もう既に亡くなっている人の声を使って曲を作る。最近では、ジョン・レノンのデモテープから声だけを抜き取ってザ・ビートルズとしての新曲として発表したのが記憶に新しい。
今日は、そういうことを初めてしたのがこれではないかというアルバムについて書いてみたい。ザ・ドアーズの「アメリカン・プレイヤー」である。
ザ・ドアーズと言えば、カリスマ的ヴォーカリストのジム・モリソンを中心に1965年のデビューから全米を揺るがせた人気バンドだが、1971年にジムはパリで死去。この時点でバンドは終わりだとみんなが思った。しかし、その後ジム抜きで2枚のアルバムを発表している。
そのアルバムはパッとしなくて、1973年に解散。ザ・ドアーズの歴史もこれで終わりだと誰もが思った。
しかし、その5年後、突如としてザ・ドアーズ名義のアルバムを出す。1978年11月のことだった。
僕は当時FMレコパルという雑誌を購読していて、その本でこのアルバムのことを知った。ザ・ドアーズのドの字も知らない僕だったが、ジャケットの写真(ジムの髭もじゃ時代の顔)は印象に残っている。レコード評は悪くなかったはずだ。
このアルバムは、レイ・マンザレク、ロビー・クリーガー、ジョン・デンスモアの3人がジム・モリソンの詩の朗読テープにバック・トラックを録音したものである。ジムの朗読は1970年12月8日(ジムの誕生日)に録音されたものである。この詩は淫蕩なものが多かったため、60年代には使用できなかったということだ。
レコード評では、詩の朗読に音をつけた、ということを書いてはあったが、意味がよく分からなかった。そんなことできるん?そう思いながらも当時ザ・ドアーズのことはまるで知らなかった僕はそのまま放置していた。
その後、高校時代にザ・ドアーズの音楽に夢中になったが、それでもアメリカン・プレイヤーまで手を伸ばすことはなかった。きっと廃盤になっていたのだろう。
僕が初めてこのアルバムを購入したのは働き出してからのことだ。再発されていることを知っていた僕は「そろそろかな」と思った。初めてその存在を知ってから約20年後のことだった。
アルバムには、詩の朗読に演奏をつけたもの、詩の朗読に効果音風な音をつけたもの、未発表だったライヴ音源が収められていた。
初めて詩の朗読+バックの演奏を聴いたときは「上手いこと合わせているな」と思った。しかしやはり耳は演奏よりもジムの朗読の方にいく。ジムは歌も上手いが、詩の朗読も悪魔的に上手い。確かにこれを聴くと、発表したくなる気持ちも分からないではない。
でもなんか、割り切れないんだよな。なんで、この時期に発表したんの?とか朗読は朗読のまま発表した方がよかったのでは、って思ってしまう。未発表のライヴ音源があったんだから、そっちを発表すればよかったのに。
尻切れトンボになってしまいそうだが、一度は聴いてみる価値のアルバムであることは間違いない。詩の朗読ってこんなにも力強いのかって必ず思うはずだ。
それでは。