hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

その時だけは中心にいた

世の中には、周りから盛り立てられ、自然とその集団の中心的存在になる人が確実にいる。お察しの通り僕はそういう類の人間ではない。しかし、長い人生のちょっとした瞬間、中心的存在になったことが数度ある。繰り返すがほんのささやかな出来事での話だが。今日はそのことについて書いてみよう。

 

 

ところで今僕は、学校の職員室に居て日直をしている。来客も少なく、自分の整頓も終わり、こんなこともできる状態だ。只今午後12時30分。午前の部が終わり、昼食を摂ったところだ。今日学校は静かっぽいからこのままひそかに記事を書いてみよう。

 

 

最初のエピソードは妻と付き合い始めた頃の話である。土曜日の夜のことだった。何の用でかは忘れたが、妻と2人で彼女の実家方面に向かっていた。しばらくすると道の真ん中とその脇に2台の車が停まっていた。これでは通り抜けられない。「どうしたんですか?」と声をかけ、事情を聞いた。どういう事情かはよく覚えていないが、とにかく車が溝にはまり往生していたことは確かだ。付近の人も集まり、4人ほどが「せーの」と掛け声をかけて車を動かそうとしているが動かない。

 

僕も車を降りて手伝うことにした。その時の(車を道路に戻す)作戦がどうも今イチに感じられた。一応最初の方はその指示に従って動いていたが埒が明かないと判断した僕は思い切ってこういう風に2段階で動かせばいいんじゃないですか?と提案した(残念ながらその作戦の内容ははっきりと覚えていない)。そしたら俺たちが頑張っているのに何を言っているんだという目で見られたが、僕は構わず最初にこうしましょうとみんなに促し、あなたはここ、君はあっちと采配した。最初の動きが上手くいったので、「そのまま道路にあげちゃいましょう」と言って、無事車を道路に戻すことができた。僕が作戦を提案して第1段階が上手くいった瞬間から、そこにいた人全員が僕の指示を待つようになった。僕が世界の中心になった瞬間だった。あとから妻に「まるで普段と人が違ったみたいだった。すごい仕切りだったね」と言われた。確かに自分でもよくやったと思う。これだけのことができたのは、単に道が開かないとこっちが困るからだ。だから頑張ることができた。これが一つ目。

 

 

もう一ついくよ。小学校時代の話である。6年生の時である。多分参観日のことだと思う。教室の机を出して椅子だけで円形に座っていた景色を覚えている。先生はやろうと思っていたことが何かの都合でできなくなった。時間が余って困る先生。その時僕は友達のカミヤマ君とオオスギ君に目配せした。「あれをやらないか」という合図である。2人は頷いた。何をやりたいかははっきり言わずに、先生に時間をくれないか、と頼んだ。先生は要領を得ないまま曖昧に頷いた。

 

「あれ」というのは寸劇である。時代劇である。一人彷徨う侍(僕)。そこに2人の狼藉者がいちゃもんをつける。華麗に狼藉者の攻撃を捌く侍、という言ってみればまあよくある話である。僕達は普段からよくやっていたからストーリーに変わりはなかったが、何といっても保護者が見ているので、綿密にかつ手短に話し合った。そしてその寸劇を保護者の前で披露した。

 

荒野を歩く僕。もうここから笑いなしの全力勝負だ。2人が立ちふさがって僕に言う。「名を名乗れ」。僕は無視だ。怒った2人は僕に襲い掛かる。1人目が殴りかかるのを避けて、右手を逆に取る僕。「ちょこざいな」と言い、刀を抜き襲い掛かる2人目。僕は刀を抜かずに攻撃をかわし、もう一回かわし、再び腕を逆に取る。「覚えていやがれ」という捨てゼリフを残して逃げる2人。こんな感じだったと思う。終わった瞬間は嵐のような拍手をもらった。先生からは感謝の握手をされた。

 

カミヤマ君もオオスギ君も普段は僕より上の立場だった。しかしこの寸劇に限って言えば僕が主導権を握っていた。それをやろうと目配せした時間から拍手をもらった時間までは、僕が世界の中心だった。少なくとも自分はそう思っていた。どんな人にでもこういう「世界の中心になっている」瞬間があると思う。

 

 

まあとってもとってもちっちゃいことなんだけどね。つい職員室で思い出しちゃった。あ、日直の仕事はちゃんとやり遂げましたよ。8時15分から16時45分までずっと職員室にいるなんていつ以来だろう。よくやったよくやった。