hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

僕のパイセンは1950年生まれ

最初に「先輩」と呼ぶようになるのは、大体中学での部活であろう。「〇〇先輩」と言う時の嬉し恥ずかしといった気持ちは今でもよく覚えている。中1の坊主が中3の先輩に憧れと尊敬の念を抱くのはよく分かる。その時の1年差、2年差はとてつもなく大きかった。

 

 

しかし歳をとるにつれ、1歳違い2歳違いはそんなの同年代の範疇になる。そして先輩と呼びたくなるような人は大体一回り以上歳の離れた人になる。となると1964年生まれの僕としては、1950年代生まれの人に対してそんな気持ちを抱くことになる。結果としてだが、僕が強烈に憧れ、その言葉や音楽に影響を受けたのは1950年生まれの人が結構多い。

 

僕が初めてこの人についていきたい、この人の言うことをもっと聞いていたいと思ったのは松村雄策渋谷陽一である。中3あるいは高1の頃の僕にとっては30歳くらいの人が先輩(という言い方が適当かどうか分からないが)に当たったというわけだ。2人とも1950年生まれだから、1980年初頭は30歳を過ぎたばかりの頃になる。ロッキングオン松村雄策の文章を読み、ラジオの「サウンドストリート」で渋谷陽一の言葉に聞き入る。その文章や言葉が僕にとっては人生の指針になった。

 

その後、忌野清志郎を知り、仲井戸麗市を知り、遠藤ミチロウを知り、パンタや友部正人も聴くようになった。奇しくも5人とも1950年生まれである。松村雄策忌野清志郎遠藤ミチロウはもう亡くなった。先輩はいつも必要な時にはそばにいるもんだと思っていたが、いつの間にかそういうことになってしまった。

 

今あげた先輩達に多大な影響を与えたのがビートルズである。ビートルズが初来日したのが1966年6月29日。そして彼らは6月30日から7月2日まで計5回公演を行った。テレビ放送もされた。1950年生まれの先輩は当時15,6歳。つまり中3か高1ということになる。

 

どうも中3や高1の時にガツンと衝撃を受けたものは後年になってもやられっぱなしというケースがあるようだ(その時はガツン、だったけど「そんな時もあったよなあ、ハハハ」という大人も大勢いるが。こっちの方がほとんどかな)。少なくともさっき挙げた人はやられっぱなしのパターンだ。つまり少年時代に影響を受けたものに対して、大人になってもまだ向き合っている、と感じられる人が僕にとっての先輩ということになりそうである。

 

そんな1950年生まれの人は今年72歳になる。さっきも書いたが亡くなった人もいる。しかし今も活動している人もいる。どちらにしても、たとえ僕が亡くなった人の年齢を越して生きていても今書いた人に対する先輩感は失われることはないと思う。

 

それにしても1950年ちょうどに生まれた人って何か特別感があるんだよなあ。不思議だ。

 

 

 

今日は何をしたか?のコーナーに移るか。今日は棒棒鶏サラダと茄子とピーマンの煮びたしを作った。明日は隣の土地で上棟式がある。そのお祝いの酒も買った。その後はひたすらYouTube漬けだ。YouTubeに関してはかなり危ないことになっているという自覚はあるが、止められない。こんなに何かに淫するっていうの?こういうのは音楽以外になかったな。ゲームは一切したことがない僕だが、ゲーム中毒ってこんな感じなのかな?