hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

穴があったら入りたい(ああ恥ずかしい)

全くどうかしている。いやね、昨日のことなんだけど、4年1組の担任に変わって算数の授業をしたんだよ。その授業がもう悲惨で悲惨で。恥ずかしくて顔から火が出そうだよ。

 

事の顛末は次の通りである。金曜日の午後からプール掃除が予定されていた。微妙な天気だったができればやりたいね、と話していた。

 

4年1組の担任は体育担当だったので、「プール掃除があったら5,6限どうするの?」と聞いたところ、「5限目は自分が授業(算数)をして、6限目は2組担任に合同で体育をやってもらいます」と答えたので、「よかったら5限目授業しようか?」と言ってしまった。

 

「いいんですか?」と食いついてきたので、「うん。いいよ」と答えたら彼は「じゃあ、問題と課題を出すところまでやりますので、その後を引き継いでもらえますか?」と言った。もちろん僕に異存はない。

 

そして天気予報が的中して雨が上がった。僕は4年1組の算数をすることになった。ただしわり算の筆算をすることしか知らない状態だったので、早めに1組の教室へ行ってどこを学習するのか確認しておいた。

 

確認して「しまった。ここをやるのか」と思ったが決めたものは仕様がない。やるしかない。

 

どういうパターンの筆算かというと「256÷4」だ。今までと違うところは、百の位に商が立たないことだ。これ確か東書の教科書では図をかいて考えていたな。ドツボにハマると厄介なところだ。

 

問題を書き、課題「わられる数の百の位がわる数より小さい時、どうすればいいだろうか」を書いて、担任は僕とバトンタッチした。

 

僕はまず児童の現状を知ろうとして「できそうな人」「時間があればできそうな人」「ちょっと困っている人」が何人いるか確認した。「できそうな人17人」「時間があればできそうな人2人」「ちょっと困っている人10人」だった。

 

予想より困っている人が多かった。僕は、「困っている人を何とかしようよ」と言って少しだけヒントを出すように促した。すると児童は「25÷4をすればいいと思います」と発言した。次の児童もその次の児童も同じように言った。

 

いつもの僕なら「なるほどね。それができればこんなに都合のいいことはないよね。でもそんなことできるの?先生が納得できるような説明をしてよ」というようなことを問い返していたはずである。または「25÷4の25って何が25こあるの?」と聞いていたかもしれない。とにかく何らかのことは言っていたはずだ。

 

しかしあろうことか僕は、「それじゃあそのやり方でできるのかやってみて」と自力解決の時間にしてしまったのだ。そして児童は「できた。64になった」でチャンチャンとなってしまったのである。本当にその答えで合っているか検算もしなかった・・・。ああ、恥ずかしい。

 

まあ、クラスが落ち着いた状態ではなかったことや、その時間のうちに解決した方がいいと判断したことなど言い訳はいくらでもできるんだけど、それにしてもひどい。児童が考える場を作ることを怠ってしまった。

 

日頃エラソーなことを言っているのになんてこった。敗北感を抱きつつ僕は「百の位に商がたたないことが分かるように×をつけましょう」と形式的なことを言って、適用問題に取り組むことにした。

 

何となくこうじゃないかと直感的に思っていることに道筋をつけてやるのが授業っていうものだろう、なんてどの口が言えるのだ。結構僕はショックを受けた。

 

まだ担任には言っていないが、来週素直にこんな結果になってしまったと説明することにしよう。

 

しかしなあ・・・。2か月算数をやってないだけでこうなるもんかね。まずは謙虚さが足りない。そのことを痛感した時間だった。