hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

人として欠けている

57歳にもなったというのに、これから書くことは「何を子どもじみたことを」と思われかねないことである。いやきっと10人が10人そう言うだろう。でも今日は思い切って書いてみよう。

 

いつからか僕は、血縁関係のお付き合いがとても苦手になっていた。特に親子関係。もっと言うと母親との関係である。父が死んでから7年経つが、母との関係は疎遠になるばかりだ。いやそもそも避けているから「関係」なんてものは「血」以外ないのかもしれない。母は現在実家に一人で暮らしている。色々な人に支えられながら。僕は母には何もしていない。具体的に書くと、こちらから電話はしない。実家にもよほどのことがない限り行かない。正月に行っても2時間余りで帰る等である。ひどいよね。僕もそう思う。僕は長男である。姉は東京にいてなかなか帰ってこれない。母は当然のことながら高齢である。いつ何が起きてもおかしくない年齢だ。一体いつからこんな風になったんだろう?そして母と関係を持たないようにしている僕は頭がおかしいのだろうか?これは何かの呪いなのだろうか?

 

一体いつからこんな風になったのか?に関しては、親戚付き合いの場合は簡単に思い出すことができる。少年時代からだ。父方の母屋は歩いてすぐのところにあった。僕はここにいるすべての人達が嫌いだった。エラソーに周りの人に説教じみたことを言う叔父(僕の父の兄)、お上品な叔母と娘たち、これまたエラソーな祖母。祖父は結構早くに亡くなった。とにかく僕は母屋に行くことが嫌だった。でもそろばんの記事(「カンニング」)を書いた時にも触れたが、叔父は僕達姉弟を比べてはエラソーなことを言っていた。なんでこんな言われ方をしなければいけないんだろうとよく思ったものだ。対する母方の親戚は大体羊のように穏やかな人たちが多かったのでそっちに行くのには抵抗がなかった。あ、でも僕は小さい時に叔母(母の姉)のことを憎んで、小憎たらしいことばかりを言っていたことを思い出した。あれは一体何だったのだろうか。僕の人格に何らかの問題があったのかもしれない。

 

家ではどうだったのだろうか。こうやって記憶を辿る作業はとても怖ろしいが、勇気を振り絞って思い返してみよう。僕は多分、いや多分じゃない。僕は家の中では威張りん坊だった。嫌なことは徹底して嫌だと拒否する子どもだったし、欲しいとなったら駄々をこねても何とかして手に入れようとする子どもだった。例えば、両親は僕に牛乳を飲ませたいと思っていた。しかし僕はあんな臭いものは飲みたくない。両親はあの手この手を使って飲ませようとするが、そんな時の僕は頑として拒んでいた。あるいは叔父や叔母が家に来ると、「お小遣い頂戴」とお小遣いをくれるまで言い続ける、そんな嫌なガキだった。小学生から中学生高校生になってもそれは変わらなかった。これも前に書いたが母方の叔父さんに「お前はほんとに嫌な奴だな」と面と向かって言われたこともある。

 

ああ、辛くなってきたな。十数年前に双極性障害と診断されてから、僕は生まれた時から双極性障害だったのかな、と思うようになった。何だか思い当たる節がたくさんあったからだ。

 

威張りん坊だった僕が得意だったのが人の心を読むことだった。なんでかはよく分からないけれど、僕は人が何を考えているのかが分かる時がよくあった。はっきりとしたことは分からないが、かなりの確率で当たっていたように思う。よくその人が思っているだろうことを言ってみては周囲を驚かせていた(ように思う)。しかし、そのことは僕にいい風には作用しなかったと思う。はたから見ると傲慢な奴に見えていたのではないだろうか。

 

そんな僕が一番印象に残っている嫌な言葉が「あんたは大きくなったら私たちの面倒を見なけりゃいけないんだから」という母の言葉だ。ことあるごとにそれを言われて僕は育った。その言葉は未だに僕の心の奥底にある。その時のいや~あな感じとともに。

 

強引だがそろそろ話を終わらせよう。僕は色々な人に助けられながら、そしてたくさんの迷惑をかけながら大きくなった。人間だから当然だ。でもそのありがたみを本当に感じながら生きてはいないのだろう。だからいい歳をした今頃になっても少年時代のわだかまりが残ったまんまなのだろう。僕には人間として大切にしなければいけない何かが圧倒的に欠けている。それは精神疾患だろうが何だろうが関係のないことだ。

 

母の世話をしてくれるいろんな人がそんな僕(達夫婦)のことを疑問視していることも知っている。それでも僕はまだ母親に対して優しい気持ちを抱くことができないでいる。さっき「呪い?」と書いたが、やはり呪いではないのだろう。ただの我儘なのだろう。やるべきことは分かっているのにやりたくないからやらない。それで大人などと言えるだろうか?言えないよな。ほんとに恥ずかしいし、情けない。

 

そんな思いを抱きながら生き続けている。自己嫌悪な日々だ。全く嫌になる。

 

 

あ、読んで気持ちのいいものではなかったですね。ごめんなさい。

 

 

ああ、そういえば清志郎とミチロウのことを忘れていた。忌野清志郎は2009年5月2日に58歳で、遠藤ミチロウは2019年4月25日に68歳で亡くなっている。清志郎は1951年生まれでミチロウは1950年生まれだった。清志郎RCサクセションで「大人だろ 勇気を出せよ」(「空がまた暗くなる」)と歌い、ミチロウは死ぬ間際まで「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」という歌を歌っていたな。