書き忘れたこと&カンニング

昨日、ピーター・バラカンの本を購入したことを書いたが、書き忘れていたことがあった。昨日の記事を編集することも考えたが、書き忘れたことを忘れないように今日の記事に書いておくことにした。

 

何を書き忘れていたかというと挿画の素晴らしさである。沢田としきという人が担当しているのだが、味わい深くていいんだよね。カバーの挿画はカラーなのでその素晴らしさが一番伝わる。下の挿画はデレク・トラックスダニー・ハザウェイである。かっこよくない?こんなのが135枚あるのだ。眺めているだけでうっとりする。

                    

 

沢田としき氏について調べてみると、イラストレーターとして活躍していたが、1996年「アフリカの音」という作品で日本絵本賞を受賞。それを期に絵本作家になる。なるほど。確かに絵本のような趣のある絵である。残念ながら2010年、白血病で死去している。2009年1月号までピーター・バラカンの連載(月刊PRAYBOY誌)が続いていたが、本を敢行するにあたりピーター・バラカンは、沢田夫人が絵の使用を快く認めてくれたことに対して謝辞を述べている。

 

せっかくだから昨晩発掘したアーティストのことも書いておこう。

 

1人目はビル・ジョーンズ。イギリスの女性フォーク歌手だ。一言でいうと素朴。しかし彼女の声は人の心を震わせる力を持っているようだ。少なくとも僕の心は震えた。2000年発表のデビューアルバム「Turn to Me」からの1曲目「Mist Covered Mountains」を取り込んだ。イギリスのトラッドの香りもする逸品である。

 

次は、オーケストラ・バオバブというセネガルのバンドだ。「アフリカで一世を風靡した逆輸入キューバン・サウンド」である。1970年に結成され、バオバブというナイトクラブで活躍していたが、80年代後半にはグループが解散してしまう。その後「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」を出したレコード会社の呼びかけで15年ぶりに再結成し、アルバムを発表する。そのアルバム「Specialist in All Styles」からの1曲目「Bul ma miin」を取り込んだ。キューバ風味のサウンドも気持ちよいことこの上ない。

 

昨日のアリソン・クラウス&ユニオン・ステーション、ロス・ロボスを含めてこれで4曲となった。こういう感じで少しずつ聴いていこうかと思う。少しロック・ミュージックから離れるかもしれない。

 

 

 

さあて、音楽の話はこれくらいにして、カンニングの話でもするか。前に書いたかなあ。書いてたらごめんなさい。

 

僕が生まれて初めてしたカンニングはそろばん塾で行った(?)ものだった。1970年代、僕の住む地方では、そろばん塾に行くのが最もポピュラーな習い事だった。公文やスイミングスクールなんかない時代だったからね。ご多分に漏れず我が家でも姉がまず習いに行かされ、続いて僕が行かされることになった。それに対しては何の疑問も持たなかった。そして親戚の叔父さんからは初段を取れ小学校卒業までに初段を取らないと人として認めないと繰り返して言われていた。その結果姉は見事に小6で初段を取った(はず)。4つ下の僕は今度は姉を引き合いにして繰り返し叔父からプレッシャーをかけられていた。

 

10級から始まり、9,8,7級と順調に試験に合格したと記憶している。計算でいうとたし算ひき算、そしてかけ算である。これから6級を目指して頑張るという段になって初めて日曜日に呼ばれることになった(普段は平日の放課後に通っていた)。そこで習ったのがわり算のそろばんのやり方だった。それが説明されても僕にはちんぷんかんぷんで何を言っているんだ?先生は、という困った状態だった。しかし、6級を合格するにはわり算習得は必須だ。ここから悶々とする日々が始まった。4年生くらいの時だったと思う。

 

次の日、僕はいつものようにそろばん塾に行った。6級のたし算、ひき算、かけ算を終えて、いよいよわり算である。僕はさりげなくそろばんをはじいているフリをしてその場を誤魔化していた。そして答え合わせ(自分でする)の時に、これまたさりげなく答えを書き写していた。勿論100点にはならない程度に。そして結果を先生に見せに行く。先生はそれを見てその日の塾は完了である。そんな日が何日も続いた。僕は結構しつこい性格なので、このカンニング行為を誰にも相談せずにひたすら続けていた。つらい、という気持ちは意識上には表れなかったけれど、無意識にストレスは感じていたと思う。今考えれば。当然だよね。そして塾の先生もそんな僕を分かった上で静観していたように思った。かなり早い段階で僕のカンニング行為は発覚していたはずなのに、である。先生もきっと困っていたんだろう。

 

そしてついにその日はやってきた。先生に「答えを見て書いてるでしょ?」(正確には覚えていないが、「分からないの?」とかそんな言葉ではなかったはずだ)とはっきり言われた。僕はただただ俯くしかなかった。そして「次の日曜日に来なさい」と言われた。日曜日にそろばん塾に行こうとする僕を怪訝な顔をして見ている両親に「特訓しに行く」とだけ言って僕は1からわり算を勉強し直した。必死に聞いてみると今までさっぱり分からなかったことが分かるじゃないか。何だ、そんなことだったのか、と思った僕は一層そろばんに励んだ。となるとめでたしめでたしなのだが、そういう風にはならず、仕方なく通う度数が高くなっていった、という方が近いかな。結局僕は1級の途中でそろばんをやめることになった。それ以来叔父からは散々嫌味を言われることになった(「お前は1級も取れなかった男だ」云々)。その嫌味は僕が高校受験に成功するまで続いた。

 

この件以来、どうも僕は自分が分からないことに対して分かるフリをする、というか分かった顔をしてその場を逃れるようになったようだ。と書くとちょっと嫌だな。でも大事なことを真っ直ぐに尋ねることができない人間になったかもしれない。

 

 

 

ちょっと厳しい終わり方になってしまったな。でもほんとのことだからしょうがないか。こんな奴なんですよ。俺って。ここまで書いて、前にも書いたことのある内容だったらちょっとショックだな。