hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

授業と似た感覚で書いているのかもしれない

10月下旬から毎日のようにブログを書いている。こよみモードでざっと昨年の書きっぷりを確かめてみたが、やはりこの時期になると毎日書いていた。毎日毎日愚にもつかない文章を書き続けるって一体どういう心算なんだろうと思ったので、ちょっと考えてみた。

 

きっと僕は授業をする、という行為に似た感覚でブログを書いているのではないか、というのが今のところの答えである。

 

今年度の僕の授業は1日約4コマである。その1時間1時間は全力で頑張るが、結果は思うようにはいかない。上手く子どもがノッて授業が進められることもあるが、そうでないことの方が多い。1日単位で考えても同様である。何だか今日は上手くいったなーと思う日もあれば、今日は全敗だったという日もある。もちろん全部がいい出来、というのは無理な話である。担任を離れ、級外担当になってからはその傾向に拍車がかかった。担任だと1日のすべり出しが上手くいけば、その後も上手く転がっていく可能性が高かった。

 

級外になってから、いつの頃か僕は「3割でいこう。じゃないとこっちが潰れる」と思うようになった。つまり、10回授業をしたら自分が納得できる授業は3回あればいいじゃないか、ということである。納得できる基準というのが甚だ曖昧なのだが、とにかく今まで経験してきた授業に照らし合わせてみると、という基準になる。それが他人と比べて高いのか低いのかはよく分からない。

 

そう思うことで気が楽になったかというと、そうでもない。相変わらずだ。ダメな時はへこむし、上手くいった時は「なぜだろう」と思う。自己肯定感が低いんだな、きっと。それに現実問題として3割なんてとてもとても、である。

 

 

そしてブログもいつしか「10回のうち3回くらいはいい感じの記事が書ければいいな」と思うようになった(のかもしれない)。

 

これはまさしく野球の考え方である。野球はバッターの場合、10回のうち7回は失敗するのだ。そして3回安打できればOKなのだ。またはプロレスの考えにも似ているかもしれない。毎日のように試合をやっているからこそ、ここぞという場面で名試合が生まれるのだ。

 

授業も毎日やっているからこそ、時々「これは上手くいった」と思える授業ができるのかもしれない。ブログもおんなじ感覚かもしれないと思ったわけである。

 

もちろんブログを書く時に僕みたいに書かない人もいる。月に数回バシッとかっこいい文章を読ませてくれる人がたくさんいる。そんな文章を読むと「すごいなー」と単純に思ってしまう。でも僕は、どうもそういうタイプではないらしい。ほぼ毎日書く派なのだ。それもどうでもいいことを書いちゃうタイプなのだ。

 

そんな僕だが、今回は記念日である。この記事は888記事目だ。これまで何回も記念日記事を書いてきたが、ここまで来たか。我ながら呆れる、というのは前の記念日にも書いたな。それに、これも前に書いたが文章を書き続けることによってスキルが上がるということはない。スキルを上げるためにはもっと意識して研究と練習をしないといけない。ギターもそうだが、僕には苦手なことである。

 

しかし、何かを続ける、ということに関しては自分でも呆れるくらいに続く場合が時々ある。昔でいうと、ジム通いがそうだったし、今はブログを書くことと料理をすることだ。さっき3割でいいと書いたことと矛盾するかもしれないが、毎日続けられるのは楽しいからだ。楽しさを感じられないと職業作家じゃないんだから誰も書き続けないよな。

 

とにかく僕はこれからまだしばらくはブログを書く生活を続けるだろう。多分。そして楽しいことに、コスパやタイパは関係ない。ただひたすらやるだけだ。あ、でも妻からは「あなたは突然辞めることがあるからこわい」と言われている。それはそれで当たっているんだよなー。

 

 

さあ、あとはどうでもいいことを書いてみよう。夢のことである。よく同じ夢を何回も見る、という話を聞くことがある。僕は「自分にはないな。信じられない」とずっと思ってきた。しかし、ここ半年よく同じような夢を見るようになった。これはどういうことなのだろう。

 

どんな夢かというと、僕が今住んでいる家のほかにアパートを借りている(あるいは下宿している)というものだ。家は今住んでいるところ、アパートまたは下宿は車で40分ほど離れた県庁所在地だ。そこには確かに自分が住んでいるところがある。しかしなかなか部屋に入れない。アパートあるいは下宿の近くまでは行けるし、部屋の様子も分かっている。だが、入れないで悶々としている、という夢だ。残念ながら女性の影は見当たらない。

 

もしかしたら僕の心の奥に逃避願望のようなものがあるのかもしれない。目覚めている時にそのことを思い出し妄想してみると、それも悪くないな、と思わないではない。そういえばこれも(だいぶ昔のことだが)妻に「あなたは突然どこかに消えてしまうような気がする」と言われたことがあったな。当たっているかもしれない。家を建てると決まった(僕が決めたわけではない)時には「これでもう逃げられない」と思ったものだ。

 

まあ、今の生活スタイルには満足しているので、そんな大それたことはしないと断言できるが、もしかしたら心の奥底にそのような願望があっても不思議ではない。とか言いながら妻の方から突然「離婚しましょう」と言われたりして。そうなったら俺は一体どんな気持ちになるんだろうなどと思う僕であった。

 

妄想にお付き合いして下さりありがとうございました。