hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

老後シミュレーション

僕は、どうも今回の病気休暇を老後シミュレーションと捉えて生活しているようだ。自分のことなのに「どうも・・・しているようだ」と書くのも情けないが、まだよく分からないんだからしょうがない。とにかく今朝「老後シミュレーション」という言葉が浮かんだんだよ。

 

 

まず「老後」とはいつからのことを指しているのだろう。そこから考えていくか。そう言えば職員室の前の席に座っている退職校長(63歳くらい)は、「いきなり仕事を辞めるのは得策ではない」と言っていた。つまり、ハーフ(午前中だけ勤務)や支援員等、第一線から徐々に離れて仕事をしながら教職を終えるといい、ということだ。僕もそう思うので、退職校長に倣って徐々にフェードアウトすることにしよう。そうすると、65歳くらいで今の仕事を完全に辞めるのが今のところ理想的かと思われる。

 

「老後」はそれ以後だ。65歳で完全フェードアウトしてから、僕はどのように生活していけばいいのだろう、ということを何となく考え始めていることになる。

 

僕には(今も)歳をとってからもやりたいことがある。音楽を聴くこと、ギターの練習をすること、体力作り、本や映画に親しむことなどだ。あ、ブログも書き続けていきたい。やらなければいけないかなあ、と思うこともある。料理をすること、庭や家の手入れをすることなどだ。

 

ここまで書いて大きな問題点がひとつ見えてきた。上に書いたものは一人で全部できることであるということだ。年寄りが一人でできるもののみに集中するって危険じゃないかなあ、なんて思ってしまった。それに妻との会話は僕にとって必要ないのだろうか。大体妻は生きているのだろうか。65歳というとあと7年だ。この7年という間に何が起こるのだろうと考えると怖くなってきたので今現在の話にしよう。

 

 

 

今、僕の目の前には、何でもしていいよっていう時間がたくさんある。その時間を有益に使っているのか。答えは否、である。具体的に何をしているんだ、と細かく見ていってもすぐに終わるほど時間を無駄にしている。

 

「無駄にしている」と言えるもののひとつは最近も書いたが、YouTubeである。ひとたびYouTube番組を観だすと、気がついたら数時間経っていることがある。この罠に嵌っている人は大勢いると思う。僕もご多分に漏れず、どっぷりと嵌っている。ここから抜け出さなければ、やりたいこともやろうとしていることもなかなかできない。自分で決めたことがなかなか守れない僕にとってはYouTubeこそが最大の敵であるように思われる。とにかく昨夜は「もう観るまい」と決心して、今のところそれを実行しているが、いつまで持つか分からない。自分で時間なり、観るコンテンツを決められるといいんだけどね。多分僕は0か100の人間なのだろう。

 

0か100の人間で言ったら料理もそれに当てはまる。17日の日曜日から毎日妻の夕食を作っている。そのために毎日献立を考え、食材を買い、キッチンに立っている。「料理をする」ってなったら、もうせずにはいられないのだ。まあ、これはYouTubeに比べれば100倍生産的だとは思うが、我ながら病的だと思わざるを得ない。いつまで続ける気なのだろうか。上手い具合に手を抜くことを覚えられるといいのだが、まだこのブームはしばらく続きそうだ。

 

草むしりはまずまずやっている。家の掃除もまあまあやっている。問題はやりたいことをやっているか、である。それが全くできていないのが悲しいやら情けないやら、まあ複雑な気持ちである。

 

例えば僕は、音楽を聴く時間が増えると普通に思っていた。それが、寝る前まで何も聴かないこともある。どうしちゃったんだろうね。ギターの練習をやりたいだけやれると思っていた。フェンダーのリードⅡも購入した(←さりげなく書いている)。リードⅡの音は僕をワクワクさせた。それなのにギタ練の時間は、仕事をしている時とあんまり変わらない。

 

それからブログを毎日書くことになるかな?と思っていたが、全くそんなことはない。というか、書き方を忘れちゃったよってなくらいである。昨年のブログを読んでみると、結構いろんなことをして、いろんなことを書いていたのになあ。これを劣化というのだろうか。もう僕には書くことがないのだろうか。

 

体力作りに至っては、全くのゼロである。ウォーキング?していない。ダンベル体操?全然してない。これに関してはかなりマズい状況に陥っていると思う。思えば「気合を入れ直そう」みたいに書いたのが10日ほど前である。そして今、また似たようなことを書いている。

 

そんな日々を送っているのだが、気がつくと16時になってたりするのだ。これはかなり焦る。焦ってそうじをしたり料理を始めたりするのだ。そして夜が来る。

 

「老後シミュレーション」を数値化すると今のところかなり低い。もしかしたら赤点かもしれない。しかし僕は希望を捨てたわけではない。ダメなら繰り返しブログにダメっぷりを書けばいいじゃないか。そのうち、光が見えてくるかもしれない。それに今は「老後」じゃなくてシミュレーションしているだけなんだし。シミュレーションに失敗したからといって本番も失敗するわけじゃないし。

 

というわけで、今日はイギー・ポップを聴きながらブログを書くことができた。それでよしとしよう。ある程度の時間パソコンと向き合い、文章を綴ることができたのだ。一体この夏で何回「リスタート宣言」をすることになるんだろう。でも内容はどうあれ、こうやって文章を書くことができると気分は上がりますな。

 

あ、でもひとつ自戒を込めて書いておこう。煙草の吸い過ぎに注意!である。家に居る時間が増え、喫煙量も絶賛激増中である。

 

 

イギー・ポップは「Lust for Life」(1977)を聴いている。今まで決まった曲(1、3、4曲目)しか聴かなかったアルバムだが、これはもしかすると名盤かもしれない。もう少し聴き込んでみよう。(いつものように気づくのが遅い。初めて聴いたのは20歳だよ)

 

もうひとついいニュースがあった。ジョニ・ミッチェルが2015年に病で倒れて以来、初めてコンサートに復帰したというニュースだ。これは凄いことだと思う。ジョニ・ミッチェルもこれから聴くぞリストに入れておこう。