人力で人間解体

「人間解体」(原題は「The Man-Machine」)とは、クラフトワークが1978年に発表したアルバムのタイトルである。クラフトワークはドイツの電子音楽グループで、クラウトロックの代表格であり、テクノポップを開拓した先駆者として知られる。メディアからは「エレクトロニック・ダンス・ミュージックのビートルズ」とも評された(ウィキより)。

 

 

クラウトロックというのは、1960年代末から1970年代初めにかけて、西ドイツに登場した実験的(前衛的)ロックバンドの一群の音楽を指す(再びウィキより)。

 

 

 

テクノか。となると、シンセサイザー?人間が楽器を演奏しないで機械で音楽を作っちゃう?みたいなイメージを持ってしまうかもしれないんだけれども、僕はこの「人間解体」を聴いて人間味を感じたんだよね。それは平沢進の音楽を聴いた時と同様のものだった。

 

 

 

平沢はかつてテクノって非人間的で冷たい音楽ですよね?みたいなことを公衆の面前で言われて、「非人間的で何が悪い」と宣った人である。その時の映像を見たのだけれど彼の態度と言葉こそが人間的だった(ついでにロック魂も感じた)。それ以来僕はテクノは人間的な音楽だと思って聴いている。

 

 

 

クラフトワークを聴く前に、YMOを昨年、今年と今までより根性を入れて聴いた。彼らの音楽も人力で人間的に聴こえた。クラフトワークをメンバーに紹介したのは坂本龍一だということだけど、・・・まああここら辺の話は多くの人が知っていることであろう。

 

 

 

今日僕が書きたいことは、1978年のテクノポップ開拓者の音楽を聴くには、レコードが適していた、ということだ。昨日からアップルミュージックとレコードのことで騒いでいる僕だが、今日はクラフトワークを両方で聴いてみた。その結果僕はレコードに軍配を上げることにした。テクノでシンセなんだからデジタルと親和性が高いと思ったりもしたが、どうやらそうとも限らないらしい。不思議なものだ。

 

 

 

クラフトワークは「人間解体」の1曲目で「私たちはロボットだ」と歌っている(多分)。でもそのロボットになるためには、人間の力が必要だ。もしかしたらクラフトワークの面々も平沢の言うように非人間的で何が悪い?ってな風に思っている人たちなのかもしれない。でもって自分たちで(つまり人力で)「私たちはロボットだ」なんていう曲を作っちゃう。そんな人たちで作られた音楽はレコードで聴くと胸にくる。

 

 

全く面白いものだ。まあ本人たちはどう思っているかは分からないが、僕にはそう感じた。今日はそれだけ書けたらいいや。

 

 

 

そう言えばウィキにはこうも書いてあった。「ロサンゼルスからミキシング作業の為に渡独したエンジニアのレナード・ジャクソンは黒人であり、本作が白人のメンバーの手によって作られた事に驚いたという」。

 

 

 

全く痛快でロックな話だ。

 

 

 

それでは。