hanami1294のブログ

現在休職中の小学校教員のつぶやきです(只今復職中)。

冬眠日記その60 ~最後の冬眠日記~

2月17日(木)

 

今朝は、家を出たすぐのところで路面が凍結していた。そこで久しぶりに一瞬スリップをした。車がコントロールできなくなる恐怖を味わったわけだが、これまでに2回大きくスリップしたことがあったなあ、と思い出した。

 

それは29歳の時だった。僕は妻の実家に行っていて、帰るのが夜の11時になった。ちょうど今時分だったように思う。雪は積もっていなくて僕は早く帰って寝なければ、と少し焦っていた(平日だった)。緩やかなカーブに差しかかった。その時僕は無意識に軽くブレーキを踏んでいた。その途端車がスリップした。ハンドルで車をコントロールできなくなり、スピンした。2回転くらいしただろうか。その間僕は全てを諦め、つまり「死ぬ」と思ってハンドルを握り締めていた(この短い時間のことは未だに身体がよく覚えている)。突然衝撃が走り、車がストップした。何が起こったのか分からなかったが、取り敢えずは生きている、と思った。恐る恐る周りをよく見ると、そこは畑だった。僕は死ななかったのだ。

 

車を道に戻そうと思ったが、溝にはまって戻すことができない。仕方がないので隣にあった家の呼び鈴を鳴らした。夜遅くにも関わらず出てきてくれたのは、おばあさんだった。事の成り行きを話して謝ると、この時期スリップで家に突っ込んでくる車が多いと言う。間一髪家に突っ込まなくてよかった、と思いながらも車が出せないことを告げると大分向こうになるが、力の強いお兄ちゃんがいると言う。もうそこまで行くしかないと腹を括り、走って家を見つけ再び夜の呼び鈴を鳴らした。幸いまだお兄ちゃんはまだ寝ていなくてガラガラと戸を開けてくれた。再度事の成り行きを話し、助けてくれないか、と頼むと快く引き受けてくれた。

 

2人で何とか車を道路に戻した僕はおばあさんとお兄ちゃんに礼を言って帰った。怖いのでそろそろと運転しながら家に帰ったがまだ現実感がない。そういえば車がスピンした時僕は全てを諦めたと書いたが、実はあの日妻の実家に行って結納の日取り等を決めてきたのであった。諦めた、というのは「もう結婚できないんだ」ということでもあった。

 

この話にはオチのようなものがある。次の日学校に行った僕に佐藤という先生が突然話かけてきた。「昨日、事故ったでしょ?」と言われ僕は慌てた。「なんで知ってるんですか?」「あの家は私の親戚の家なの。夜遅くに電話がかかってきてあなたのことを知ったのよ」「ホントにすみませんでした」「いや、あそこの家はよく車に突っ込まれるから」とおばあさんと同じことを言われ、恐縮するしかなかった。勤務を終えてすぐにお菓子を買って改めてお礼に行った。

 

もう1回の方はその3年前くらいで・・・と書くと長くなるのでやめよう。とにかくこの日の朝、久しぶりにスリップしたことで昔のことを思い出してしまった。こうなると授業で話したくなるのが僕の悪い癖である。ちょうど、5年生で大雪による災害について学習していたので「実は・・・」と話し出すと、結構子ども達は食いついてきた。これに味をしめた僕はその後も同じ話を3つのクラスでしたのだった。

 

 

2月18日(金)

 

僕は昨日から悶々と悩んでいた。「6年生を送る会」の実行委員の児童が、僕のいる教室のすぐ隣で昼休みに準備をしているのだが、その様子があまりにも酷い。いつもゲラゲラと下卑た笑い声が聞こえる。長机がドーンと倒れる音も聞いた(もちろん様子を見にいった)。ある程度談笑しながら何とか準備を進めていくのなら僕も黙認する。しかし、もう最初からふざけた声が飛び交い嫌な感じ満載だ。数日前僕は1組の担任(兼教務)にそのことをチラッと言った。しかし事態は改善されない。1組2組の担任の連携が上手くいっていないことも知った。どうしようか。このまま黙認している場合じゃないところまでいっている。とはいえなかなか2組の担任には言いづらい。サラっと言えればいいんだけどね。ちょっと自信がない、と判断した僕は教頭に相談しようかと思ったが上手く時間が作れなかった。

 

というわけで言うことにした。2組の担任に。この日の2組の社会はテストだったので、テスト用紙を配って取り組み始めた児童を置いて僕は職員室に行った。2組担任はじっと僕の話を聞いていた。まあ、そっちはそっちでいっぱいいっぱいなのだろう。僕も2組の授業は最近特に辛くなっているから気持ちは分からないでもない。「言ってくれてありがとうございました」と言われ、「まあ、お互いキツイですなあ」とこちらも言い、僕は教室に戻った。その日は別の準備があるようで実行委員は隣の教室にはやって来なかったが、2組の担任は1組担任とも話し合ったようだ。来週は月火木、ときて、金曜日が送る会だ。どうなるにせよ、この一件は6年生になっても尾を引くだろう。若手に痛いことを言うのはこちらもエネルギーがいるものですな。

 

 

 

 

まだまだ寒い日が続くが、ひとまず今日で冬眠日記と称して記事を書くのはやめようと思う。思えば夏眠日記から「〇眠日記」って始まったんだなあ。もうじき春眠日記を書き出すんじゃないだろうな、と思われている方もいるだろう。僕もどうしようか迷っていた。しかし四季全部眠っていてどうするんだ、という気持ちもある。そろそろ前線に出なければ。学校を異動してもしなくても来年度も再び級外になるのは確実だ。そのための心と体の準備を3月のうちにしておきたいものである。