hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

予め脳に埋め込まれていた音

初めてミュート・ビートを聴いたのは大学生の時だった。聴いた時、「これ、聴いたことがない!でも聴いたことある!」と思った。まあ一言でいうと衝撃を受けたわけだ。みなさんも何かを聴いて「これは絶対他の人も衝撃を受けるはずだ」と思う音楽に出会ったことがあると思う。ピーター・バラカンは著書でザ・バンドのことを「人類のメモリー・バンクに登録されている音」、みたいな表現をしていた。僕もミュート・ビートを聴いて「これは予め人間の脳に埋め込まれていた音じゃないか」と思った。

 

ここらでミュート・ビートの紹介をせねばなるまい。「MUTE BEAT」は1982年に結成された日本初のダブバンド。ヨーロッパの賛美歌メロディーとマーチングバンド、ジャマイカのダブを組み合わせた音を奏でていたインストバンドである。そのサウンドは世界中で評価されていた。1989年に解散している。トランペットの小玉和文がリーダー。旧メンバーには屋敷豪太朝本浩文が在籍していた。メジャーデビューし、ファーストアルバムが発表されたのは意外に遅く1987年(「FLOWER」←僕が聴いたのはこれ)である。それまでは12インチシングル等を発表していた。1988年にはドラムの屋敷郷太が脱退して渡英する。そして6月に「LOVER’S ROCK」を発表する。1989年には朝本浩文が脱退する(代わりにエマーソン北村が加入)が、新メンバーでアルバム「MARCH」、そしてライブアルバム「MUTE BEAT LIVE」を発表する。そして北米ツアーを敢行した後、日本国内で1度だけライブをして解散した。2008年には1度だけ初期メンバーが集まり一夜限りのライブを行った。

 

屋敷郷太は渡米後、有名どころで言うと、シネイド・オコーナーの超名曲「Nothing Compares 2 U」の全楽器とプログラミングを担当、またシンプリー・レッドのドラマーとしても活躍した。朝本浩文UAを始めとする数々のプロデューサーとして活躍し、ザ・ブームのツアーにも参加していた。2014年自転車事故で惜しくも亡くなっている。エマーソン北村は元JAGATARAのメンバーである。要するに凄いメンバーが在籍していたわけである。

 

僕は初めて「FLOWER」の1曲目「METRO」を聴いた瞬間から時間が止まった。気づいたらそのまま41分が過ぎていた。2曲目の「HAT DANCE」は全世界の人が盛り上がる、つまり「これは自分の脳の中にある音だ!」と思わされる名曲である。是非お試しあれ。

 

僕はこのバンドを聴くといつもUB40のデビューアルバムを聴きたくなる。UB40については過去に記事を書いた。↓↓↓

hanami1294.hatenablog.com

何て言うんだろう。記事にも書いてあるがやはり「青白い炎」かな。どちらのバンドも赤くはない。つまり表通りの音楽じゃないんだな。裏通りで煌々と輝く音楽に聴こえるのだ。それが僕のロック魂を擽る。「ロシアから愛を込めて」というメジャーなカヴァーもしているが、これを聴くと少しは分かってもらえるかもしれない。

 

「僕を寒い寒い場所へと連れて行く音楽」という記事も書いたことがあるが、ミュート・ビートにもそれは当てはまる。だから何回も何日も続けて聴くバンドではないが、是非是非聞いてもらいたいバンドである。きっと「聴いたことがある」と思うはずだ。

hanami1294.hatenablog.com

 

 

今週はサンディーをメインに聴いていたが、その隙にミュート・ビート、UB40を聴いていた。来週はそれに大江慎也も入りそうだ。というか昨日彼が僕の頭の中に忍び込んできた。

 

 

 

しかしながら、この記事を書き始めたのが午前1時で書き終わったのは2時である。僕の睡眠事情は一体どうなっているのだろう。

 

 

 

 

2時間眠ることができた。そして僕は今、ローリング・ストーンズの「エル・モカンボ・ライブ」を聴いている。至福の時間が始まった。

 

 

 

 

というわけで、今日の深夜?に書いた記事でした。もしかしたら再び躁状態になっているのかもしれない。