hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

今日は「孤高の人」

2回目の白山登山は日帰りだった。先に書いておくと、次の日は2人とも筋肉痛で少しも動くことができなかった。

 

同僚のおばちゃん先生(50歳代)に誘われて、行くべきかどうか逡巡したが、まぁいつも目をかけてもらっているので妻に頼み込んで一緒に行くことに決めた。当日はもう一人行くはずだった人の都合が悪くなったので、おばちゃん先生とその旦那さん(その地方ではカリスマ教師)と4人で登ることになった。都合が悪くなった人はとてもいい人だったので、その人頼りだったのに、と思いながらも新たに気合を入れ直すこととなった。誘ってくれた夫婦に迷惑もかけたくないし退屈に思われてもしゃくだからね。登山初心者の僕たちはコンビニでおにぎりと水を買っただけで、まあ何とかなるだろうと思い、いよいよ登山靴に履き替えて山を登ることになった。

 

おばちゃん先生は、植物好きなので「ああ、これは〇〇ね」とか言いながらゆっくり登っている。最初はそれに付き合っていたが、妻とカリスマ教師との間の会話が弾んでいないようなので何気なく交代した。

 

カリスマ教師とは初対面ではなかったが、やはり緊張した。しかし向こうはそんなこと意にも介さず色々話しかけてくれた。あとで妻に「気に入られたようね」と言われた。

 

ゆっくりペースだったのであまりダメージなく山頂にたどり着くことができた。昼食は何となく恥ずかしかったので、離れて食べた。こっちはおにぎり1人2個だけだ。あっという間に食べてぼうっとしていたら、おばちゃん先生が「よかったらどうぞ」と言ってみかんをくれた。礼を言ってありがたく頂戴した。おばちゃん先生達は2人でコーヒーを飲んでいた。僕達2人は登山には準備が大切ですな、と語り合った。

 

ほどなくしてもう降りようと声がかかった。「降りる時は重力に任せて降りるといいよ。そうじゃないと膝に負担がかかるから」とアドバイスされたのでそうしようとしたが、なかなか巧くできない。と思っているとおばちゃん先生が猿のように早足で降りていくではないか。これか!と思った僕たちはおばちゃん先生に倣って早足で駆け下りていった。

 

無事下山した僕たちは帰路に着いた。途中で「温泉に寄って行かない?」と誘われたが、正直に「お金がないんです」(風呂に入るお金も持っていなかった。ド素人だよ、全く)と言ったら、「そんなの関係ないって」と言われ、誘われるままに温泉に行った。僕はカリスマ教師と男湯に入り、精一杯のテンションで喋った。後日おばちゃん先生に「hanamiさん、大分あの温泉が気に入ってたみたいだったぞって夫が言ってたよ」と言われた。OK、僕は合格したのだ。

 

妻からも「あなた、カリスマ教師に気に入られていたね」と言われた。僕はよく分からなかったが、その後も色々な場所でカリスマ教師に声をかけられるようになった。

 

そして次の日。最初にも書いたが起きた瞬間から「うぉう!い、いたい」と二人で呻き、這いつくばってリビングに行くことになった。ほんとに何も動けなかったなあ。食事の時だけだよ。動いたのは。

 

というわけで2回目の白山登山が終わった。

 

さて、新田次郎の「孤高の人」である。前回の「銀嶺の人」は家にあったのを読んだが、「孤高の人」は自分で買った。

 

本作品は、登山家の加藤文太郎の生涯を題材とした小説である。六甲山に登ったことをきっかけに徐々に縦走登山に熱中していく加藤。その後次々と日本アルプスの山々をひとりで踏破していった。人呼んで「単独行の加藤」。

 

加藤には誰にも言っていない秘密があった。それは「ヒマラヤ征服」である。そのために密かに貯金をし、己を鍛えるために家の外でテントで寝ていた。出社する時は、リュックの中に石を入れて歩いて出社した。

 

そんな加藤は、仕事においても優れた能力を発揮する。しかし味方もいれば足を引っ張る者もいる。様々な葛藤を抱えながらも山へ登る加藤。しかし、その加藤もついに結婚することになる。結婚してからの加藤は人が変わったように周囲と打ち解けるようになる。子どもも生まれた。会社へはリュックも持って行かなくなったし、山からも遠のいていった。

 

そんな時、加藤の熱烈な信奉者の宮村が冬季北鎌尾根縦走を計画し、加藤をザイルパートナーに誘う。しかし加藤は単独行しかしたことがなかった。宮村の熱意に押されて遂に決心する加藤であったが・・・。

 

僕は加藤の山の中でも地上に降りてもタイトル通り孤高なところに惹かれて読んでいた。例えば山で食べる食料を何にしたら軽量で栄養価が高いものになるかを試行錯誤する場面や、山でビバークしている時に仕事に関するヒントが生まれてくる場面などを読むのが好きだった。

 

読んだ時期が植村直己の本と重なっていたので、なおさら「孤高」あるいは「孤独」に憧れたものだ。しばらくは繰り返して読む本ベスト3の中に入っていた。