hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

50歳を過ぎたら異動はキツイ

僕は今年度小学校を異動しました。前任校は、48歳から54歳までの6年間勤務しました。そして昨年の4月に現在の小学校に赴任したわけですけど、結果的には7月9日までしか勤務することができませんでした。

 

何故か?学校(職員室)に居場所がないと感じて精神的につぶれてしまったからです。

 

異動したら、老いも若きも多かれ少なかれ、新しい赴任先のやり方にかすかな違和感を持つことがあると思います。若い時は、そういうものなのか、と思っていたこともベテランの先生が「それちょっと違うんじゃない?こうすれば?」と言って改善されるところも見てきました。

 

このベテランの先生と同じことを新しい赴任先で僕もしました。4月1日から。ただし、それは提案ではなくて質問でした。少なくとも僕はそのつもりだったんだけれど、どうも昨年度までいた先生には、批判的に聞こえたようです。いや、白状しましょう。心の中では批判していました。それが実際の言葉としてもきっと表れたんだと思います。そして提案したことに誰も何も質問や確認をしないなんておかしいじゃないか、みんなどんどん質問しようよ、と呼びかける日が続きました。年度当初の提案はたくさんあるし、実際にやってみないと分らないこともたくさんあることも理解しています。でも提案のほとんどが素通りしていくのには強く違和感を持ちました。その地域では大規模校に当たる本校には若い先生がたくさんいました。きっと、僕の呼びかけに戸惑っていたのか、反感を持っていたのか、考えていなかったのか、とにかく何かに反対することは一切言いませんでした。
 

そして1学期が始まりました。僕は習熟度別算数少人数担当でしたから、授業することに関しては学級担任より負担は少なかったと思います。むしろやりがいがありました。でも校務分掌では、知らないことがたくさんあります。職員室でそれについて質問しても教えてくれる人はいませんでした。たらい回しにされて傷ついたり、休日に一人でPTAの仕事をすることもありました。 

 

僕は4月の終わりには、孤立していました。でも、負けないぞ、今まで通りガンガン言っていこうと思っていたのですが、ある日を境に職員室に入るのにとてもエネルギーがいることに気づきました。特に昼休みは、男子更衣室にずっとこもってやり過ごし、そうじの時間もやり過ごして、やっとの思いで5限目の授業に行くという状態になりました。6限目から年休をとるようになり、ある職員のある一言で、頭の中がプツンと切れて、校長に「もう無理です。」と言って病休に入ることになりました。

 

主治医に診断書を書いてもらう時、こう言われました。「今回はあなたに7割原因がある。そのことを忘れないで。あのね、行ったことのない場所に旅行したら、普通どうする?まず地図を見るでしょ?貴方はそこがどんな学校なのか様子を見た?それに貴方の言葉でとても傷ついている人がいるのよ。それを忘れないで。」
 

 

校長が困って俺の主治医に相談したから、主治医は学校での俺の様子を知ることができたのでしょう。俺に無断でそんなことやっていいのか?それに対して主治医が答えていいのか?という思いは強く残りましたが、誰かを傷つけた、という一言が俺をへこませました。それから気持ちが落ち着くまでに大分時間はかかりましたが、いよいよ復帰間近です。
 

 

双極性障害じゃなくても、いろいろな経験を積んだ50歳代の異動って環境に慣れるのに何かと大変なんじゃないかな。