hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

印象に残っている先生

こんなにたくさん記事を書いてきて今更印象に残っている先生というのもどうかと思うが、とにかく最近ふと思い出した先生がいる。一人は高校時代の先生、もう一人は大学時代の教授だ。

 

高校時代、僕の高校生ライフ充実度は暗黒期から始まり、徐々に上昇していったのは前に書いた通りだ。

 

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その暗黒期には数学から古典までとにかくテストの点数が悪かったが、特に英語が嫌いだった。数学とか古典は何が何だかさっぱり分からないので、僕としてもある意味潔く、というかあっけらかんと「分からん!」と思っていればそれでよかった。しかし英語は中学時代から続いているという地続き感を他の教科より強く持っていた。だからリーダー、グラマー、コンポジション(今はどんな風になっているのだろう?)のどれも分かるようでいて実は分からないという実にイライラした分からなさを味わっていた。当然テストの点数も悪い。

 

授業態度もかなり悪かった僕は、ある日、友だちと英語の授業をサボって部室(ラグビー部)で煙草を吸っていた。煙草で思い出したが、高3の頃は、友だちと屋上に行ってよく煙草を吸っていた。思えば牧歌的な時代だった。

 

サボっていたことがばれた僕たち(煙草のことはばれなかった)は、一人一人先生に呼ばれて説教された。ウカワ先生(本名)は、事実確認をしてからうだうだと説教を垂れている(ようにに当時は見えた)。高校生ライフ暗黒期、そしてロックを聴き始めている、さらにロッキングオンを読み始めていた僕は、「受験という制度はおかしいと思う」と思い切って言った。ウカワ先生は頷き、「そうか」と言ってしばらく黙った。

 

僕は先生が口を開くのを待っていた。しばらくするとウカワ先生はこう言った。「だったら受験して大学に行って先生になりなさい。そして受験という制度を変えなさい」と言った。当時は何言ってんだよ、意味が分からないと思っていたので返事はしなかった。これが説教の最後の言葉だったのでやれやれと思いながら生徒指導室を出た。

 

しかしこの言葉はいつの間にか僕の脳みその中に深く入り込んだようである。受験した大学の中に教育学部を入れたのも、もしかしたらウカワ先生の言葉が残っていたかもしれない。そして実際教員になってからもよく思い出していた。出世欲ゼロ、仕事欲は?だった僕はもちろん世の中を変えることはできない。世の中どころか学校の昔ながらの風習ひとつ変えられない。だから僕は「世の中を楽しく作り出すことができる人間」の育成を目指して仕事をしてきた。自分も「楽しい」ことを目標に仕事をしてきた。「楽しさ」に関することは以前書いたのでよかったら読んで頂戴。(読み返してみたら結構鬱陶しかった・・・)

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もう一人の印象に残っている先生は、大学時代の教授である。美術の先生で、一般教養で美術の講義をしていた。最初は何だかんだと文句を垂れながら(←僕には決定的に絵の才能がない)出席していた。そうこうするうちに秋になり、その日のテーマは栗になった。これが奇跡的に上手く色塗りができ、僕史上最高の出来となる絵に仕上がった。ここからが僕の悪い癖なのだが、ある程度できるってなると、それ以上追究するのが億劫になってしまう。だから物事を究められない。美術の授業も、いつしか出席しなくなっていた。そして成績がつけられる時期が来た。このままだと間違いなく単位はもらえない。僕は友達から「あの先生は頼めば何とか通してくれるから、行ってこい」と言われた。

 

そう言われても、作品の数が圧倒的に少ないからどうしようもないよな、と思いながらも一縷の望みにかけて、教授のいる部屋にアポなしで突撃した。当然相手にされない。僕としてはかなりしつこく粘ったがダメなものはダメである。僕もそう思った。だから腹を括って(つまり留年することを覚悟して)「分かりました。来年、頑張りますのでよろしくお願いします」と言った。そしたら教授はこう言った。「分かった。その気持ちを忘れずにこれから頑張りなさい」。一瞬意味が分からなかった。通してくれるのか?ここは確認せねばと思った僕は、「どういうことでしょうか」と尋ねると、「通してあげるから、学部に上がっても頑張んなさい」と言われた。

 

おう!やったぜ!と思った僕であった(←あんまり反省がない。一度は留年を覚悟したからかな)。でも結局留年したんでしょ?と思われた貴方、そうなんです。もうひとつ、フランス語も出席してなくってね。だってさっぱり分からないんだもん。おんなじように頼みに行ったけど、にべもなく断られたよ。それで留年決定である。

 

美術の先生って何となく忌野清志郎が好いていた美術の先生をイメージしていたんだけど、やっぱり芯のところでは優しいのかな、って思ったりもした。

 

書いているうちに小学校時代にも印象に残る先生がいたんだったと思いだした。その話はまた今度書くとしよう。