いやあ大荒れだぜ、全く。車が吹っ飛ぶかと思ったよ。困るんだけどな。お休みに外出できなくなるじゃないか。しかしとにもかくにも今週の勤務は終わった。それについてはめでたしめでたしだ。
昨日は4年生に説教じみたことをしたところまで書いたのかな。それからのことを書いてみよう。
その日の授業は、都道府県のプリントをしてから郷土カルタをやろうと思っていたが、こんな状態でカルタはやりたくないなぁ、と思いながらプリントに取り組んでいる子ども達を見ながら思案していた。プリントに取り組む前に「いつものような(汚い)字で書くなよ」とだけ言ってあったので、みんな丁寧に書いている。自分で教科書を見ながら丸付けするように指示し、それが大体終わったのは15分後くらいだ。まだ30分ある。どうしよう。クラス目標のことでも話すかと思い、わざとらしく前に掲げてあったクラス目標をしばらく見てから言った。
「みんな、さっき何があったのかは先生は知らないんだけどクラス目標でいうとどれに関係しているの?」と問いかけると、「あたり前」「自立」という言葉が出てきた。「じゃあ先生は『あたり前』のことについて話したいな」「みんなが思う『あたり前』ってどういうこと?」と問いかけると数名が挙手したので指名すると「普通のこと」と答えた。「普通って何?国語辞典にはそんな風にはのってないぞ」と返すと「意識しなくてもできること」と答える子がいた。なるほど。
「先生が考える『あたり前』って2つあるんだ」と言って、黙って黒板に「全員出来る」と書いた。「朝、必ず歯磨きをする人?」と聞いたら全員が手を挙げた。「全員しているでしょ。それをあたり前って言うんだと思う」と言い、バリアフリー、ユニバーサルデザインについても話し、「全員というのは体の不自由な人等にもあてはまる」ことだと話した。そしてもうひとつも黒板に書いた。「みんな歯磨きをやりなさいって言われてる?言われてないでしょ?」「だから『言われなくてもできる』がもうひとつの『あたり前』だと先生は思うな」「〇〇さんが言った『意識しなくてもできる』ってそういうことなんじゃないかな」
「今日は何が出来なかったの?」と聞くと、「ベルスタ」(←チャイムが鳴ると同時に授業を始めること)と答えたので、「ふうん、じゃあこれだけ話したんだから3限目にはきっとできると思うよ。でも3限目だけじゃあ『あたり前』にならないんだよ。一瞬だけ出来てもそれは『あたり前』じゃない。それは分かるよね。1日出来たとしても『あたり前』にならない。ずっとできなきゃ『あたり前』にならないんだ」「この後、担任の先生に『これからきちんとやります』と言うのもダメだと思うぞ。そんなの口だけになっちゃうでしょ?君達は『ベルスタ』のことでこれまで何回も話し合ってきたんでしょ?つまり何回も言われて、でもまだ出来てないんでしょ?」うんうんと頷く子ども達。「じゃあ行動で見せるしかないじゃない」「『あたり前』というのは実は難しいことなんだよ」という言葉で「説教」を終えた。
後は、4月からの成長のこと(「このクラスは上がったり下がったりしながら成長しているよ。それは確実だ」)とか、担任の先生が今どんな思いでいるか(「あー、3限目どうしようかな。さっきの言葉はみんなはどう感じているかな」って悩んでいると思うよ。だって君たちのことを一番考えているのが担任の先生なんだから)、3学期にもし君たちが成長していたならば、先生から「あーしなさい、こーしなさい」って言われることは少なくなるだろう、などと語って、5分残っていたけれど、「じゃあこれで終わるね。あ、黒板は10時25分に消してね。もし担任の先生にこれ何?と聞かれたら答えること」と言い残して僕は、いつもの教室ではなく職員室に戻った。
職員室で担任に簡単にどんな話をしたか伝えた。それと「今、自己嫌悪に陥ってるだろ?これからもこういうことあるよ。先生っていう職業はそういうことの繰り返しだと思うよ」ということも話した。その後4限目の始まりに僕が4年生の教室の前を通ると、担任が僕を呼び止め、あれからのことを話してくれた。子ども達は僕が教室を出てから、自分達で話し合っていたらしい。そして担任が聞くと2限目のことを色々話してくれたという。
というわけで、昨日も4年生(隣のクラス)に説教してしまった。そう。災いは連鎖するのである。これは先生あるあるかもしれない。「1組にした説教を2組でもする」とか、「とても子ども達に怒っていた先生に影響されてこちらもハイテンションになる」とかね。今回もそうだった。
カルタをするために教室を移動し、用意をするところまでは順調だったが、そこからなかなか静かにならない。それに気づいた子は「静かにして」と険のある言い方で注意していた。僕は、「今、静かにできなかった人は立ってごらん」と言ったら2人が立っただけだった。「そんなはずないだろ」と言っても誰も立たない。こりゃあ駄目だと思い、教室に戻らせた。
そして「今、クラスでさっきみたいなことが他の場面でもあると思う人は手を挙げて下さい」と言うと3人ほど手を挙げた。「じゃあ、何も問題はない、さっきはたまたま静かにできなかっただけだと思う人」というとこれも数人手を挙げただけだった。「手を挙げなかった人」と聞くとあまり手が挙がらない。これで、大体クラスの様子が分かった。問題意識が低いこと、そして今まで自分の考えを表明せずに済ませてきた(学習でも分からないことを隠してきたと思われる)ことが問題点だと思われた。ここから手をつけなければいけない。これは時間がかかるな。多分休み時間までかかるだろう。後で担任に謝ろう。
僕は「もう一度聞くよ」と言って、さっきの質問を繰り返した。それでも手を挙げない子がたくさんいる。「どちらにも決められなくて手を挙げなかった人」と質問を微妙に変えるとたくさんの子が挙手した。「その人は立って」「今、決めて下さい。このクラスには問題はあるか、ないか」「決めた人は手を挙げて」と言ったら立っている人全員が挙手したので、座らせてもう一度全員に聞くとほぼ全員が「問題がある」に手を挙げた。ここら辺はちょっと強引であった。でも自分(子ども)にとって都合の悪いことにも目を向けさせたい。このクラスに問題があることを全員の前で白日の下に晒さなければいけない。それにしても学力高位の子が初め「問題はない」に手を挙げていたのには驚いた。問題は根深いと思った。
今回もクラス目標をおもむろに見ながら「今日はクラス目標でいうと何ができなかったんだろう?」と聞くと「考える」だと言う。「ふうん。考える、ができなかったからこうなったんだね」と黒板に書き、「じゃあ今日はどうだったらよかったの?」と聞くと「すぐ静かになったらよかった」「静かだったらよかった」と答えた。「この言い方は似ているようで違うと思うな」「最初の言い方は『ざわざわしていたけれど、誰かに注意されたら静かになった』」「後の言い方は『注意なんかされなくても静かになる』じゃない?」と聞くとそうだと頷く。ここら辺も強引だが、仕方がない。時間が無い。
ここからは昨日と同じ流れだ。「『誰かに注意されなければできない』っておかしいよね」「ほんとは『言われなくてもでき』なきゃいけないんじゃない?」と言って終わりにした。休み時間は過ぎてもう6限目に入ってしまった。「6限目の用意をしていてください。先生は担任に事情を説明しに行くから」と言い教室を出ると廊下に担任がいた。どうやら大体の話は聞いていたようだ。僕の方からどんな話をしたか伝え、その場を去った。
学期末で僕としてはもう授業は終わった気分になっていた。しかし油断していた。この時期にクラスの問題について話すことは担任をしていた時もよくあった。そのことを思い出す一件ではあった。
伝わったかな。僕自身、頭がこんがらがってきた。まあとにかく2日間休める。心配なのは雪だ。ああいやだ。また雪かきかぁ。