hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

ついに僕の番がやってきた

こんなタイトルを付けるとなんだなんだ?と思われるかもしれないが僕にとっては大ごとだ。まあ、そんなたいしたことでもないんだけど。えーっと、町内会の班長の番が来年だと告げられたのだ。繰り返しになるけど何を大げさな、と思われるかもしれませんが、僕はこの手の役がてんでダメなのである。そんなのみんな一緒だよ、と言われることは百も承知である。あるが・・・。ああ、ついにそんな歳になったんだ、と只々呆然とする数時間であった。何でも来年度から班長は複数制になるそうで、少しは安心したのだけど、相方に迷惑はかけられないしなあ。ああ、気が重い。どんな役があたるんだろう。

 

というわけでトーキング・ヘッズの話に持っていこう。先週からトーキング・ヘッズが気にはなっていた。しかしブライアン・フェリーを聴く時間が長くなり、彼らのことは横に置いておいた。でも、改めて聴くと気持ちいいんだよなあ。何から書こうかな。今日は丁寧に紹介しないで思いつくままに書いてみよう。

 

僕がプレイリストに入れているのは、1曲目「I Zimbra」、2曲目「Psycho Killer」、3曲目からはアルバム「Speaking In Tongues」(1983)全曲である。「I Zimbra」はサードアルバム「Fear of Music」(1979)の1曲目を飾る曲で、「Psycho Killer」はデビューアルバム「Talking Heads 77」(1977)の(多分)最終曲である。ネットでチラ見したところ「I Zimbra」は、トーキング・ヘッズに興味を持ったロバート・フリップが参加している。ブライアン・イーノが声をかけたのかもしれない。この曲は何かと物議を呼んだ4枚目「リメイン・イン・ライト」(1980)に通じるアフリカンな曲調で非常に気分が盛り上がる。「Psycho Killer」は、そうだなあ。最初にベースがブンブン唸り、その後ベードラがドンドンと刻み段々盛り上がる曲って無数にあると思うけれど、これもそうだ。そういうパターンで始まる曲ランキングのベスト10には必ず入るであろう曲である。この1,2曲を聴いて気分を盛り上げてから聴くアルバム「Speaking In Tongues」は気持ちいいよー。しかもところどころ「おっ」と思わされる佳曲が入っている。それにしても僕は今までトーキング・ヘッズを侮っていたなー。多分それは出会い方が悪かったのだろうと思う。

 

僕が彼らを初めて聴いたのはサウンドストリートで紹介された「リメイン・イン・ライト」だったと記憶している。その時渋谷陽一は(多分)批判的なことを言いながら曲をかけていた。これが後々まで語り継がれる「トーキング・ヘッズはゴミじゃ論争」の幕開けだったのではないだろうか。ろくに調べてないから間違ってたらごめんね。

 

渋谷は当然ロッキングオンにも同様の批判的な記事を書いた。曰く「黒人ミュージシャンを入れて作ったアルバムなんてロックじゃない」。あ、先に「リメイン・イン・ライト」はどんなアルバムだったかを書いとかなきゃ。うーん、そうだなあ、さっきも書いたが「I Zimbra」を更に発展させた全編アフリカンテイスト溢れたサウンド、とでも言えばいいのかな。最初ニューヨーク・パンク(ニュー・ウェイブかな?)の一員と目されていた、そしてインテリジェンスの匂いもちらつかせていたトーキング・ヘッズからは程遠いサウンドだったんだと思う。それを渋谷は「白人ロックにあるまじき剽窃行為」みたいな言い方をして非難したのだった。「例えばローリング・ストーンズに黒人ミュージシャンを入れて黒っぽいかっこいいサウンドになりましたねって言わないじゃない?」みたいなことを言ったのだ。

 

これに嚙みついたのは今野雄二中村とうようである(多分)。今野雄二ロキシー・ミュージックに入れ込んでいた。中村とうようはワールド・ミュージックに入れ込んでいた。その2人はトーキング・ヘッズの「リメイン・イン・ライト」を絶賛した。対する渋谷は「白人ロックは黒人ミュージックに対する批評的精神を失っちゃいかん」とか何とか言って両者は真っ向から対立したのだ。

 

僕はと言えば毎週渋谷陽一サウンドストリートを熱心に聞くうら若いリスナーだったから、渋谷の言うことをそうだそうだと思いながら聞いていた。そしたらある朝父から「お前トーキング・ヘッズの『リメイン・イン・ライト』って知っとるか?」と訊かれて仰天した覚えがある。「知っとるよ。何で?」と聞き返すと「名作か?」と聞くので「ああ~、まあ所詮はモノマネだけどね」と知ったような言い方をしたような記憶がある。ああ、恥ずかしい。父は「今野雄二は知っとるか?」と尚も畳みかけてきた。何で父から今野雄二の名前が?と思ったが僕は「今野雄二の言うことは信用できない」とまたしても恥ずかしげもなく答えたのだった。要するに朝のワイドショーでもこのアルバムは取り上げられていて物議を呼んでいるらしかった。トーキング・ヘッズというか、作品についてあーだこーだ言っている極東の評論家たちの論争がお茶の間の話題になるなんてある意味凄いな、と思った僕であった。

 

ストーンズはもう大分前から黒人ベーシストのダリル・ジョーンズを入れてるけど、渋谷陽一は今「リメイン・イン・ライト」について何と言うのだろうか。ちょっと訊いてみたい気はする。とにかく「リメイン・イン・ライト」からトーキング・ヘッズを聴き始めたのは、ある意味不幸で勿体なかったなと今の僕は思うわけである。

 

「リメイン・イン・ライト」の後、リーダーのデヴィッド・バーンアはブライアン・イーノと一緒にソロアルバムを作り、その後にトーキング・ヘッズとして「Speaking In Tongues」を発表する。僕はこのアルバムをリアルタイムで聴いていない。40年ほど前に発表されたこのアルバムをやっと見つけることができて嬉しい限りである。バンドはその後「ストップ・メイキング・センス」で大ブレイクするんだけどね。そこら辺はもう少しこのアルバムを堪能してから書くかもしれない。

 

 

班長の話なんて数行で終わっちゃったな。そろそろ晩御飯を作るか。今日も1日が終わる。

 

 

記事をアップしようと思い、ふと昨年の今日の記事を読んだらちょうど昨年の今日にJUNさんとリモート飲み会をしていたことが分かった。どうでしょう?JUNさん。近日中に僕にリモートでギターを教えてくれませんかねえ。