hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

秋眠日記12 ~浜田省吾の巻~

こんなに寝ても寝ても寝足りなかったのは実に久しぶりのことだ。深夜2時頃目覚め、思い切ってリビングに来た僕はしばらくしたら炬燵の中でスヤスヤ眠っていた。しかし小1時間で目覚め、また眠くなって・・・を繰り返し、やっと7時前になって「さあ、起きるぞ」となったのである。昨日までの睡眠状況とかなり異なっている。もしかしたら、一昨日の排尿失神が関係しているのかもしれない。自分が思う以上に身体はダメージを受けていて、そのために睡眠を欲していたのかもしれない。とにかく眠くて眠くて寝る、というのは短時間ずつとはいえ久しぶりのことであった。

 

 

というわけで、次の話題に移ろう。こんなに気持ちを持っていかれるとは思ってもいなかったという話だ。僕には子どもはいないし、ペットもいない。その代わりに何かを偏愛することもなかった。その僕が今、車に夢中になっている。と言っても毎日ボディをせっせと磨いているわけではない。とにかく運転したいのだ。そして眺めていたいのだ。エレキギターを買った時も眺める時間の方が練習する時間よりも長かったりしたものだが、今回はそれ以上である。だから、昨日も静かに過ごさなければいけないのに、ちょこちょこと車で本屋に行ったりコンビニに行ったりしていた。

 

家に届いてからまだ10日余りだからなのかな。まあ、何にせよ出勤が楽しくなったのは確かである。その気分のまま授業もできる。何かで楽しい気持ちになるって大切なことであると思った次第である。そして今日はどこに行こうかな、ともう頭の中で考えている始末である。

 

しかし問題もある。最大の問題はワイパーである。先週の火曜日から金曜日までは雨が降りっぱなしだった。火曜日の出勤時に発覚したのだが、ワイパーが実におぞましい動き方をする。フロントガラスをブルブルと振動しながら往復するのである。これはいかんと思い、帰ってすぐに車屋に行った。お兄ちゃんに様子を見てもらうと「確かに動きが悪いですね」と同意してもらったので「そうだろうそうだろう」とホッとした。そしてフロントガラスをゴシゴシと磨き始めた。どうやら油分を落とそうとしているらしい。「ウォッシャー液にも2種類あるのでもしかしたらそれも関係あるかもしれません」と言われた。お兄ちゃんのおかげでワイパーの動きがスムーズになったので、その日は帰った。しかし次の日の朝、やはりワイパーは不調だった。微かに苛立ちながら運転する僕であった。とにかくウォッシャー液を早く全部使い切って、車屋に行こうと思った。

 

 

さあ、今日は浜田省吾である。なにぃー?浜田省吾ぉ~?おまえが?と思われる方もいるかと思うが、先週の中ごろから、いつの間にか僕の心に忍び寄って来た男が浜田省吾である。先週はビリー・ブラッグエイミー・マンの週だったというのに、その隙に僕は浜田省吾もチラチラ聴いていた。そして昨日の朝、爆発したのだ。とはいっても今僕のスマートフォンに入っているのは12曲59分だけなんだけどね。

 

もしかしたら、最近聴いてきたものよりも暑苦しい声を望んでいたのかもしれない。そして昭和のムード歌謡にも少し興味が湧いていたのも関係があるかもしれない。というか演歌っぽいやつ聴きてぇ!というのに近いかもしれない。とにかく浜田省吾の声を聴きたくなった。一応書いておくと僕のスマートフォンにはテレサ・テン石川さゆり山口百恵も入っている。浜田省吾は以下の曲が入っている。

 

・MONEY

・悲しみは雪のように

・MY OLD 50’S GUITAR

BASEBALL KID’S ROCK

・旅するソングライター

・きっと明日

マグノリアの小径

・五月の絵画

・夢のつづき

・この新しい朝に

・青春の絆

・壁にむかって

 

最後の3曲は今年6月に発表された作品だが、これがいい。「新しい朝に」はサビが特にいい。「この長い坂道の向こうに広がる景色は/まだ見えてはこないけど/長い坂道の上に広がる空は高く/青く深く/強く凛と輝いてる」この必殺のフレーズはどの世代の人々の心をも撃ち抜くだろう。でもやはり40過ぎないと実感が湧かないかもしれないな。50過ぎるとかなり切実に聴こえる。60過ぎるとどうなるんだろう。浜田省吾当人は68歳で、実は僕と誕生日がおんなじでもある。もうすぐ69歳だ(歳は一回り違う)。彼のここまでの歩みは全然知らないが、これだったらまだまだいろいろな風景を見せくれそうだ。楽しみである。

 

浜田省吾を聴いていたら妻が「キャア~、この曲好き💛、あ、これも好き」と盛り上がっていた。二人で音楽を共有したのなんていつ以来だろう。(妻とはザ・ブーム、ザ・ブルーハーツ斉藤和義トモフスキーを共に聴いていた)

 

今日は一日静かに過ごしていた。