hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

冬眠日記その29 ~57回目の誕生日に~

タイトルにこう書くと、「そうか、お前は57なのか」と思われる方も少しはいるかと思う。年齢という結構プライベートなことに触れるのは初めてだ。まあ、50代って書いていたし、50過ぎたら細かいことはあんまり関係ないか。でも僕にとっては結構関係ある。これからは昔のことを書いても「その時僕は〇歳だった」と書けるもん。大げさに言うと、ひとつ自由を手に入れたことになるのかな。

 

そういうことで僕の誕生日は12月29日である。今日だ。そしてつい最近クリスマスだった。このことは少年時代の僕を悩ませる事案だった。

 

姉は11月生まれだ。だからその時誕生プレゼントを買ってもらえるし、ケーキも食べる。そしてクリスマスになるとケーキも食べるし、クリスマスプレゼントももらえる。一方僕はというとクリスマスと誕生日を一緒に祝おうと言われるのだ。その分プレゼントを豪華にすると。そんなの嘘に決まってる。姉は2回分、僕は1回で2回分というわけだ。誕生日は嬉しいけれど、毎年何だか割り切れない気持ちになっていた。そして29日はというと、学校は冬休みに入っている。誰も僕の誕生日のことは知らない。悲しいことである。

 

というわけで、今日で僕は57歳になった。となるとあと何年仕事ができるかとか、あと何年生きていられるかとかを考えるようになる。自然とそうなった。

 

仕事のことでいうと、58,59,60とあと3年で定年かあ、と思っていたが、定年延長で少なくとも62歳くらいまでは働くことになりそうだ。5年。持つだろうか?心も身体も、と考えてしまう。残念だけれど、5年で少しは授業の腕は上がるだろうか?とは考えていない。これまでは今見ている風景の次の景色を見たいと思って授業をしていたものだ。これは心の持ちよう次第だが、うーん・・・、どうなるでしょう?これからのポスト次第といったところだ。粛々と授業ができれば(できれば算数を)いいんだけど。

 

身体の方は、それより厳しいかもしれない。夏から運動らしい運動はしていない。このままだと普通に歩けなくなっちゃいんじゃないかと思うくらいだ。取り敢えず1日1万歩近くは歩きたいものだ。心よりこっちの方が先かもしれないな。物置になっているルームランナーを復活させる時かもしれない。

 

あと何年生きられるか、というのはあまり考えたくないものである。10年先、つまり67歳になった時、生きているのかどうかよく分からない。昔は永遠に生きていられると思っていたんだけど。つまり生きていることが当たり前のことだったのにな。そうもいかなくなった。しかしながら、誰もが思っているように誰かに迷惑をかけて、というか誰かのお世話になってまで生きていたくない、と思ってしまう。そんなこと言ってても人生そんな上手くいくわけはないしなあ。それに人様にお世話になるというか迷惑をかけながら生き続けるというのは必要なことかもしれない。いや、必要なことなんだろう。覚悟だけは決めておかねば、と思う次第である。

 

いかんな。去年まではこんなことはあまり考えなかったのに、最近仕事の終わり方と寿命のことばかり考えるようになったよ。

 

 

気を取り直そう。今年の年末年始は忙しい。音楽活動、ギタ練、読書活動、TV活動とやりたいことがいっぱいあるのだ。もっと細かく言うと、ザ・バンド、ロビー・ロバートソン、ジョン・ハイアット、レイ・デイビス、を聴きたい。「シンス・ユー・ビーン・ゴーン」の練習をしたい。スペンサーシリーズと中野翠を読みたい。ビートルズの「ゲット・バック」や吉井和哉の生放送も観たい、とやりたいことが山のようにある。あ、もちろんブログも書きたいし、ぼぅっともしたい。何だか全部一人ですることだな。とにかく今日からしばらくは仕事のことは考えないでおこう。

 

やりたいことの一つが昨日あった。WOWOWでの吉井和哉コンサート生中継だ。僕としたことがすっかり忘れていたので、少し遅れてコンサートを観た。今日くらいはのんびり観たいな、と思っていたけれど、思わずペンを持って曲名や感想をメモってしまったよ。ブログを始めたことで、僕はこんな風な観方しかできなくなった。悲しいことだ。

 

1曲目は今年のソロシングル第2弾の「〇か×」だった。高音がすごく出ている。吉井はこんな歳になってもこんなに声が出るんだ、と感動していたが、調子は段々下がっていった。一緒にいた妻は「何だか音痴に聴こえるんだけど」と言い出す始末だ。僕は無意識に彼の音程の不安定さを修正して聴いていたが、アンコール後はちょっと残念な出来だった。中音域で歌っている分には安定しているのだが、低いところや高いところはなかなか厳しかった。声が掠れて途切れた時は、僕も妻も「あっ」と声を上げてしまった。

 

でも、吉井和哉はソロコンサートをやり遂げたのだ。今年ソロシングルを2枚出したので「ソロ活動してるのかな?」くらいに思っていたのだが、結構いろんなところに行ってコンサートをしていたようである(調べもしないで書くのも何ですが)。僕はこういうのを待っていたのだ。ザ・イエロー・モンキーはバンドとして大きくなり過ぎてしまったので軽いフットワークで動けない。だからそんな時吉井はソロ活動をすればいいんじゃないかと。メンバーもきっと気持ちよく送り出してくれるはずだと。どうやらその通りになったようなので僕としては嬉しい。

 

 

 

ここ数日は午前3時ごろに起きて、音楽(今日はジョン・ハイアットとなぜかR.E.M)を流しながら服の断捨離に励んでいる。年末だからというわけではないが、心に余裕があるのだろう。しかし、服ってたまるものですね。ひとつには僕が痩せたり太ったりを繰り返しているのもある。しかしもうひとつは、2000年代に入って服は消耗品になったからだと僕は考えている。

 

高校時代に着ていたセーターは、大学生になっても、働き出してからも着ていた。服ってそういうものだと思っていた。着られるうちは着るものだと。しかし、多分ユニクロの登場で事態は変わったのではないかと僕は睨んでいるが、服はどんどん着てどんどん捨てる、またはリサイクルショップに売る、という風に変わってきたように思える。

 

そして僕も同じように服を消耗品として扱うようになった。だってすぐよれるんだもん。僕は今年もせっせとシマムラに通い、今シーズンの服を買い求める。そして家にはどんどん服がたまっていく。これじゃあたまらないってんで、深夜の断捨離である。深夜にするところがミソだ。結構思い切って、そしてスピード感を持って残すか捨てるかを判断できる。断捨離って気持ちの良いものですなあ、という話でした。

 

 

明日はJUNさんとリモート飲み会だ。何回目になるのかな。楽しみである。お絵かき帳(真っ白なのでいろいろなことを書きやすい。仕事でも愛用している)を広げ、聞きたいことをメモする僕であった。

 

 

しばらく辛い文章を書いていたので、こんな風に徒然なるままに書くのは久しぶりだ。やっぱり書きやすいし、楽しいや。