hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

夏眠日記その30

うどん屋の話を続けて書こうと思って考えていたら、いつの間にかストーンズのことを考えていた。そしてこう思った。ストーンズのアルバム最終曲をキースのバラードで締める、というパターンは何時頃から始まったのだろうか。ちょっと横道にそれるが調べてみるか。

 

どうも「エモーショナル・レスキュー」(1980)の「オール・アバウト・ユー」からかもしれないな。次の「タトゥー・ユー」(1981)、「アンダーカヴァー」(1983)で一旦途切れるものの次の「ダーティー・ワーク」(1986)では再び「スリープ・トゥナイト」でキースのバラード復活だ。そして、「スティール・ホィールズ」(1989)でも「スリッピング・アウェイ」でキース。次の「ヴードゥ―・ラウンジ」(1994)ではミックに譲るものの、「ブリッジ・トゥ・バビロン」(1997)では「ハウ・キャン・アイ・ストップ」で再びキースだ。「ア・ビガー・バン」(2005)もいっとくか。キースの「Infamy」だ。

 

それにしてもストーンズって1980年代はマメにアルバムを出していたんだな。今では考えられない。その中でキース、というかストーンズは「オール・アバウト・ユー」、「スリープ・トゥナイト」、「スリッピング・アウェイ」、「ハウ・キャン・アイ・ストップ」、「Infamy」の5曲のバラード(byキース・リチャーズ)を発表しているわけだ。この5曲はキースの定番曲「ハッピー」と同様、大切な曲であると思われる。ライブでは取り上げられていないようだけど、後の彼のソロでこのテイストは感じられる。続けて聴くとなかなかいいよ。というわけで、相変わらずローリング・ストーンズブームが続いている。こんなの、久しぶりだな。

 

 

うどん屋の話に戻ろう。

 

僕は冬休みもうどん屋でバイトをすることにした。僕の働きぶりは前よりもましになったのは確かだけど、まだシンさんの域には達してないし、ってな感じである。しかし店長から「hanami君」と苗字で言われるようになったのは大きな進歩だろう。

 

もう一つ大きなことは「コウさん」との付き合いが始まったことである。コウさんは大阪出身で当然関西弁を喋るが、気難しい人だった。職人気質の人(と同時にシャイでもあった)で、彼自身がその仕事ぶりを認めないと付き合ってくれない、話もしてくれないところがあった。(コウさんとの付き合いはその後10年ほど続くことになる)

 

そのコウさんがほんの少しずつだが僕に話しかけてくれるようになったことは大きな喜びだった。ただ、仕事の話は一切しない。仕事は見て覚えろ、というタイプだった。だからちょっと話しかけてくれるからと言って油断しないでコウさん、シンさんの仕事ぶりを観察しながら過ごした冬休みだった。

 

最後の日、店長が「春もまた来るか?」と聞いたので「こんなのでよければ・・・また来たいです」と答えた(俺っていつもこんな答え方しかできないんだよ。諂ってるように聞こえるでしょ?困ったものだ)。店長はにやりと笑い「待ってるぞ」と言ってくれた。

 

 

そして、春、夏、冬、春・・・と延々5年間もここでバイトをすることになるのだ。自分でもこんなに続けられるとは思わなかった。

 

ここからは時系列が定かじゃないんだけど、思いつくままに書いていこう。

 

まず、ある日突然コウさんから「今日からうどん作ってみて」と言われた。つまりお客さんのうどん、そばを茹でる釜の前に立ちなさい、というわけだ。僕は喜びより不安の方が大きかった。僕がシンさんやコウさんのように手際よく捌ききれるか?分からない。でもやるしかない!と思い、その時は夢中でやった。無事終わるとコウさんは、僕を誉めるわけでもなく、ただ「昼飯食おうぜ」とだけ言ってくれた。嬉しかった。この時から、一緒に昼飯を食うことになったし、下の名前で呼ばれるようにもなった。僕は認められたんだ、と思った。

 

あと、細かくてミクロなことなんだけど、不思議なこともあった。「慰労会」と称してみんなでボーリングしようぜ、と店長が呼びかけたことがあった。勿論全員参加だ。みんなで楽しくボーリングした後、何か食べようということになり、メニューをのぞき込んでいた。僕が真っ先に目に飛び込んできたのは「目玉カレー」というものだった。カレーに卵の黄身を添えただけのものだったんだけど、僕が「目玉カレーにする」と言ったら、みんなが「俺も、私も」と同じものを選んだ。この時の空気感が不思議だったんだけど、何だか僕中心に物事が動いている、という感覚だった。

 

ご承知の通り大学になってもシャイだった僕は不思議に思った。「どうしてこんなことになるんだ?シンさんもコウさんもいるのに僕が主役みたいだぞ」と。確かにこんな感覚は高3の時にも少しあった。でもそれ以来のことだ。

 

こんなことがこれからの僕の人生にほんのちょこっとだけ訪れることになる。悪い気はしない。しないが何だか不思議だな、どうして俺のところに寄ってくるの?という気持ちの方が強かった。

 

50歳を過ぎてからはさすがにそんなことは起きていない。今のところ。

 

 

 

またまたリモート飲み会での話になるが、僕が「いやあ何でもブログに関係づけてしまうんですよね」と言ったらJUNさんに「俺の好きなブログを書いてた人はある日突然『もう疲れたのでやめます』ってなったよ」と言われたが、大いに共感できる。僕なんかも突然やめるタイプだ。お盆休みでも取ろうかな。なんかねー「人志松本のすべらない話」のゲストになった気分になることがあるんだよ。自分にはどんなネタあるかなーって考える時に。