hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

印象に残っている先生 その2

9月30日(金)

 

昨日は、久しぶりに20時30分頃どうにも眠くなって寝室に行った。例によって眠剤を夕食前に飲んだからであると思われる。そして23時半頃パチリと目が覚めたので隣室のリビングを見るとまだ明るかった。妻はテレビを観ていた。その妻も「寝るわ」と言って2階に上がっていった。あと数分で今日である。

 

やる気モードに入ると、こうやって隙間時間を見つけてパソコンを開くことができる。今日は印象に残った先生その2である。印象に残った、というより大変お世話になった先生、かな。僕の小学3,4年生の時の担任と5,6年生の時の担任である。当時は中学年から持ち上がり(3,4年とか5,6年で同じ担任が受け持つ)するのが僕の通っていた小学校では通例になっていた。だから僕が小学校時代に担任してもらった先生は4人である。全員女性だ。

 

1年生2年生の僕は酷かった。思い出すところでは前に書いた参観日サボり事件(↓)、給食のチーズが嫌いで夕方までお残しさせられたこと(↓)などがある。それに加えて2年生の時の僕は友達とつるんでとにかく授業中にバカ笑いをしていた。国語の物語文の作者の名前が変だと言ってはゲラゲラ笑い、先生のものの言い方がおかしいと言ってはゲラゲラ笑っていた。今で言う授業妨害である。あんまり五月蠅いので廊下に立たされたこともよくあった。要するにお調子者だったわけだ。

 

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そんな僕が3年生になってから変わった。なぜかはよく分からない。きっと担任の先生を好きになったのだろう。もういい歳をしたおばちゃん先生(マツダ先生という)だったが、4月5日だったか6日だったか、初めてじっくりと先生がクラスのみんなにお話をした時の光景は今でも覚えている。おそらく先生の目を見て話を聞いたのもその時が初めてだったと思う。不思議なことに先生のことが好きになってから僕は真面目に授業を受けるようになり、成績もよくなった。特に漢字テストは常に満点だった。友達は僕を成績面からも認めてくれるようになった。

 

10月1日(土)

 

昨日は珍しく色々あった(後日書くと思う)のもあって、昨日と同じく眠剤を飲んでから夕食を摂るという順番になってしまった。あっという間に眠くなってしまった僕は気がついたらリビングで寝落ちしていた。残念だが記事の続きを書くことができなかった。

 

マツダ先生の時の僕をもう少し書いておこう。成績が上がり天狗になった僕の鼻をへし折られた話である。

 

僕は休み時間友達とふざけていた。その内にリコーダーを取り出して教室の中で野球をやり始めた。みんなに止めろと言われた僕たちだったが、構わずやり続けていた。そしたらリコーダーの先っぽが外れて、廊下側の窓に向かって飛んでいった。ガラスが割れた。これはもう言い訳のしようがない。一人ずつ呼ばれた僕にマツダ先生は「漢字テストの成績がいいからっていい気になってるんじゃない?」というようなことを言った。この言葉はさすがにお調子者の僕の心に刺さった。それからはそんな馬鹿なことは学校ではしなくなったはずだ。

 

マツダ先生は両親とも仲良くなっていったようだ。父はPTAに関わるようになったことで先生と話す機会が増え、母は参観日の懇談会以来何かと相談というか話をするようになったらしい。時々食卓で僕の知らないマツダ先生の話がでるようになった。まあ僕は両親からは心配されていたということだろう。僕が5年6年になって、中学生になっても母はマツダ先生との交流を続けていたようだ。

 

具体的に覚えているエピソードはこれくらいだが、僕の心の針をより良い方に向けてくれた存在としてマツダ先生のことは今でも忘れられない。

 

次に5,6年の担任となったのはヨシダ先生だった。ヨシダ先生の存在は、後に僕が「教員もありかな」と思わせてくれる大きなものだった。今は午前4時。書こうと思えば書けるが、ちょっと気合を入れて書きたいので、少し時間を置いて書こうと思う。なんてったって今日は運動会だからね。頭をそっちモードにしなければいけないのだ。6時半には学校に行って駐車場の仕事が待っているのだ。

 

というわけで、今日も一日頑張っていこう。

 

 

 

運動会が無事終わった。駐車場の誘導のことでちょっと揉めたことはあったけど、もうどうでもいい。あちらの押しが強くて僕の気が弱かっただけの話だ。とにかく終わったんだ。今から月曜日までゆっくりできる。そう思っていたら悲しいニュースが飛び込んできた。

 

アントニオ猪木が亡くなった。朝の7時頃だったらしい。猪木は、松村雄策忌野清志郎遠藤ミチロウ三沢光晴と同じくらい、いや、最初に影響を受けた人という意味ではそれ以上に僕にとっては大きな存在だった。その猪木が亡くなった。長い闘病生活の様子をテレビで観ていたから、「お疲れさまでした。ゆっくり休んでください」という気持ちが強い。でも、でも、あの猪木がいなくなってしまうなんて。このことはまた記事にしたいと思う。今は只々故人の冥福を祈るだけだ。