hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

大寒波日記 今度こそやって来た

1月28日土曜日

 

只今午前5時。午前2時に一度見たら、「これは・・・積もるな」と思うくらい雪がしんしんと降っていた。今見ても順調に雪は降っている。このままいくと今日はかなり積もりそうである。今度こそ大寒波がやって来ているのだ。除雪車は土日も稼働してくれるのだろうか。そして僕はギター教室に行くことができるのだろうか。

 

 

 

昨日の4限目は勝負しているクラスの授業だった。直前まで何をするか、何を言おうか迷っていた。しかしとにかくお話ばかりするのは得策ではない。しかし淡々と授業をするのも同じくらい得策ではない。というわけで、折衷案でいくことにした。

 

まず、授業の最初の号令はしなかった。まだ緊急事態なんだよ、と告げるためである。そして黙ってプリントを配った。何をするか説明して教科書のどこを見れば分かるか探させた。しかし何となく動きが鈍い。「見つけた?」と聞いても、反応がない。

 

僕は自分の声の制圧レベルを2目盛りほど上げて、前の時間のことを話した。「この前の時間に、今の自分はこうで、クラスはこうだという確認をしたよね」「授業を壊している友達の名前もはっきりと言ったよね」「そして言ったと同時にこれからどう変わっていったか、あるいは変わっていないかを見届ける責任もあるって言ったよね」「もし何も変わっていないのなら担任の先生とか先生(hanami)とか誰でもいいから相談しにおいでって言ったよね」とかんで含めるように畳みかけた。

 

「今のところ先生(hanami)のところには誰も何も言いに来ていません」「もしかしたら担任の先生に話しているのかもしれません」「でも先生にはそうは思えないな、今の君たちの様子を見ていると」「それって自分(達)で何とかしようとしていないことだと先生は思います」「ほんとにそれでいいの?」と言ってから全員の顔を睨みつけた。(←ああ時代がかっている。恥ずかしい)

 

「もう1回聞くよ。どこに書いてあるか見つけた?」と聞いたらやっとパラパラと「はい」とか「見つけました」とか言うようになった。「じゃあ1個だけ聞くね。最初は何て書けばいいの?」と言うと、「情報収集」とパッとほとんどの児童が答えた。「すぐに書きましょう」。声のレベルをひと目盛り落として言うと、みんなさっと書き始めた。

 

結局は「恐怖」でしか動かんのかい、と思いながらでも今日はそれで通していくほかあるまいと決心していた。教室にはスクールカウンセラー、教頭がいつの間にか来ていた(あとで校長も来た。まるで研究授業だ)。

 

「じゃあ、もうひとつ聞くよ。今書いた情報収集っていう字を見て下さい。どんな字?」「いつもきれいに書くし、今日もきれいに書いている人。いやいや今すごく緊張しているからいつもより気合を入れて書いた人。うーんいつも通りで別にきれいに書いてない人、くらいに分かれるかな?」と言い、自分はどれに当てはまるか挙手させた。

 

「いつも通りで別にきれいに書いてない人」は男子ばかりで8人くらいだった。そこで「じゃあその人は立ってください。先生が見に行くね」と言って瞬間的に見に行く順番を決めてから児童の方に行った。

 

最初はどちらかというと弱い立場にいる児童のところに行った。「何言ってんの、いつもより気合が入ったいい字書いてるじゃない。座りなさい」と制圧的声目盛りを3つほど上げて(つまりは全員に聞こえる大きさで)言った。僕が時々使う技だ(強い口調で褒めるって感じ)。次は問題行動をしている児童だが、その子はこちらの意図に応える気持ちがあるかも、と期待している児童である。この子も普段と違う字を書いていたので、さっきと同じコメントをした。そして次々と一人一人にコメントしていった。ほとんどがいつもとは違う気合の入った字を書いていたのでさっきと同じことを力強く言っていった。違うことを言ったのは2人だった。僕は「確かにいつもと同じ気合の入っていない字だ。座って書き直しなさい」と同じトーンで言って書き直させた。

 

 

そこから先は全体的には自分で学習するぞ、という雰囲気になったので「後は書けそう?」と聞いて「書けそう」と答えたので「じゃあ、どうぞ」と言って各自で作業をさせた。この間、僕が気になった児童は5人だ。その内の2人(問題行動を取っている)を何とか手中に収めなければいけない。1人はさっき「いい字を書いてるじゃないか」とコメントした児童で、もしかしたらこちらの意図を汲むことができるかもしれない児童だ。その児童の席にさり気なく行って、「ここを書けばいいんだよ」と囁き声で教えた。児童は素直に僕の言ったところを丁寧な字で書いていた。

 

もう1人(A児)は今のクラスの状況を作っている2人のうちの1人だ。その児童は姿勢もダラッとしていて学習しようという感じではない。僕はじっと彼の顔を見ていた。それに気づいた彼は何となくプリントに書くような素振りを見せたが、長くは続かなった。この子を何とかしないと授業は変わらないし、クラスも変わらない。さて、どうしたものか。

 

と考えつつ、全体でプリントの確めをした。こちらの方は順調に進んだ。A児はカーテンの中に顔を隠していた。そろそろ時間だったのでプリントをノートに挟んでおいてね、次の時間に貼るよと言った。そして書けていない児童1人とA児に「これとこれとこれを持って〇〇教室に行きなさい」と言った。2人ともすぐにそれらを持って立ち上がったのでホッとした。

 

そこからは楽だった。余計なこと(お小言みたいなこと)は言わず、「ここはこれ書けばいいよ」「これは先生が言うよ。聞いて書ける?」とか言って、ひたすらプリントを仕上げることに注力させた。仕上げた後も余計なことは言わなかった(「頑張ったな」とか「やればできるじゃん」とか)。この時A児の目つきがすっかり変わってることに正直驚いた。こんなに素直な目を見たのは初めてだ。うん、今日のところはこの対応でよかったのかもしれない、と思えた。

 

 

しかし、である。昨日もそして今日の記事の最初の方でも書いたが、これは「僕に対する恐怖」あるいは(よく言えば)「圧倒的な熱量」を下敷きに成り立っている授業なのだ。「昭和(あるいは平成)の授業」というのはそういうことなのだ。僕の力量では、今日はそうせざるを得なかった。問題はこれからもこんな恐怖政治を続けるのか、ということだ。とかそんなことを考えながら給食を食べた。こういう授業をした後は、いつもどっと疲れる。当たり前か。でも俺メンタル持ちなんだけど、なんでこんなに頑張らなきゃいけないんだ、などと頭の中でいろいろな言葉が駆け巡っていた。

 

 

放課後、教頭がやって来ていろいろ話した。そして今日の勤務時間後にこの学年についての話し合いをするのでよかったら参加してくれないか、と言われた。僕は熟慮したうえで丁重に断った。そしたら教頭はこんな話をしたよって来週に話すね、と言ってくれた。

 

この話はまだ続く。明日書くことにしよう。

 

 

 

北陸から山陰にかけて警報級の大雪の恐れがあるらしい。いやいや、もう警報級ではなくて警報だよ。大変だ。

 

ここまでが午前6時に書いた記事である。記事は夕方アップするので特筆することがあったらまた書くことにしよう。今日は朝食後に雪かき決定である。

 

 

 

無事ギター教室に行くことができた。内容については明後日頃にトホホ日記を書いてみたい。行ってよかったよ。

 

ただ、ギター教室に行けた代わりに雪かきで腰をやられた。幸いなことに除雪車が稼働してくれていて、道はすっきりしていた。午前中は太陽が顔を出し、雪を溶かしてくれた。ありがたいことだ。ギター教室に行く途中も、そのあと、スーパーに行く途中でも雪かきをしている姿が見られた。みんな、お疲れ様。腰は大事にしようね。

 

スーパーの帰り道に妻を迎えに行った。妻は歩いて学校に行っていたのだ。すごい根性だよ、全く。迎えに行くくらいしなくちゃね。

 

 

今日は思い切って担々鍋にしようと思う。僕が夕食担当になってから初めての鍋料理だ。野菜をたくさん食べるぞー。

 

 

しつこいようだが、また今夜から大雪らしい。まあなるようにしかならないか。