優れた短編小説になるかどうかは、最初の3ページで決まる。おいおいhanamiよ、昨日も短編小説の醍醐味は・・・なんて断言してたよな、と思われる方もいるだろう。だってしょうがないじゃん。面白かったんだから。
昨日書いた短編集「月まで三キロ」の残り2つのうち1つを読み終えた僕は、こうやって文章に書き留めておきたい気分になっている。それほどまでに「エイリアンの食堂」というお話は面白かった。読者に人気があるはずである。
体力気力ともにまだまだ読み進めることはできるが、この読後感をもう少し味わっていたい。心が穢れている僕でもこのお話に共鳴できたことも嬉しい。もしかしたら科学という学問を好きな人の中には、心が綺麗な人が多いのかもしれない。
最初に戻ろう。最初の3ページで短編小説の出来が分かる。「エイリアンの食堂」もそうだった。でも考えてみれば当たり前だよね。なんてったって短距離走なんだから、最初のダッシュが大切だ。
つまり、最初に誰かが現れて何かをする。そのことに魅力っていうか興味っていうか、どうなるんだ?っていうかそんな気持ちをまず読者に抱かせるのが短編小説の作法なのであろう。
「エイリアンの食堂」というタイトル通り、舞台は食堂である。謎の女性がいつもいつも決まったメニューを注文している。月曜日はアジフライ定食、火曜日は・・・っていう風に。そのことに気づき不思議に思う食堂の主人の娘。
気の利いたセリフがあるわけではない。いきなりドラマチックになるわけでもない。しかし読者は、次々とページをめくりたくなる。その女性は何者なのか?それに対して主人や娘はどうするのか?
3ページで読者がそんな気分になったらもう作者の勝ちである。ゆっくりと主人、娘、謎の女性のバックボーンを描いてキャラクターを際立たせ、読者に満足感を与える。そして後半に向けて物語が動く。
やがて毎日毎日食堂に来ていた女性が、プッツリと来なくなる。何故かというと・・・、とこれまた読み進めてしまう。そして結局最後まで読んで、「ああ・・・いいお話だったなあ」と思わせてしまう。伊予原新は長編の方が面白いのではないか、と最初思っていたが、それは間違いだった。
決してドラマチックな展開ではない。確かに母が(主人にとっては妻が)死んでしまい、未だに傷を負っている、というツラい境遇が描かれてはいる。謎の女性は、高エネルギー加速器研究機構に勤めている。そして娘に(ザックリ言うと)科学の面白さを話す。しかし、その話はとても人間的というかロマンティックなものである。(2年生の)娘に話すときは、別に子ども用に言葉を変換するわけでなく真面目に生き生きと話す。
そして物語の最後には素敵なエンディングが用意されている。昨日も書いたが、ハッピーエンド!っていうわけではないが、確かな希望というものが感じられる終わり方だ。文庫本にして70ページほどである。たったそれだけのスペースで読者がいい気分になるってすごいことだよね。
加えて、もしかしたら昨日も書いたかもしれないが、理系の人の文だなーって思った。科学の話を取り扱っているからではない。ワンセンテンスが美しいのだ。僕みたいに「とても」とか「素晴らしい」なんて曖昧な言葉遣いはしない。そんな理性的なワンセンテンスが集まって、段落になる。そうやって積み重ねていくのが伊予原新が作る物語である。
昨年は、藤原伊織作品を全制覇した。今年はいきなり伊予原新に向かって一直線になりそうな予感がしている。ワクワクするなぁ。
今日から仕事始めである。僕が起きた時、妻はもう学校に行っていた。僕は10時に家を出て精神科受診をした。帰宅途中で「このまま皮膚科にも行っちゃう?」と思いつき実行に移した。帰宅してからは本を読んだ。なかなかいい感じで一日が進んでいる。
何と言っても僕が苦手とする年末年始が終わったのだ。これで通常モードで生活ができる。
ともあれ、今日は「ダイスを転がせ」の練習をしなくちゃ。なんかよく分からんが、みんな4フレットにカポをつけているのだが、もしかしてこれがオープンGチューニングってやつか?でもいっこレギュラーチューニングの動画を見つけたから、これを参考にしよう。
それでは。