声枯れ週間になりそうだ

只今午前9時50分。10時からのギター教室はキャンセルした。コーヒーは淹れてない。身体は重く頭は朦朧としているが熱はない。一番の問題は喉である。時々咳が出るが、その時の感じで「ああ、これは早晩声が出なくなるな」と思った。せめて声枯れまでで食い止めたいのだが・・・。もし声が出なくなったらいつ以来になるんだろう。20年ぶりくらいになるのかなぁ。

 

原因は低学年の授業であると断言できる。ここ数年のロウテンション(よく言えば落ち着いた口調)で話すのとは逆にかなりのハイテンションで話していたからな。今週も6時間、つまり2年2時間と3年の4時間は声を張って出さなければならないこと必至だ。とにかく今日は安静にするべし、だが、僕の場合声が戻るのに2週間はかかる。GWまで7回出勤日がある。そこまで持ち堪えられればいいのだが。

 

頭が朦朧としているので、ここまま一気に今日の記事を書いてしまおう。

 

先日チラッと書いた「ロックとホーセクションは相性がいい」という話である。僕は代表的なものとして70年代ストーンズRCサクセション及び忌野清志郎と書いた。ストーンズからいってみようか。

 

70年代ストーンズとなれば、やはりアルバムは「スティッキー・フィンガーズ」で、演者はボビー・キーズということになろう。となると「ブラウン・シュガー」の間奏ということから始めなければいけないか。改めて聴いてみると見事にストーンズサウンドに合っている。

 

調べてみると「ブラウン・シュガー」の間奏をどうするか、という話になった時に自ら志願したということだ。また「キャン・ユー・ヒア・ミー・ノッキング」が異様に長いのは後半のジャムでのボビーのソロの出来栄えが良かったためだという。

 

彼はアメリカのテキサス出身で1950年代からプロとして活動してきた。その後、レオン・ラッセルと知り合い、デラニー&ボニーに参加する。

 

彼の演奏を聴いて思うのはとにかく熱い、ということだ。僕の調子がいい時には「イエイ!」って思いながら聞くことができるが、調子が悪い時には暑苦しく感じるくらいブイブイと吹きまくる。唾のしぶきが飛んでくるようだ。アメリカ南部の音楽に傾倒していた頃のストーンズにはもってこいの人材だったように思う。その後も付き合いは続き、コンサートツアーにも参加していた(途中中断あり)。サックスとロック・ミュージックとの相性がよいのを証明しているのがボビーのプレイであることは確かだと思う。

 

 

次は日本のRCサクセションである。こちらで有名なのは「スローバラード」でのタワー・オブ・パワーのプレイだろう。清志郎はこのホーン・セクションに不満だったようだが、僕は好きだ。RC大ブレイク前夜の超名曲である。

 

その後は生活向上委員会だ。梅津和時を中心とするホーンセクショングループはストーンズと同様の役割を果たす。彼はRC後期、そして清志郎のソロ活動まで盟友片山広明とともにずっとバンドを支えてきた。梅津自体はフリージャズの人なのにどうしてRCなんだろうと不思議に思ったものだった。超名曲「雨上がりの夜空に」は彼らの演奏なしでは成り立たない。

 

ストーンズと同様の役割なんだから、基本的には暑苦しい。でもどくとる梅津バンド(D.U.B)の「DANGER」ではクールでクレイジーサウンドを聴かせてくれる。

 

清志郎といえば、ブッカーT.&ザ・MG’Sとの共演にも触れねばなるまい。となるとオーティス・レディングにも言及しなければならなくなるので、ここは涙を飲んで省略しよう。ただブッカーT.&ザ・MG’Sはこれで1回記事が書けるほどの大物だということは記しておこう。

 

 

僕が今回のロック・ミュージックとホーン・セクションの項で一番書きたかったのは、熱いホーンではなく、青白い炎のホーンである。湿り気がない乾いた音である。僕が真っ先に浮かぶのはデヴィッド・ボウイだ。彼がバリバリにメイクをしてサックスを持ったピンナップが気に入り、部屋にずっと貼っていたこともあった。

 

彼のサックスに最初に痺れたのが「ダイヤモンドの犬」だ。タイトル曲もそうだし、4曲目の「Candidate」では青白い炎感満載のサックスが聴けるよ。その後も何かと機会があればサックスを聴かせてくれた。

 

 

やっと僕が一番書きたかったところまで来たぞ。それはブライアン・フェリーのソロアルバム「レッツ・スティック・トゥゲザー」のタイトル曲である。ホーン・セクションのメンバーはメル・コリンズ(ソプラノ・サックス)、Chris Mercer(テナー・サックス)、Martin Drover(トランペット)。この曲のイントロを聴くと、「うわぁ~来たー」となる。


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青白い炎ホーンは、ヨーロッパということにも関係があるのだろうか。そこら辺はよく分からないが、要は調子のいい時には暑っ苦しいホーンが耳に心地よくて、調子に関係なく青白いホーンは好きだということが今回言いたかったことだ。

 

 

今日の記事はホームランからは程遠い出来だが、外野には球は飛んだとは思うんだけど、どうだろう。

 

 

妻はちょっとの時間外に出て買い物をしてきてからずっと家に居る。校長になると「ひま」だと言うのだ。僕の恐れていた事態がついにやって来た。休日は妻と一緒に居ることが増えそうである。妻と喋っている時の僕の声はガラガラである。あんまり喋らせないで欲しい。しかし「これを機に煙草を止めたら?」と言わない妻のことを邪険にするのはよくないことだ。

 

 

さて、もうすぐ正午だ。さっと記事をアップして、元気があれば6年社会のプリントを作って、選挙とクスリのアオキに行ってからじっとしていよう。明日からに備えてもう喋らないぞ。