1977年10月28日

この日、奇しくもクイーン6枚目のアルバム「世界に捧ぐ」とセックス・ピストルズのデビューアルバム「勝手にしやがれ」がリリースされた。制作されたスタジオが被っていた時期もあるという。もしロック歴史教科書があるとすれば、この日を境にロック・ミュージックは「パンク以前」と「パンク以後」に分けられたと書かれるだろう(細かいことを言えば、ニューヨーク・パンクもあるし、ダムドの「ニュー・ローズ」はどうしたんだ?とかいう話もあるがややこしくなるので割愛する)。

 

 

ウィキペディアを見ると「世界に捧ぐ」は、「パンク・ロック全盛期に制作された、シンプル・イズ・ベスト的な作品」と書いてある。しかしシンプルとはいえ、それはバンド内のことであって「勝手にしやがれ」のシンプルさとは天と地ほどの差があるように僕は思う。

 

 

チャートを見ると、「世界に捧ぐ」は全英4位、「勝手にしやがれ」は全英1位を記録している。結果だけを見ると、パンクの勝ちである。彼らは世の中を変えたのである。

 

 

さきほど「勝手にしやがれ」をシンプルだと書いたが、本作品ではスティーヴ・ジョーンズのギターは何重にもオーヴァー・ダビングされ、音に厚みを持たせているし、実際に演奏よりやや速目に再生されるように録音したらしい。つまりロンドンパンクサウンドは確信的に作られたことになる。

 

 

再び両アルバムの内容をみてみよう。「世界に捧ぐ」はロックナンバーあり、ハードなナンバーあり、バラードありと音はシンプルかもしれないが、ヴァリエ―ションに富んでいる。対するピストルズは徹頭徹尾激しくてシンプルなナンバーが並んでいる。

 

 

歌詞は「ロックしようぜ」「俺達は数々の苦難を乗り越えた今、みんな勝者なんだぜ」と歌うクイーンに対して、「お前に未来はない」「俺はアナーキスト」と歌うピストルズ、と対照的である。繰り返すが、ここで歴史は大転換を迎えたのだ。若者はピストルズを支持したのだ(まあいろいろあったらしいが)。

 

 

僕が最近よく観ているYouTube番組「みのミュージック」では「パンクはブルースからの影響を断ち切った」と言っていた。なるほど、確かにそうかもしれない。サウンド的には、1950年代の白人ロックやストゥージズ等のガレージサウンドを選んだので、ブルース臭はしない。今までのロック・ミュージックとの差別化を図るうえでこの点はデカいと思う。

 

 

そしてパンクの勃興によってロック界の大物は今まで伸ばしていた髪を切ることになった。特にブルースからの影響が強かったハードロック、ヘヴィ・メタルの大物たちだ。って僕の知る限りではジミー・ペイジロバート・プラントだけだけどね。

 

 

 

今日の話をどこで着地させたいかというと、(いつものことだが)今となってはどちらのアルバムも素晴らしいと書きたかったのだが、今のところピストルズ有利だな。そりゃそうか。エスタブリッシュに対抗あるいは愚弄する姿勢がロックだもんな。

 

 

 

念のために両者のライブを聴いてみた。クイーンの「ライヴ・キラーズ」を聴くと、「ナウ・アイム・ヒア」とかのハードな曲はさすがだなあと思った。そしてピストルズはローテクではなかった。特にドラムのポール・クックが頑張っているのではないかと思った。荒々しくてこれぞパンク!という音だった。

 

 

家に帰って、よく観ているサッカリンさんの動画を観た。「ジョン・ディーコンの素晴らしすぎる名曲10選」みたいなタイトルだった。これを見て「うーん、こんな複雑なことをしていたのかぁ・・・」と思った。平たく言うと僕はピストルズの曲は(練習すれば)そこそこ弾けるようになると思うが、クイーンの曲は永遠に無理だということを思い知らされた。

 

 

さっきはピストルズ有利と書いたが、どちらも素晴らしいとしか書けないかな、やっぱり。うん、どっちも楽しんじゃおう。

 

 

 

明日は金曜日。僕は果たして学校に行けるだろうか?

 

 

それでは。