昨日はエアロスミスのアルバム「ナイト・イン・ザ・ラッツ」について散々出がらしだなんだと書いたが、因果応報というか何というか、自分が出がらしだということに今気づいた。
只今午前2時半。昨夜は久しぶりにリビングで寝落ちして(つまり睡眠導入剤を飲まないで寝てしまった)、そのまま固い床の上で眠った。いろいろな夢を見た。そして目覚めた今、自分の何かがすっからかんになっていることに気づいたのだ。
でもそんなことはいいのだ。と開き直るしかない。鬱状態でも軽躁状態でもないことに感謝して生きるしかない。導入剤を飲まなくても眠れたことをうれしく思おう。そして今日も自分の脳みその中を検索して何かを書くのだ。何を書こうかな。
女性ヴォーカルというくくりで書いてみようかな。男性女性と分けて考えるのも今のご時世、ナンセンスかもしれない。でも、女性ヴォーカルには女性ヴォーカルの味があるのは確かなことだと僕は思っている。僕のレコードラックにある女性ヴォーカルコーナーを見るとこんな人たちのレコードを持っていた。(↓↓↓たくさんいるよ)
フィーヴィー・スノウ
マリア・マルダー
ザ・プリテンダーズ(クリッシー・ハインド)
カーペンターズ(入れてもいいよね?)
アバ(これも入れちゃおう)
ニコ
シルヴィー・バルタン
アリソン・モイエ
スージー&ザ・バンシーズ
ふぅ。我ながらたくさん持ってるな。ケイト・ブッシュやマリア・マルダー、ジョニ・ミッチェル、荒井由実については記事に書いたことがある。今日は誰かについて書くのはやめにしたい。だとしたら何を書こうかな。
暴言になるが、思い切って書いてみよう。女性は強い。これが僕が聴いてきた女性ヴォーカリストに対する大まかな感想だ。レコードを聴くと、大体において「私はこう思うの。もし何か意見があったら言ってちょうだい」と言われている気分になる。そして意見を言おうものなら「でも私はこれこれこう思って歌っているわけ。何か文句ある?」と言い返される(気分になる)。どうやら僕のレコードラックにはそんな女性のレコードがたくさんあるっぽい。それは「正しいレコード」と言ってもいいかもしれない。
これについてはもしかしたら現実の生活とも関係しているかもしれない。つまり僕と妻の関係だ。このブログでたびたび妻にこう言われたとかこんな喧嘩をしたとか書いているが、あれはデフォルメしたものでもなんでもなくて、ただただ本当のことを書いただけである。つまり僕は、「ヘイ!俺についてこいよ」というタイプではないということだ。(←そんなことはもうバレバレか)そして常に妻が正しいということだ。
春にドジャースのムーキー・ベッツが新婚の大谷翔平に「夫婦円満の秘訣はただ一言『イエス』って言えばいいのさ」と笑いながら言っていたが、つまりはそういうことだ。僕たち男性はただただ「そうかあ」と思いながら女性ヴォーカルの歌声に浸っていればいいのだ。それで全て丸く収まる。
とまあここまでが例によって深夜に書いたものである。今日も朝、気持ちも体もはっきりしなかったのだが、9時ごろ車屋さんから、フィアットに特に異常は認められなかったとの連絡があった。ホッとしてすぐに車を取りに行き、銀行とイオンにも行った。そこからはまあまあの精神状態である。今日も何とか夕飯作りまでこぎつけそうである。
それにしても、こういう眠り方がいいとは思えない。何とかならないものだろうか。眠剤を飲む時間を遅くしてみるのが一番いいとは思ってるんだけどね。うーん、きっかけがないとできなさそうだ。
もう少し女性ヴォーカルのことについて書いてみるか。さっき僕は「正しいレコード」だと書いた。これはだからといっていい作品だと言っているわけではない。正しいにいいも悪いもない。それを聴くか聴かないかだけだ。しかしながら僕はどうやら「正しいレコード」に惹かれる傾向があるらしい。
あとは何を書こうかな。僕の持っている女性ヴォーカリストのアルバムの多くは結構バックの演奏の音がいい。それについつい聴き入ってるからなかなか曲の全貌が掴めないでいる。もしかしたら曲の構成が複雑なのかな。何度聴いてもメロディがしみ込んでこない。これが不思議だ。そんな風に感じるのは僕だけかな。
今日はここまで。それでは。