今日は最初っから真面目な話にするかな。
「研究授業」の記事で、「学校は抽象的な言葉で溢れている」と書いた。今日の4年生の社会の授業でもそうだった。「通潤橋ができて人々の暮らしはどうなった?」という問いに「よくなった」と言った児童がいた(1組)。2組では「暮らしがよくなった」と発言した。
1組ではその後「作物が育つようになった」という発言をきっかけに「谷まで下りていかなくても水が手に入るようになった」等具体的な発言が続いたので、「よくなった」という発言との違いについて話した。そして「具体的」という言葉を説明したところ、児童からも「先生からよく言われている」という声が上がった。この学級は2組と比べて学力がある(ペーパーテストを含めて)ことは常日頃から感じていたので僕の乱暴な発問(それこそ抽象的な発問)にも応えてくれた。
ところが2組でも同じように「通潤橋ができて人々の暮らしはどうなった?」と問うと、「よくなった」「暮らしやすくなった」と言ったっきり、後が続かない。そこで僕は「具体的」という言葉を知っているかどうか、少しずつヒントを出しながら聞いてみてもなかなか「具体的」という言葉が出てこない。ほとんど答えが分かるようなところまでヒントを出し続けてようやくみんなが「具体的」という言葉に思い至った。
問題はそこからである。「じゃあ『暮らしやすくなった』って具体的に言うと、どういう風に暮らしやすくなったの?」と聞いても誰も何も発言しない。そこで「机の上をきちんとする」と書き、「今、机の上がきちんとなっているのはAさんだな」「Bさんに言うよ。机の上を『きちんとしないで』ください」と言うとBさんは、重ねてあったノートや教科書をバラバラにした。
「AさんとBさんの違い分かるかな?」と問いかけるとまたしても「Aさんは『ちゃんとしている』」という抽象的な言葉が返ってきた。「『ちゃんとしている』ってどういうこと?」と聞いて初めてある児童(Cさん)が「Aさんはノートを重ねているけど、Bさんはノートを重ねていない」という具体的な言葉が出てきた。
「今のCさんの発言を『具体的』って言うんだよ」と言い、もう一度最初の発問を繰り返したが誰も発言できなかった。そこで僕は「じゃあ、今は分からないということだね。何を見たら分かる?」と聞き児童たちは「教科書」と答えたので「今から先生が教科書を読みます。具体的にどう暮らしやすくなったか分かった瞬間に手を挙げて下さい」と言い、ゆっくりと読み始めた。
「・・・作物を育てられるようになり、・・・」と読んだところで一斉に手が挙がって、初めて具体的にどう暮らしやすくなったのかをはっきりさせることができた。その後も「谷に降りなくても水が手に入るようになったこと」についても確かめることができた。
このことから、1組は普段から児童の(直感的に出てきた)言葉をもう一度児童に返して、詰めて詰めて考えさせているんじゃないか、2組は児童の(直感的に出てきた)言葉をそのまま受け取って何となく授業を進めているんじゃないかという風に思った。そして2組は、授業のやり方に加えて元々の学力の違いもあって今の状態になっているのではないかと思った。「はっきりしないことをはっきりさせる授業」になるようにこれからも児童の発言を基にしていきたいな、と思った次第である。もしかしたら2組の児童は「正解を言わなければいけない」という思いが強すぎるのではないかとも感じた。このことは1組2組の担任にもタイミングを見て話しておきたいものである。偉そうかな。
というわけで、教職員組合の話をしてみよう。今日は何だか真面目路線だなあ。
僕は、教職員組合(以下「組合」)に加入していない。僕が教員として採用された頃、勤務している地域は組合の力が強くて、大体採用されて1,2年で組合員になっていた。しかしながら僕は組合に「胡散臭さ」を感じ、また「就職しただけでもう社会に参加してるんだから、これ以上何かに『参加する』のは嫌だ」とも思っていた。
何が「胡散臭い」かって言うと、組合が内包している「思想性」だ。もしも一般の会社のように職員の地位向上を目的にしたものならば、僕は(渋々ながらも)加入していただろう。しかし教職員組合はそれだけじゃあなかった。はっきり言うと「左翼的思想」に凝り固まっていた。そして「戦争反対」を謳い「教え子を再び戦場に送るな」をスローガンにいろいろなことに難癖をつけていた。自分たちの考えが絶対的に正しいと思い、激しい口調で管理職に詰め寄る姿が嫌だった。もっと言うと「本気でそう思ってるのかよ。適当なこと言ってんじゃないよ」である。
まず何といっても一番嫌だったのは、新年度が始まる4月1日である。最初の職員会議で担任発表とともに、主任も任命されるわけだが、ここでひと悶着ある。「私は同僚に対して指導なんてできません」とか何とか言っちゃって主任に任命されることを拒否するのである。一人が言うと次々と言い出し、ここで今年度最初の会議は膠着状態になる。「朝イチからこれかよ」と思いながら、結局は管理職が「お願い」する形でその場は収まる。これが毎年の恒例行事というか通過儀礼というか、そんなことをして何になるんだというか、とにかく虚しくなる時間である。組合員の言い分はこうである。「何も言わなくなったら、管理職の思うがままにされてしまう。だから私たちが声を上げなければいけない」と、まあこう言うわけだ。そうかもしれないが、じゃあやるなら徹底的にやってくれと思ったものだ。どちらも落としどころをちゃんと分かっていて言い合っている。出来レースみたいなものだ。
次に嫌なことは、組合活動に熱心だった人がスイスイと管理職になることである。「平の教員だった時にあれほど激しく言っていたことは一体何だったんだ」と強く強く思った。いやいや、それも世の中の習わしだよ、キミはまだまだ青いねぇ、何て言われそうだ。だったら青くて結構。喧嘩上等である。僕はそんな人が管理職になることは認めることができない。って言うとまた「組合に入っていないと、管理職になった時に(組合のことを知らないから)対応できないじゃない」と言われるし、実際に言われた。そんなもん知るか、である。
そして・・・って書くときりがなくなるので、また明日か今度、にしよう。まあ兎に角僕は教職員組合を目の敵にしていることだけは間違いない。多分、多分だけど、父親が会社勤めじゃなく商売をしていたからということに関係しているように思う。そしてロック・ミュージックを聴いて育ったことは大いに関係していると断言できる。