hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

パンタは最後の最後まで歌っていた

只今午前3時半。雪は10㎝くらい積もっているかな。これなら朝、出勤できそうだ。まだ少し眠いが、あとで二度寝することにして少し記事を書いてみよう。

 

 

日曜日にミュージック・マガジン増刊のパンタ追悼号を買った。なんと、頭脳警察のニューアルバムが2月に発表されるらしい。タイトルは「東京オオカミ」。

 

 

中村治雄ことパンタは昨年7月7日に永眠した。2021年8月1日に余命1年の宣告を受けてから約2年後のことだ。余命宣告の前後から彼は「歴史の復讐劇みたいなアルバムを作りたい」と言い出し、東京にいたと言われる狼のことをいろいろ調べ歩いていた。そしてアルバム制作が開始されたが、パンタの体調悪化のため、ヴォーカルの収録を最優先する手順でレコーディングされたという。そして亡くなる3日前まで音源に対する指示を出していた。

 

 

ライブの方は、亡くなる前月の6月に最後のライブを行っている。一度は体調悪化のためにキャンセル(1月に予定されていた)されたライブだった。亡くなる前の月まで人前で歌っていたのだ。その時の彼の心中は計り知れない。

 

 

さきほどの増刊号は分厚い本なので読み応え十分なのであるが、僕は特にPANTA&HALの項を興味深く読んだ。というかそこしかまだ読み込んでいない。

 

 

頭脳警察、ソロを経て結成されたバンド、PANTA&HAL。この時期パンタは唯一ギターを持たずに歌っていた。発表されたアルバムはスタジオアルバム2枚、ライブアルバム1枚という短命のバンドだったが、3枚とも名盤である。僕は、3枚目の「1980X」からパンタを聴き始めた(当時高校生だった)。

 

 

PANTAの死後、メルカリでは彼のレコードで溢れていた時期があった。僕もそれに便乗して5枚ほど買った。ライブ盤「TKO NIGHT LIGHT」はそんなに興味がなかったが、改めて昨日一昨日と聴いてみてその素晴らしさにやっと気づくことができた。未発表曲の出来がいいし、既発の曲もライブ盤ならではの熱さを感じる。今朝はレコードで最初から最後まで全部聴いちゃった。

 

 

「ライブ葬」のことも書いておかなきゃ。パンタの葬儀・告別式は家族葬で行い、お別れの会は9月1日に「PANTAお別れ会  献花式・ライブ葬」という形で行われた。普通ならファンや関係者での献花式のみだろうが、PANTAは違った。その後に「ライブ葬」というものが行われたのだ。

 

 

これは「ステージで出会った皆さんにステージでお別れを告げたい」というパンタの遺志によるものだという。問題はいつそんな映像が撮られたかだ。マネージャーの田原章雄は、2020年9月26日の配信ライブであることをライブ葬の挨拶の際に明かした。

 

 

2020年といったら世界中がコロナで大騒ぎしていた年だ。パンタが余命宣告を受けたのは2021年。おかしいな、と思っていたら、田原のインタビューが載っていた。

 

 

どうやらこの頃からパンタの体調がただならぬものだと感じていたらしい。そしてドキュメンタリー映画の監督に正面からパンタとトシを撮った映像を押さえておいてほしいと依頼したのだそうだ。多分そういうことが起こるだろう、と思ったらしい。そしてあとでパンタにバレたみたいだ(「お前、何してるんだよ?」と言われたそうだ)。

 

 

パンタの生前から「ライブ葬」までを己の使命だと感じた田原はその後も頭脳警察の音源を映像も含めて全て残した。

 

 

このようにして「ステージの上からのお別れ会」という前例のないセレモニーが行われた。パンタらしい、そして彼をよく知るマネージャーらしい話である。

 

 

今日、パンタについて書くのはこれくらいにしておこう。またいつでも思い立った時に書くことにしよう。

 

 

それにしても僕は何回彼のことについて書いただろう。忌野清志郎に次ぐ記事の多さだと思う。今更ながらパンタのことが好きだったんだな、と思った。

 

 

 

 

自分のことも少し書くとするか。

 

 

どうやら僕の休みペースは、週に月曜日30分、火水木曜日2時間、金曜日30分の計7時間のようだ。大体1週間に1日休むことになる。これを7週続けるとなると7日だ。となると休みの残りは約12日。4月から12月までの年休が12日だなんてあり得ないな。でも今はこの調子でやるしかないし、やはり3月中旬から長期の休みをとるしかない。いや、とりたい。

 

 

妻とは僕の3月以降の動向については話し合っている。僕が「1年は休みたい」と言うと「休むのはいいけれど、もっと穏便に(短めに)できないものかしら」と言う。退職する年度が結局全部出られなくなるのは穏便じゃないよなー、と僕も思う。

 

 

主治医はどんな判断をするだろう。僕としてはできるだけ長期で診断書を書いてくれないと困る。診断書って長くて何カ月だっけ?まさか6カ月の休養を要するなんて診断書は書いてくれないよな。

 

 

 

なんて思いながら今日も年休届けを書いて、どうしたもんかと思案していると校長が別件で話しかけてきた。ついでに年休の話になったので、校長室で今後のことを話した。

 

 

話してみるとやはり僕の考えは伝わってはいなかった。伝わっていない僕の考えは既に市教委に伝わっている。ここは是非もう一度市教委に電話をかけて僕の真意を伝えてもらいたい、とさり気なく言った。でもなー、俺の話、そんなに分かりにくかったのかな?だとしたらその場ではっきりさせてもらいたかったな。

 

 

 

10㎝くらいの雪が積もっていたと冒頭に書いたが、外に出てみるといやいや20㎝は積もってるな、っていう感じだった。早めに外に出てよかった。いつもより早く出勤して学校に着いたのはいつも通りの時間だった。

 

 

帰ってからは除雪車がどけた雪が家の方に積もっていた。予想通りだ。僕は自分のところと妻のところの雪かきをして、明日に備えた。

 

 

明日も雪は積もるだろう。27日にJUNさんと新年会をやる予定なのだが、それまでに少しでも寒気が弱まってほしいものだ。大丈夫かな?

 

 

 

それでは。