hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

昨日を反省してXTCを聴こう

昨日モリッシーの悪口を書いたら、JUNさんからモリッシーにはマーク・ボランの魂が宿っている、との指摘を受けた。そしてミック・ロンソンプロデュースの「ユア・アーセナル」(1992)を気に入っているとも書いていた。そうか、僕は前作の「キル・アンクル」(1991)をよく聴いていた。もう1枚頑張ってみたら僕のモリッシーに対する気持ちも変わっていたかもしれない。タイミングというか、巡りあわせっていうのはあるのかもしれないと思った。「ユア・アーセナル」はまた今度聴くことにしよう

 

でも昨日は結構悪意を持ってふざけちゃったなあ、と反省しきりである。モリッシーだからいいか、という油断もあった。〇〇だからいいか、なんて人として最低だね。どうかしてた。

 

落ち込んでばかりもいられないので、昨日の反省を生かして記事を書こう。今日のテーマはXTCである。

 

僕にとってのXTCは4枚目のアルバム「ブラック・シー」から始まったと言っても過言ではない。何と言っても「Respectable Street」「Towers of London」は僕が初めてドラムを叩いた曲である。特に「Towers of London」は僕史上最初で最後のテクニカル(まあつまり、オカズが多かったというだけの話だが)な叩き方だった。もちろんドラム教室というものに初めて行って教えてもらった。

 

今日はいきなり「オレンジズ&レモンズ」にいかずに「ブラック・シー」後のアルバムから徐々に迫っていく作戦でいこうと思う。

 

まずは「English Settlement」(1982)からだ。うーむ・・・。ノーコメントにして次に行ってみるか。「Mummer」(1983)だ。これは1曲目から好感が持てる。3曲目も好きである。今日はこれだけ分かればいい。取り急いで次に行ってみよう。「The Big Express」(1984)である。この頃のXTCはマメに作品を発表していたんだな。これは一番好きかもしれない。いつかじっくりと聴いてみよう。そして曰く付きのアルバム「Skylarking」(1986)。僕でもプロデューサーのトッド・ラングレンと揉めたことは知ってるぞ。しかし、ラストの曲(「Dear God」)は素晴らしい。今日はこの曲を見つけられただけでもう満足だ。ちょっとポール・マッカートニーっぽいかもしれない。

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よしっ、そろそろ今日の本題であるアルバム「オレンジズ&レモンズ」(1988)にいこうか。ヴォーカルが「ブラック・シー」の頃のしゃくり上げるような歌い方になっている。しゃくり上げ唱法は僕は結構好きである。1曲目も2曲目もなかなかキャッチーな出来じゃないか。悪くない。アルバムの入り口としては最高の2曲である。

    ↓↓↓ これが1曲目 


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ブラック・シー」以降のアルバムをちょいちょいとつまみ食いしながら段々「オレンジズ&レモンズ」に迫っていく作戦は成功したと言っていいだろう。少しずつXTCに慣れていったので違和感がない。この作品が1980年代のビートルズみたいに評されているのか。サイケだから?もしかしたらリアルタイムで聴いていたら今と違って聴こえたかもしれない。

 

何れにせよ1曲目は聴いた方がいい名曲で2曲目も名曲で、3曲目から少し落ち着いて聴けるようになった。今もこのアルバムを流しっぱなしにして記事を書いているが、他にも宝石はありそうだ。特にアルバム後半が気になる。因みに「20世紀ロック」のダイラさんは、この作品が一番好きだと言っていた。

 

以上でXTCについてのレポートを終わります。

 

 

 

じゃあ最近ショッキングなことがあったのでそのことも明記しておこう。何があったのかというと、「なので」という言葉をサラっと子ども達の前で使ったことである。僕は事あるごとに学校で「なので」について誰も言及しないのはどうしてだ?気持ち悪くないのか?と書いてきたつもりである。それが授業中にふいにこの言葉が口からでた。一瞬「うん?」と思った僕は次の瞬間「ええっ!」ってなった。一体全体何が起こったんだろう。

 

花粉症に例えて話を進めてみよう。花粉が目や鼻に侵入すると免疫機構によって、異物として認識される。対抗する免疫機構、それをガンガン攻めていく花粉。そしてある日を境に免疫機構が「参った」をする。花粉側の勝利だ。よって人は花粉症になる、と聞いたことがある。だから今大丈夫でも、来年どうなるか分からない。花粉症とはそういうものだと認識していた。

 

どうも「なので」問題もそうだったらしい。僕の脳みその中には「なので防衛軍」が常駐している。この軍隊は強力で今までも「〇〇防衛軍」としていろいろな言葉を粉砕してきた。そして2000年代初頭から「なので軍」なるものが僕の脳みそに侵攻してきた。最初敵は少数だったこともあり、簡単に蹴散らすことができた。しかし、年を追うごとにその勢力は強まってきたようだ(今となってはそう思うしかない)。

 

ここ1,2年「なので防衛軍」は総力を挙げて「なので軍」に立ち向かっていたが、実はこちらでも気がつかないうちに脱走兵がたくさんいたようだ。気づいた時にはもう「なので防衛軍」は虫食いだらけの軍に落ちぶれていた。指揮系統も乱れていた。軍のトップである将軍に至ってはとっくに海外に亡命していたようだ。そうなると防衛軍は総崩れだ。そしてその時がやって来た。僕は自分から「なので」という言葉を発する人間になっていたのだ。

 

この問題は厄介だ。「なので」という異物が侵入に成功したことを他の異物たちが見逃すはずがない。こちらが劣勢だということを知ったらどうなるか。奴らは全方位から総攻撃をかけてくるはずだ。総崩れになる防衛軍が目に浮かぶ。僕の脳みそはこうして新たな異物に取って代わられる。もしかしたら別人になっちゃったりして。

 

最初に話を戻そう。初めて「なので」を使った時の違和感のなさ、これが怖い。防衛軍は散り散りになった。ここは地下に潜りこみ、ルサンチマンを抱え込みながら再度の復活を待つしかあるまい。憎むべき敵はまだたくさんいる。いつの間にか「僕的には・・・」などと口走っているかもしれない。気を付けねば。

 

 

何だか生き残りの極左にでもなった気分だ。