hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

秋眠日記14 ~ロッド・スチュアートの巻~

ロッド・スチュアートの新譜が発表されていた。「ワン・モア・タイム」という曲がシングルになっているようだ。

 

ロッドって今何歳なんだ?76歳?76歳のおじいちゃんが「ワン・モア・タイム」って曲やってるんだよ。すごいね。色々なものを手にしたであろう、もういい歳した人が何を「もう1回」って言ってんだよ。ほんとに素敵なおじいちゃんになったものだ。

 

ベストヒットUSA小林克也は、彼が2000年前後にガン性の腫瘍が見つかって手術をしたこと、今は回復していることを話していた。そんなことも僕は知らなかったぞ。その後ラスベガスのシーザースパレスと2年契約をして、2018年まで月に最低4回ライブをやっていたそうである。アルバムの方はジャズのスタンダードを発表していたらしい。これまた全然チェックしてなかったなぁ。

 

今回のアルバムはカントリー風味(バンジョー等が使われている)の曲もあり、ロッド自身の作詞もありで元気な様子である。小林克也は「ワン・モア・タイム」を聴いてフランク・シナトラを思い出したそうである。なるほどなるほど。

 

それでPVを観ると、まあ元気一杯で観ていて嬉しくなっちゃった。ルックスもほとんど変わっていないし、出てくる人はブロンドの若いお姉ちゃんばかりで、「まだ『アイム・セクシー』かよ」と思ったが、全然嫌味な感じではないのがこの人の人徳になるのかな。歌詞もとても素直に今の自分の心情を語っている。

 

僕はロッドの1970年のソロアルバム「ガソリン・アレイ」に収録されている「Country Comfort」というしみじみとした曲が大好きで、ロッドを聴きたくなったらまずこれを聴いている。あの時代のロッド・スチュアートのソロアルバムは在籍していたフェイセズのメンバーが参加していて、バンドと何が違うんだと思ったものだが、今聴くとやはり違う。ディランのカヴァーもやっているし、やはりあの当時のロッドにとってソロアルバムは必要だったのだろう。

 

その後の作品は「マギー・メイ」以外あまり聴いていない、つまり熱心なリスナーというわけではなかったが、ちょっと聴いてみるか、という気持ちには時々なった。そして「ワン・モア・タイム」だ。この曲は聴いていて元気になる曲だ。

 

 

 

この前本屋に行った僕は「村上ラヂオ3 サラダ好きのライオン」(村上春樹・文 大橋歩・画)という本と「学校ってなんだ! 日本の教育はなぜ息苦しいのか」(工藤勇一 鴻上尚史)という本を買ってチビチビ読んでいる。この「チビチビ」というのが大事で、少しずつ読んでいるうちに「チビチビ」から「イッキに」と読むペースが大きく変化するのが僕にとっての読書の喜びである。

 

最近の記事で村上春樹はいつも書くネタを50個以上持っていてすごい、という話を書いたが、この本はまさにその「ネタ」を惜しげもなく披露している。そうか。こんなことを書けばいいのか。と思ったがちょっと待てよ。

 

「覚えられないこと」「親切心」「雄牛」「オペラ歌手のシャム猫」「超マイナーな映画」「オムレツ」「裁判員制度」「サラダ」「エネルギー手帳」「退屈な会話」「チップ」「小説家になってよかったこと」「オーストリアの動物園」「好きな鞄」「困ったこと」等々、勿論自身の体験をもとに、まあ色々な事を書いている。村上自身「小説家なんて大した経験はないよ」みたいなことを言っているが、そんなことはない。僕はそんなにサクサクと外国には行けないし、裁判員制度に関わったこともない。色々なところに行って色々なこと(何をそんなくだらないことを考えているんだ、ということまで)を体験しているじゃないか。やはり僕には日常のことでこんなにたくさん書けることはないな。参考になるかとも思ったが、そんなことも忘れて只々楽しく読むだけだ。

 

 

 

もう1冊の「学校ってなんだ! 日本の教育はなぜ息苦しいのか」は勿論仕事関係の本であって、僕にしてはこういう本を買うのは珍しい。しかし僕は鴻上尚史のファンなので、面白そうだと思って購入した。

 

家でこの本を見た妻は、「あれっ、こんな本買ったんだ。工藤勇一か~。私も読みたい」と言った。どこまでも教育に関しては博識で貪欲な妻である。僕が無知なだけかもしれないが。

 

狙いをつけた通り、とても面白い本だ。少し読んで僕は昔の僕を思い出した。そして昔の自分から随分と遠い所に来てしまったものだと思った(悪い意味で)。

 

例えば「朝の挨拶運動」である。昔教員になった頃に始まった運動であるが、当時の僕は「何をわけの分からんことをおっ始めるのだろう」と憤慨していた。ところが今の僕は「はいはい、朝の挨拶運動ね」と割り切っている。しかしこの本では「『朝の挨拶運動』は全く無駄な『時間外労働』である」とばっさり断罪している。当時の僕の感覚は(この本の文脈でいうと)正しかったのだ。そんなことがたくさん書いてある本だ。

 

自戒の意味も込めて、改めて自分の感覚を確かめるつもりで少しずつ記事に書いていきたいな、と思った次第である。