歌姫サンディーは今日もどこかで歌っているだろう

最近ずっと聴いているサンディーあるいはサンディー&ザ・サンセッツ。彼女の経歴を簡単に書いておこう。

 

サンディー(1951年生まれ)は(多分)アメリカ人と日本人のハーフで12歳頃から歌手として活動している。「ルパン三世」のエンディング曲「ラブ・スコール」の歌手として知られる。

 

1980年、細野晴臣プロデュースで「サンディー」名義としては初のアルバム「イーティング・プレジャー」を日本とイギリスで発表する。その後「久保田真琴夕焼け楽団」を母体にした「サンディー&ザ・サンセッツ」を結成(夕焼け楽団のコーラスとして参加していたが、サンディーをフィーチャーしたバンドを作ることになった)。テクノポップにアジアンテイストをミックスしてロックにしたらこんな感じになりました、みたいな楽曲になるのかな。その後世界各国のツアー活動を開始し、日本国内より海外での評価が高まってゆく。「ヒート・スケール」「イミグランツ」「Viva Lava Liva(ベスト盤)」等の作品を発表している。

 

1990年より再びソロ活動を開始。アルバム「マーシー」を発表。久保田真琴ディック・リーの共同プロデュースでよりアジア色の濃い作品になる。1991年「カム・アゲイン」発表。「蘇州夜曲」「花」「スキヤキ」のダンスミックスも収録されている。1992年「パシフィカ」発表。1994年発表の「ドリーム・キャッチャー」は、国内外でかなり評価されたようだ。(←まだ1曲目しか聴いていない)

 

1990年代中頃より、自身のルーツであるハワイ音楽に傾倒した作品を発表し続けている。フラの教師でもある。あ、あと若い時は非常にプロポーションの良い人だった(今もそうだと思うが)ということも付け加えておかねばなるまい。そうだなあ、アグネス・ラムより早くグラビアアイドルとしても活躍した、と言えば分かる人には分かるかな。

 

 

僕がとっつかまったのは、1980年の「イーティング・プレジャー」と1991年の「カム・アゲイン」である。「イーティング・プレジャー」の方は発表当時、情報としては知っていた(ジャケットに惹かれた)。しかし42年経って聴いても全然古く感じないぞ。細野晴臣は当時YMOで活躍していて「ソリッド・ステイト・サバイバー」を発表した直後になるのかな。後にこの作品はデヴィッド・ボウイに大絶賛され、サンディーと久保田真琴を通して細野晴臣に「このアルバムの曲は良い曲だから盗まれるぞ」と忠告までしたらしい。YMOのメンバー及びファミリーもこのアルバムに参加している。

 

1曲目「哀しみのアイドル」はテクノ歌謡と言えばいいのだろうか。テクノポップって古く聴こえるものだという固定観念があったが全然そんなことないし、この曲は今でも多くの人が気に入るのではないだろうか。アルバムのつかみとしては最高の曲だ。

 

2曲目「LOVE SICK」は久保田真琴作品。パンキッシュに叫ぶサンディーもかっこいい。

 

3曲目「DRIP DRY EYES」は高橋幸宏作品。1,2曲目とは打って変わってユキヒロらしいヨーロピアンな曲調。後の彼のセルフカヴァーを聴くと更に陰鬱でユキヒロチックだ。

 

5曲目「ALIVE」は細野や久保田の沖縄大好き魂炸裂の気持ちの良い曲だ。サンディーの弾けっぷりも素晴らしい。

 

6曲目「HEY ROCK-A LALA」はニューオーリンズになるのかな。こういうのもテクノでやってたんだ。ニューオーリンズのリズムをテクノでやるが故のいびつ感が気持ちいい。それにしてもサンディーはどんな曲にでも対応している。細野氏久保田氏は楽しくって仕様がなかったのではないだろうか。

 

8曲目「JIMMY MACK」は、「ダビーな音」と表現されているレヴューをよく見た。ダビーって何だ?ダブ的っていうことか?まあどうでもいいや。この曲、好きだな。スネークマンショウでも採り上げられていたらしい(未確認)ので、そこからサンディーにいく人もいたようだ。

 

 

でもやっぱり「カム・アゲイン」の3曲で決まりだな。「蘇州夜曲」は言葉では表せないほど美しい。何回聴いても聴き飽きることがない。「スキヤキ」は「♪上を向いて~」の「う」がリズムに食い気味に入るのが堪らなくかっこいい。「花」のレゲエというかスカヴァージョンもいい。

 

今日は「気持ちいい」「いい」「素晴らしい」ばっかりだったな。