hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

冬眠日記その21 ~お前は何故教員になったんだ?の巻~

そういえば日曜日は月曜日のつもりでって主治医に言われてたんだった。ようし、今日は真面目モードで書いてみよう。

 

お題は「何故教員になったか?」にするぞ。僕にとってはかなり難しいお題である。

 

「いやいや『教育学部を選んだ時』と『教員採用試験を受けた時』のことを書けばいいじゃないか」と言われそうだ。確かにそうなんだけど、うーん、それが答えになるのかな、とも思うんだけどね。それにこの問いはかなりの間、僕に付き纏っていた。それこそ大学受験の時も、当然教員採用試験の時もそうだし、教員になってからも子ども達によく聞かれた。その度ごとに違ったことを言っていたから、今も聞かれたら違うことを言うかもしれない。要するにまだ答えははっきりしないというのが正直なところだ。僕は何故教職という道を選んだのだろう。

 

こう聞かれた時によくあるパターンは「子どもが可愛い。その成長を見るのが楽しみだから」「子どもの時に受け持たれた先生に影響を受けて」という答えだろうか。ここら辺から考えてみよう。

 

僕の場合は「子どもが可愛い」と思ったことはないと言っていいだろう。まずどういう意味で言っているのかがよく分からない。我が家には子どもはいないからそういう感情がよく分からないのかもしれない。でも、そうだな、うーん、無理矢理言うとしたら自分が担任している子どもの成長が感じられた時にそう思ったかもしれない。となると確かに成長を見るのは楽しい。しかし、無条件で可愛いとはとてもじゃないが僕には言えない。ということを言ったら「子どもを一人の人間として接しているんですね」と言われたこともある。そうかもしれない。ここら辺(子どもを可愛く思うか問題)はあんまり深く考えないようにしているのが正直なところだ。

 

じゃあ「担任に影響を受けた」はどうだろうか。受けたか受けなかったか、これくらいは、はっきり答えろ、と詰め寄られたら「受けた」と答える。「じゃあその辺のことを書け」と言われたら書ける。

 

僕が影響を受けたのは小学校の時の3,4年生の担任と5,6年生の担任の2人だ。僕の小学校は3,4年で、そして5,6年で持ち上がりだった。2年間同じクラスを受け持つのはなかなか大変なことだと(上手くいけばいいのだが)今なら思う。しかし僕にとってはよかったことなのだろう。何事にも時間がかかる男なんで、先生に慣れるのにも時間がかかった。

 

ダラダラ書くのも何だから一言で言うと、2人とも僕を認めてくれたからというのが大きな原因である。そして僕を「のせる」のが上手かった。その気になった僕はいろいろと頑張り、その先生の言動に影響を受けた。小学校を卒業してからも、2人の先生とは交流があった。以上、子どもの頃に担任してもらった先生に影響を受けた、でした。あ、中学、高校と先生は僕にとって「敵」でした。

 

高校時代の話にいこう。大学受験志望校を決める、というのが1年の時からあった。その時真っ先に書いた志望校は広島大学の心理学科だった。あと大阪の大学の人間科学部だったかな?そういうのも希望に入れていた(どちらも常にE判定だった)。どうも僕は心理学に興味を持っていたらしい。どうしてかはよく分からない。分からないが、人が思っていることをよく言い当てる子どもだった(これは大人にとってかなりイヤらしいことだったと思われる)ことを覚えているので、そのことが関係しているかもしれない。それで3年生になると大学受験の話が現実的になるから、僕の志望先は全部文学部になった。その中で唯一国公立大学の文学部は無理だと判断したので、教育学部にした。教育学部も人間に関係あるよな、と思ったことを記憶している。前に書いたように僕の周囲の人達は僕が国公立の大学に行くことを強く望んでいたので合格した大学の中から僕は(国公立大学の)教育学部を選んだ。この時点で教員になりたいという強い気持ちはなかった。

 

それでは、在学中に教育に目覚めたとか?それはない、と断言できる。大体授業に出ていなかったもの。そんな気持ちになるわけがない。それじゃあ、教育実習でステキな体験をしたとか?それもない。僕は2回目の教育実習の時に「先生に向いてないと思う」と担当教諭に言ったのをよく覚えている。その時先生はこう言った。「先生が向いてないんなら、どの仕事にも向いてないよ」と。この言葉はさすがの僕もこたえた。今でもその時の情景をはっきり思い出すことが出来るし、その言葉も身体の中に残っている。

 

うーん・・・。これは案外重たいテーマかもしれない。今日中に終わりそうもない。もっとサクッと書けると思っていたんだけどな。

 

3回目の教育実習は昔通っていた中学校だった。その時男は僕だけだった。ある女性と仲よく喋るようになったんだけれど、その人が僕の授業を見に来てくれて、いろいろ感想を言ってくれた最後に「〇〇君に答えさせてあげたかった」と言ったのにかすかな違和感を抱いたことを覚えている。「~させてあげる」という発想は僕にはなかったからだ。もしかしたら今もないように思う。ここは重要なところかもしれない。正直に書くと「~させてあげる」には傲慢な感じを抱く。そんなエラソーなもんかな、先生って、と(今でも)思ってしまうのだ。

 

しかし大学卒業となると、教員採用試験が待っている。勿論面接もある。その時に志望の動機も聞かれる。1回目2回目の時に何を話したのかは記憶にない。しかし3回目からは覚えている。「子どもとの関わりを通して自分自身も成長できると思ったからです」である。今ではこの言葉は一般的(いろんな場所で使われる言葉)だと思われる。しかし当時そんなことを言う人はいなかったはずだ。それくらい「子どもが好きだからです云々・・・」ブームだったのだ。と書くとそれこそエラソーだが、僕が頭を絞って誠実に考えた答えがこれだった。ちっとも人のために・・・という考えではない。公務員失格であるかもしれない。後年妻から「人のためって書いて偽(にせ)って言うっておばあちゃんから教えられた」と言われたときには、それ見たことかとばかりにその言葉ばかり使っていたな。

 

 

というわけで、何だか「かもしれない」「よく分からない」「と思われる」という言葉ばかりの文章になってしまった(←いつもか)。これは「未完」である。もしかしたら迷宮入りになる(する)かもしれない。

 

 

 

今日は1秒も音楽を聴いていないので今から聴くことにしよう。それにしてもジョージ・ハリスンなんだけど・・・。すごいのは分かるんだけど、どうすごいのか未だに言葉に出来ないんだよね。