hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

「若い人は誰もロックなんて聞いてないです」

タイトルにある言葉をラジオ番組で語ったのは大槻ケンヂだ。もう少し引用してみよう。(ヤフーニュースより)

 

「この日の番組では『ロックを語ることは今や暑苦しいものになっている』とした記事を紹介。この件に絡め、『ロック語り』という言葉について聞かれた大槻は『ロックミュージシャンはロック語りはしないですよ』ときっぱり」

「『今、ロックの話をしても若い人は誰もロックなんて聴いてないです。ボカロとかラップとか。まあ、ラップもロックに入るかも分からないけど・・・』と続けると『もう誰も聴いてくれないんです』と淡々」

「『もう(ロック語りは)できない。ロックばかり売っているCD屋さんとか行くと、おじさんばっかりいますね』と明かしていた」

 

 

 

そうかぁ?フェスとかは(行ったことないけど)盛んじゃあないのか?会場には老いも若きもいるんじゃないのか?コメント欄にもいろいろ書いてあったな。「オーケンよ、お前が言うな」とか「音楽という形態そのものが廃れていくだろう」とか。

 

 

僕がどう思ったかというと、「いや、今も昔も孤独だったよ」と言うしかない。中3から今の今までロックを聴いているけど、そのほとんどは孤独だったよ。特に働き出してからは、近くにそんなことを喋る人なんか誰もいなかった。自分でも驚くくらい、音楽やプロレスの話をしなかったな。JUNさんとまた喋るようになったのだってつい2年ほど前からだ。

 

だから世代がどうとか言うよりも、昔も少数派だったんだし今も同じようなもんだろう?と思うのである。まあ、最近の若者は・・・とか言ってる俺が言うのも何なんだけどね。

 

それで思い出したけれど、昔じゃがたらのアケミが「若い奴にも鋭い奴がいる。そいつを逃すな」みたいなことを言っていた。つまりはそういうことなのだろう。「鋭い奴」はロックなんか聴いていないっていうんならオーケンの言葉も分かる。しかし彼はジャンルとしてもロックがもう廃れてるって言いたいのだろう(きっと、多分)。

 

ごめんよ。今日は(ほとんどいつもだが)身体が怠くて頭も働いていないんだ。だからこんな調子でしか書けないや。

 

 

 

全然関係のない話になるかもしれないが・・・。僕がこの記事を読んで思い出したのは、宮台真司大塚英志が2005年くらいに対談した番組を観た時の言葉だ。大塚は「今の若い人について可哀そうだなというのがあるとしたら1点、圧倒的な存在の教師が周りにいないことである。そして自分がその役割を担えていないし、そもそも若い人はその人が凄い人だということを理解できない(大意)」と言っていた。「圧倒的な存在の教師」というのはそれこそ柳田國男みたいな人のことである。

 

これは僕にもよく分かる。僕のいる教育業界にも圧倒的な存在はいた(今もいるかもしれない)。当時そのことが理解できる人もいれば、理解できない人もいた。僕はちょびっとかもしれないが、その人のすごさを理解できたと思っている。もしかしたら僕らあたりがそんな人に出会えた最後の世代かもしれない。今の若い世代の人にその圧倒的な存在の先生の授業を見せても理解できないと思う。

 

僕に興味があるのは、それではどういった考え方で生きていこうとしているのか、だ。僕がロックから学んだことは「直感を信じること」「自分の頭で考えること」「立ち向かっていかなければいけない時はそうする」ことだ。できているかは別にして、ですが。大げさに言えば、世界認識の仕方だ。

 

あることに違和を抱けば、「どうしてだろう?」と考える。例えば多数決という方法だ。何かと言うとすぐに多数決で決めるという考えに「?」と思っていたし、本で調べもしたし、子ども達にも言った。あるいは授業中に発言した友達に子ども達が言う「いいです」だ。これも何かといえばすぐに「いいです」と子ども達が言う。なぜ先生はこんなことを言わせているんだ?と思った。

 

そこには「思考停止」があるように僕は感じている。その「思考停止」は巨大で頑強な壁である。その壁に立ち向かっていくためには気力というか勇気が必要だ。もちろん現実的な力として授業力や人とのコミュニケーションスキルも必要だ。「思考停止」なんて大それた言葉を使うと、それがそのまま自分に返ってくるので怖いといえば怖いが。

 

今書いたことが大雑把な僕の「考え方」だ。それを自分なりに更新していって現在の僕ができているんじゃないかと思っている。この考え方は主に「ロックについて考える」という行為から生まれた。

 

 

改めて書くが、だから今の若い人の「考え方」に興味があるというわけだ。音楽でも本でも漫画でもゲームでも何でもいいけれど、そこから何を学び、どういうつもりで生きていこうとしているのか知りたい気持ちは結構あるな。

 

それとも「考え方」を持つという考え自体が暑苦しいのかな。だったら少し寂しいな。あとはあれかな、ロック語りをしないっていうのは、「社会」や「政治」などといった大きなテーマで話はしないっていうことにも繋がるんじゃないかなあ。仕事の話でいうと、「教育とは?」とか「どんな心算で授業をしているか?」とかね。

 

 

 

それにしても音楽を数秒で作れるって?何らかの文字情報を打ち込めばそれっぽい音楽ができるって?そんなの聴いてどうすんだよ。

 

 

 

さっきも書いたけど、書けば書くほど今日はとっ散らかった文章になるね。まあ、こんな日もあるさ。話を変えてみよう。

 

 

 

昨日のJUNさんのコメントを読んでジミヘンのことを思い出した。なぜ、僕が未だにジミヘンにいかない(聴き込まない)のか?についてだ。

 

あれは高校2年生のことだったと思う。何故か父と従妹の旦那と3人で酒を飲む機会があった。酔いつぶれた父を送ってくれた旦那にお茶を出すと、旦那は僕に「hanamiちゃん、ロック聴いてるんだって?」と言った。「はあ、まあ・・・」と言葉を濁した僕に旦那は「ジミヘンって知ってる?」と畳みかけた。「ああ、パープル・ヘイズくらいは・・・」とまたしても言葉を濁してしまう僕だった。旦那は「ジミヘンのギターソロあるでしょ?あのフレーズの意味分かる?」と再び僕に問いかける。何だかややこしい奴だなあと思いながら「いえ」と答えると、「俺には分かる。フレーズ一つ一つの意味が分かるよ」と言った。

 

今で言うとウザい、になるのかな。僕はこの時点でこの人とはロックの話はしたくないな、と思っていたので、早く帰ってほしかった。そしたら旦那は「今度、テープを作ってhanamiちゃんにあげるよ」というので「ぜひ」と答えておいた。

 

そしたら何日もしないうちに家に来て「hanamiちゃん、これ」と言ってテープを渡してくれた。そこにはもう忘れたが気取ったタイトルが付けられていた。確かA面の1曲目がフィービー・スノウでB面の1曲目がビートルズの「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」だった。僕は何の根拠もなく「ケッ、ただのヒッピー野郎じゃねえか」と思ってしまい、なるべくこの人とは関わらないでおこうと決めた。テープは2,3回くらいは聴いたかもしれない。

 

そんなこんなで何となくジミヘンと聞くとこの時のやり取りを思い出してしまうのだ。そして「お前、このフレーズの意味分かってるの?」という声も聞こえてしまうのだ。勿論教養としてジミヘンは聴いてはいる。でも深入りしてないんだよなー。いい機会だし、根性入れて聴いてみようかな。うーん、まだ早いかなぁ。

 

 

さてと。1週間も始まりましたな。成績もつけたし、あとは粛々と2学期最後の授業をするだけだ。

 

 

じゃあね!