日刊あがた森魚その1

今日から運動会がある土曜日まで6日間頑張らねばいけない。今は午前3時40分である。10分前に目覚めて煙草を一服した後パソコンに向かっている。ちょっと気合が入り過ぎているかな。

 

この3連休はジェスロ・タルジョイ・ディヴィジョン等を聴いていたが、昨夜あがた森魚のライヴ映像を観て、圧倒された。今の若者言葉で言うと「あがた森魚しか勝たん」である。僕だってこれくらいのことは知っているのだ。ふふふ。

 

9月22日に、自伝になるのかな、あがた森魚と今村守之の共著という形で「愛は愛とて何になる」が刊行された。予約注文をしていたので次の日に届いたが、まだちらちら読むばかりだ(老眼のせいもある)。いつものように帯の紹介から始めてみよう。

 

細野晴臣「アルバム『日本少年』から約半世紀。今でも一番元気なのはあがた森魚だ」

吉井和哉「音楽の結晶たちがこの人のところへ集まってる」

矢野顕子鈴木慶一、三浦光紀、久保田真琴松岡正剛森達也緒川たまき・・・彼らが証言する『表現力』の正体とは」

 

吉井贔屓の僕としては、そしてあがた初心者の僕としては、吉井の言葉が一番ストンとくる。誰かと一緒に演奏している彼の映像を観ると、あがたの歌を盛り上げるべく素晴らしいミュージシャンがそれは楽しそうに演奏している。一人でアコギを持って歌うあがたも神々しいが、バンド形式も素晴らしい。どの映像を観ても、サポートするミュージシャンはホントにあがた森魚のことが好きで堪らないことがよく伝わってくる。

 

昨日観たのは「佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど」という曲のライヴだ。これは2001年に発表された同名のアルバムのタイトル曲である。相変わらず変ちくりんなタイトルである。「浦島2020」というアルバムから聴き始めたので1作ずつ遡って聴こうと思っていたが、タイトルに惹かれ、間の20年をすっ飛ばして2001年の作品を聴いてみた。

 

タイトル曲の変ちくりんさは他の変ちくりんな曲と同様、ばっちりメロディにはまっている。固有名詞も登場する。今回は人名だ。

 

♪あの夏 細野さんにわがまま言って 「海底二万哩」のネモ船長を教えてくれた 敬子先生に音楽劇を作った 1975年 夏のことだった

 

♪慶一くんや矢野さんたちと一緒になって「海底二万哩」の音楽劇が出来上がって ZIPANG BOY の潜水艦に乗った 1976年 夏のことだった

 

この歌詞は3枚目のアルバム「日本少年(ヂパング・ボーイ)」のことを作った時のことを歌っているとのことだ。本によるとこのアルバムは、(今村氏曰く)「あがたの異才ぶりが遺憾なく発揮されているアルバムと言えるが、これは少年時代、『海底二万哩』に登場するネモ船長の潜水艦ノーチラス号に搭乗することを夢見たころのひな型であり、その後の創作を決定づけるほどの予見性に満ちている」そうだ。

 

ええっ、また聴かねばならぬアルバムが出てきたのか。「日本少年(ヂパング・ボーイ)」はまだサブスク解禁されていないので、それまでにいろいろ聴いとかなきゃ。

 

このアルバムのプロデュースをした細野晴臣は「恐怖の二枚組アルバムが完成したことを祝す。皆の忙殺の合間を縫ってつくられたこの世界一周繪巻物がこれ程面白いものになるとは、誰も想像していなかったでしょう」と語っている。

 

矢野誠と共にコ・プロデューサーとして奮闘した鈴木慶一ムーンライダーズ)も「狂気はレコーディングで発揮しましたね。『日本少年』はまさにそうだった」と回想した。

 

とはいえ商業的には失敗したようだ。そうだよな。大成功してたら僕のアンテナにも引っかかってくるはずだ。とはいえ1976年に発表されたこのアルバムについて2001年のアルバムで言及しているのか。あがたファンにとっては感慨深かったろうなあ。

 

というわけで今週はあがた森魚に浸ろうと思う。それではお送りしましょう。「佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど」です。


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