平沢進と出会った僕

しつこいようだがもう少し平沢進に付き合っていただきたい。

 

平沢進について、楽器やライブについて書いているけれど、そもそも平沢進ってどんな人でどんな活動をしてきたのかという基本情報をほとんど書いていなかったことに気づいた。僕の悪い癖だ。読者はそんなこと知ってるだろう、あるいは知らなかったら調べるだろうと勝手に思い込んで書いていることが多い。平沢が使う変な楽器その2をアップしたが、今日はできるだけ平沢進という人、そして僕がどのように彼と関わって来たのかを書いてみたい。それではいこう。

 

平沢進は、1954年生まれの66歳。1973年にプログレロックバンド「マンドレイク」を結成し、音楽活動を始める。1979年にはP-MODELのボーカル、ギター担当としてメジャー・デビュー。1989年以降はバンドと平行してソロ活動を開始する。彼に影響を受けたと公言しているミュージシャンが何と米津玄師やDAOKOである。そうだったんだ。びっくりしたよ。

 

P-MODELヒカシュー、プラスティックスは「テクノポップ」としてひとくくりにされ(YMOは別格)、一時期旋風を巻き起こした。僕は、その3バンドが初めて一堂に会してテレビ出演したであろうNHKの夕方の番組をリアルタイムで観ている。しかし、平沢の顔が今一つ気に入らなくてP-MODELにのめり込むことはなかった。

 

とはいえ、動向は追っていた。高校時代DEVOYMO等を聴いていた友だちがいてP-MODELも聴いていたので2枚目のアルバムを借りた記憶がある。平沢のシャウトがかっこよかった。そして3枚目の「Potpourri」を初めて自分で買うことになるのだ。音楽誌の評価が高かったからだ(情けない)。そして内容は僕の好みに合っていた(つまり暗かった。そんなポップとかロックじゃなかった)。今でもその中の1曲「いまわし電話」はよく聴く。

 

しかし、なぜかまた僕はP-MODELから離れてしまった。アルバムがリリースされたことは知ってはいたがどうも手がのびなかった。P-MODELは、1988年で一旦活動を「凍結(活動休止)」する。(その後、不定期に活動を行い、アルバムもリリースしている。2004年には核P-MODELとして平沢一人で「一人P-MODEL」をやる)

 

その後彼のCDを買ったのは1992年発表のソロ3部作のベスト盤(「魂のふる里」)だった。P-MODELの面影はなく、弦がフィーチャーされた落ち着いた作風に変わっていた。僕は大学を卒業していた。その前後だったと思うがWOWOWで平沢のライブは放送されたのを観た。その中の「世界タービン」という曲にいたく感銘を受けた僕は「世界タービン」が収録されているソロ2作目の「サイエンスの幽霊」も買った。

 

その後彼は、13枚のソロアルバムを発表して現在に至る。最新作は2015年発表の「ホログラムを登る男」である。

 

「サイエンスの幽霊」(1990)を買った後に僕が買ったのはソロ8枚目の「賢者のプロペラ」(2000)だった。「魂のふる里」から8年、僕は平沢を追うことはなかった(「魂のふる里」は結構聴いていた)。何故「賢者のプロペラ」を買ったのかもよく分からない。しかも聴いた当初の感想は「ふうん」だった。いつものことだが、その作品の素晴らしさに気づいたのはもっと後のことだった。