぞ。

 

もう少し紹介したいな。スライ&ザ・ファミリーストーンの項の最初の出だしを引用してみよう。

 

「60年代末~70年代中頃にかけてスライの存在は、ある意味ではカリスマ的位置にあったように思う。彼が目指した黒人の意識高揚は、白人と対決する類のものではない、人種の壁を乗り越えた団結だった。アメリカの正式国名にも謳われているところの«ユナイテッド»だ。が、理想は高ければ高いほど挫折も大きい。スライのデビューから絶頂期に至る歩みと、その後のトーンダウンは、そのままアメリカ社会が抱える人種問題のジレンマともダブってくる・・・」

 

今でも通用する、いや今だからこそ心に響く、こんな文章があっちこっちにたくさんあるんだよ。これはもう気合を入れて読むしかないでしょ。もういっこ引用させてもらおう。この本の趣旨を最初に書いてある部分だ。

 

「«数ある名盤から何を買う?»ロックンロールの誕生から半世紀を迎えようとするこんにち、ロック・アルバムのカタログは、すでに膨大な量に達しています。同時に«名盤»と呼ばれるアルバムの数も日ごとに増え続けるばかりです。いざお目当てのアーティストの名盤を買おうと思っても、CDショップの大量の在庫の前に立てば、本当に迷います。」

 

「本書は、ロック史を語るの欠かせない重要な新旧の190のアーティストについて、それぞれの名盤を購入・コレクションするための、簡潔でベイシックなガイドブックです。各アーティストはもちろん、相当数のアルバムをリリースしていますが、本書では、アルバム・リストや、その中から厳選した名盤のレヴューなどを添え、コレクションするためにあたってのチェック・ポイントをふんだんに設けました。ビギナーの方も、マニアの方も、ロック・コレクションのためにぜひお役立てください」

 

ロックってコレクションするものではないと思うけどなあ。でも出版社もCDを売りたかっただろうからね、そこは大人の対応をしよう。とにかくこれはいつでもどこからでも読めて、楽しい本であることは間違いない。僕の音楽生活も充実するに違いない。

 

 

今日はここまでにしておこう。ここから先は個人的なメモという形で書き留めておくとします。鬱陶しい文章だからな。それでは、バイバイ。

 

おっと忘れていた。今日、初めてフィアット500に乗っている人に手を振られたよ。まさか、と思ってこっちは手を振りそびれた。若いあんちゃんだった。ちょっと嬉しかったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一昨日昨日で「消えてなくなりたい病」度数が少し低くなった。金曜日はあんまりにも気持ちが落ち込んでいたので思わず「春休みに病休できないかな?」と思ってしまい、校長に相談した。校長曰く休むことは出来ると思うと言ってくれた。僕は「明日受診日なので、主治医に診断書を出してもらえるかどうか聞いてみます」と言ってその場は終わった。これだけで少し気持ちは楽になった。もし、病休が取れるとすればあと2週間(11日)授業をやることはできそうだ、と思った。でも弱っちいな、俺、これくらいで病休?とも思った。

 

というわけで昨日精神科に行ってきた。「今の自分は海の底です。でもまあ生きてます」と言った後、「例えば3月22日から31日までの(短期間の)診断書って出してくれるものなんですか?」と聞いてみた。主治医は「そこで休んで4月から頑張るっていうんでしょ?だったら出すよ」と言ってくれた。その後「hanamiさんに処方している薬はこれでいいと思うの。後は、あなたのモノの捉え方っていうの?そういうのをもっとこれから考えた方がいいと思う」と言われた。僕には耳の痛い話だったが素直に耳を傾けた。「コーチングに行っておいでよ。奥さんに聞いたら分かるから。行った人はみんな目からウロコだったって言ってるよ」と言われた。はい分かりましたと言ってその日の診察は終わった。次回は18日土曜日にしてもらった。そこで診断書を書いてもらうという算段だ。

 

これで、休もうと思えば休める。授業はなんとしてもやるとして、放課後休むことができる。春休みに年休を取らなくてもいいということは新年度に向けて考えてみても大きい。4月から12月まで20日分の年休が残るからだ。そしたらもしかすると、再来年度(僕が教職最後の年にしようと考えている年)はフルで働くことができるかもしれない。

 

ここまで思ってから何となくムクムクと湧いてきた気持ちは「教員人生は有終の美を飾りたい」というものである。「あと2年、何とか逃げ切りたい」とばかり思ってきた僕だが、再来年フルに働くことができれば、その後も働く意欲が残っているかもしれない。そうなると来月からの新しい教育方針にも対応していかなければいけないが、何とかついていきたい、と思うようになった。いや、今朝思ったばかりなんだけどね。

 

でも、と僕はまた未来のことをグジグジ考え始める。「もし自分が異動しなくて4月から来た管理職が昔僕を休職に追いやったあの人が来たらどうしよう・・・」なんてね。こうなった場合は僕の教職生命は終わることが確実だ。でもまだ起こってもいないことをグダグダ考える自分にも嫌気が差してくる。今日の嫌な妄想はこれくらいにしておこう。しっかし根性出せよな、って自分に言いたいよ、全く。